主人公症候群~ヒロイックシンドローム~
case2 リュスティックの場合
『ヒーローの条件は、誰であっても見捨てないことだ』
辺境の森を抜け、親愛なる王の待つ城へと手ぶらで帰る道中、リュスティックの頭の中で正義の言葉がリフレインしていた。
「夢は誰もが見るものです。それは否定はしませんが」
そう言ったところで、あの少年はもうここにはいない。あの場で即座に否定できなかったのは、自身の負い目に他ならないことにリュスティックは気づいていた。
衛兵と軽く会釈を交わし、城門を抜け、謁見の間の前に立つ。厄災の魔女カンパーニュを取り逃がしたことを潔く報告しなければならない。
埃一つない絨毯をゆっくりと進むと、三座の玉座が見えてくる。両隣には誰も座っていない。中央に王の姿があるだけだ。
その身にそぐわない巨大な王座は先王のものをそのまま使っているから。それでもそこに座っていることを誰にも疑問に思わせないのは、ひとえに彼女の能力に他ならない。
その前に跪き、ありのままを伝える。
「リュスティック、ただいま戻りました。辺境の森にいるという情報は得ましたが。すみません、捕えるまでには至りませんでした」
「そう、まぁいいわ。簡単に捕まるとは思っていないから」
戦時の心労で早世された先王の一人娘、パネトーネが即位したのは一五の時。その時から重過ぎる王冠と責任を一手に引き受け、一人で国の全てを執り仕切ってきた。あんな幼い少女が、と先王の儚さと、新王の不安を嘆いた声はもうない。すっかり成熟した賢王としてこのブランジェリー王国を守っている。
「申し訳なきことでございます」
「それよりリュスティック。おかしな男には会ったか?」
その言葉にリュスティックは頷く。一人、妙な男には会った。今まで孤独に過ごしてきたと聞いているカンパーニュを庇おうとした男だ。
「魔女が異世界に逃げていた間に捕まえたようだ。戻ってきた近衛兵の話では、剣を持つ騎士に素手で応戦しようとしたと聞いている。魔女に操られていることもあり得る、あまり傷つけぬよう対処してもらいたい」
「仰せの通りに」
その言葉に頷きながら女王は席を立つ。彼女にはやらなくてはならない仕事が消えることなく存在し続ける。しかし、リュスティックはその背を呼び止めた。
「一つ、お聞きしたいのです。何故、今になってあれを捕えろなどと」
「鳥籠の中の金糸雀は、空を舞う烏にさえ嫉妬する。今日はもう休みなさい」
真意を聞かんとするリュスティックを制し、女王は立ち去っていく。顔を上げたまま空になった玉座を見つめながら、リュスティックはただただ考えることしかできなかった。
休め、と命令された以上、その勅命に従うのが騎士の本分ではあるが、今はそんな気分にはなれなかった。地階へと下る螺旋階段をのろのろと歩き、一向に活性化しない脳は今すぐ思考を止めたいと訴えていた。まったく働かない脳を譲り受けたものだ。そう愚痴る相手もいないまま、リュスティックは詰所へと辿り着いていた。重い鉄扉を引いて中にいた数人に軽く頭を下げる。
「団長、わざわざあんな辺鄙なところまで行ってもらって悪いな」
「俺たちももう少し若けりゃいいんだが」
白髪の混じり始めた頭を掻きながら、二人の部下は笑う。リュスティックはその言葉を右手で打ち消した。
「いえ、構いません。称号などに甘えたくはない。若輩者の私は体で国に貢献せねばなりませんから」
ブランジェリー王国近衛騎士団。名高き武家の中でも優秀な剣技を持つ者だけが入団を許される剣士の誉れ。年に数度行われる闘技大会て優秀な成績を収め、王家の眼鏡にかなった者だけが入団を許される王国最高の軍事機関。リュスティックはその騎士団の中で最年少。五年前に戦後初めての入団者としてこの世界に入った。
父親とは非なる華麗な剣技は武をして芸術と称され、騎士を志す青少年達の憧れとなった。民衆からもただ勝利を求めるのではなく、自己の剣技への追求と見えるその技術に改めて戦争は終わり、戦禍は去ったのだと印象付けた。
戦時の英雄と呼ばれた前騎士団長でありリュスティックの父、バタールの引退時には、騎士団内だけでなく、国民からもリュスティックを推す声が上がり、まさしく満場一致にして騎士団長の地位に納まったのだった。
リュスティックは苦悩していた。誰もが自分の後ろにある父の威光を見ているようで。
自分がいつか父のように英雄と呼ばれなければならない日が来るようで。
既に自分は取り返しのつかないところにいて、特別でない存在になることはできないように思えてくるのだ。
「英雄とは、何を為すべきなのだろうか?」
「ヒーローの条件は、誰であっても見捨てないことだ」
あの男は何をして英雄たりえると思っているのか?
リュスティックは英雄という言葉が脳の端々を虫のように駆け回っているようで、吐き気がした。
「大丈夫かい、団長? 顔色が悪いぜ」
「えぇ、大丈夫です。今日は失礼させていただくつもりですから」
ふぅ、と息を吐いて自分を落ち着ける。まだ頭の中で何かが蠢く感覚があったが、考えないように相手を見据えた。
「しかし、なんで女王様も急にあの紅蓮の厄災を捕えようなんて言い出したんだ?」
「そうだな、今更戦争があるわけでもないし、あれ以来あの魔女も暴れたなんて話は聞かないしな」
何か聞いたか? と二人はリュスティックを見てきたが、こちらも首を横に振ることしかできなかった。
「まぁ、女王様は俺たちとは頭の作りが違うからな。きっと何か考えがおありなんだろう。とにかく団長はゆっくり休め、休息も騎士の務めだからな」
「はい、それでは失礼します」
リュスティックは鉄扉を閉め、何故ここに来たかを考えていた。人を斬ったことのあるものならあるいは自分の悩みの答えを知っているかもしれないと思ったからかもしれない。しかし、平和に塗れた若造がおいそれと聞くにはあまりにも重い話題だった。痛む頭を押さえ、リュスティックは逃げるように城門を抜けた。
城下町の構図は非常に明確だ。城から近い位置に居を構えるものほど地位が高い。それは単純に国王からの信頼の証であり、過去の成果への報酬だからだ。
リュスティックの家は誰よりも城に近く、しかし質素な家だった。華というものに全く無頓着な父が、先王の厚意を断って、退役後に自分で木を切り、釘を打って建てた素人仕事だ。いつ壊れるかもわからない、次の雨には雨漏りがあるかもしれない。そんなボロ屋だというのに何故かリュスティックも好きだった。
「おかえりなさい。今日はお早い帰りね、団長様」
「えぇ、休息も騎士の務めだそうで」
聞きかじったばかりの言葉を微笑みながら返す。
「それと団長様なんて言葉はやめてくれ、ペイザンヌ。ただでさえ身に余っていると思ってるんだから」
「それはそれは。リュスも大変ね」
口元を押さえて笑うペイザンヌと呼ばれた少女は、さきほどの言葉と裏腹にまるで彼の帰りを知っていたかのように用意していた紅茶のカップを差し出した。卓までは自分で運べと言うことだろうが、あいも変わらず不思議な力があるものだと、リュスティックは感心してしまう。
作品名:主人公症候群~ヒロイックシンドローム~ 作家名:神坂 理樹人