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神坂 理樹人
神坂 理樹人
novelistID. 34601
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主人公症候群~ヒロイックシンドローム~

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 昨日は急いでいて気が付かなかったが、もう二人は麓近くまで降り立っていたらしかった。黒く色の変わった岩だった足元はいつしかぬかるみがかった赤土に変わり、開けていた視界には新しいつぼみをつけ始めた木々が映るようになっていた。
「これから、どうする? 下手に人が多そうなところもよくないけど、今の持ち物じゃ心許ないぞ」
「大丈夫よ。この近くに私の家があるから」
 事もなげに笑うカンパーニュに、ため息が出た。
「家なんて誰かが張り込んで見張ってるに決まってるだろ」
「え、あぁそういう可能性もあるわね」
 可能性もなにも。軍なんて物騒な組織に追われていながら、彼女はどこか楽観的だ。家が近いというのだから見知った場所なのだろう。とはいえ周囲に警戒するでもなく、むしろ楽しげに歩いている。大変な状況だと口では言っているが、そんな人間が早咲きの一輪の花に見惚れることができるのだろうか。
 訝しがる正義の顔に気づいたのか、どこか焦ったようにカンパーニュは言う。
「えぇと、そのほら、私の勘ってよく当たるから。大丈夫よ」
 答えになってはいない、と正義は思ったが、それ以上は何も言わなかった。詮索したところでいいことはないだろう。それよりも今は、自分を英雄たらしめる彼女を失いたくはない。
「わかったよ。信じていいんだな?」
「もしダメだったら、ジャスが守ってくれるよね?」
 正義は何も言わず、蕩けるような笑顔の彼女を撫でた。
 森の中に建てられたログハウスは、まるで自然に萌え出たかのようだった。
 もちろんきれいにカンナがけされた材木が使われているし、釘やつがいが打たれている。それなのに何故か人以外のものが作り出した雰囲気があった。
「ほらね、誰もいなかったでしょ? 私の勘は良く当たるんだから」
 誇らしげに鼻唄を奏でながら、カンパーニュは正義を迎え入れた。
 あまり物が多くない室内には人の気配がない。日本では古民家くらいでしか見なくなった土間にはかまどが置かれ、壁にはランプがかかっている。初めて見た彼女のイメージとは全く違う、必要最低限な生活空間がそこにはあった。
 この必要以上に広い家に彼女はたった一人で住んでいたのだ。
「本当にな。相手はどれだけ無能なんだか」
「二、三日は平気だと思うから、ここでしっかり逃げる準備しないとね。ジャスの服は……この辺りなら着れるかな」
 二つ並んだタンスの中から、カンパーニュのワンピースと同じ染物のシャツが数枚。アイビーブルーのボトムは遠目からはジーンズかと思ったが、触ってみると麻のような薄い質素な生地のようだ。
「大丈夫だ。準備が済んだら早くここから離れた方がいい。無能と笑ってみたけど、絶対ここにも追手が来るだろうし」
「大丈夫だよ。私ってそんなに信用ならないかなぁ?」
 頬を膨らませて拗ねたように言う彼女は、言葉ほど不機嫌には見えなかった。
「そうは言うけどなぁ」
「きっとジャスは慣れない環境のせいで気が立ってるんだよ。勝手に連れてきた私が言うのもどうかと思うけど。ほら、お茶でも飲んで落ち着くといいよ」
 床一面に巻き散らかされた衣類を畳んでいたカンパーニュは、その手を一度止めた。
「こっちに座ってて。紅茶の好みってある?」
 セーグルに服の裾を引かれ、木製のテーブルセットの片方に腰を掛ける。その間にカンパーニュはもうかまどに火をつけたらしかった。
「見た目と違ってずいぶん機能的なんだな」
「まぁ、その。ここにある家具は特注品だからね」
 どこぞのメーカーの電気ケトルに負けない早さで湯気を吐き出した銅製に見えるやかんを、正義は不思議そうに見ていた。ティーポットに注がれているのは紛れもなく水のようだが、そういえば水道なんてものもここにはなかったように思える。
「はい、どうぞ。味の方はあんまり期待しないでね。高いものじゃないし」
 陶器のカップに注がれる透き通った薄茶色の液体。
 見慣れたはずの紅茶が、正義に強く不安を募らせた。
「どうしたの。何か変だった?」
 不思議そうにこちらを見つめる少女の瞳は、今までに何度が正義が彼女に向けていたものとは異質だ。単純に正義の好悪への興味で飾られている。
 一口。カップに口をつける。ほっとするような優しい香りと心地よい苦みが口に広がった。大丈夫、ごく普通の紅茶だ。
「そのままでいいの? お砂糖とかは入れないんだ?」
「あぁ、俺はいつもこのままで」
 それを聞いて、カンパーニュは猫のようにはしたなく舌を紅茶に浸す。
「苦い。やっぱり私はたっぷりお砂糖入れないと」
 はにかむ少女に、正義の例えようのない疑念は行き場を失いつつあった。
 空になったカップが下げられ、一息ついた正義は土間の方でカップを洗っているカンパーニュを見つめていた。水は近くに置いてある甕に入っていたらしく、そこから移した水の中で汚れを落としているらしかった。現代の便利な生活に慣れた正義にとっては十分に珍しい光景ではあったが、それはあくまで環境の違いからくるものであって、カンパーニュ本人の異質さではなかった。
 彼女の言う通り、急に色んなことが起こって混乱していただけなのかもしれない。そもそもこの世界にいることそれ自体が不可思議なことなのだから、今更彼女自身の異質さを問うことが無駄骨だというものだ。
 正義は少し背伸びをして作業している少女を愛おしく思う。理由は聞かない。何者なのかも聞かない。ただ黙って火の粉を振り払い続けることが、お互いにとって一番幸せなことなのだと思える。
 よし、と誰にともなく言って、正義は立ち上がった。
「ちょっと辺りを見てくるよ」
「え、うん。どうして?」
「なんとなく。君を守るためには周りの状況をよく知っておくのも大事だろうし」
「……うん」
 わずかに微笑んだ少女の顔に、正義の胸が疼いた。

 湿った大地を踏みしめると、表現しがたい感触が全身を貫く。正義はこの柔らかな大地が嫌いだった。大地に沈み込むように拳を打つ空手と相性が悪いうえに、どこか生き物を踏んでいるような感覚に駆られるからだった。英雄は倒れた命を救い起こすものであって、屍を踏みにじるものではないのだ。
 溢れるようなつぼみから零れた光が、正義の顔を差す。額に手をかざしながら辺りをうかがってみるが、ここがどこであるのかはわからずじまいだ。
 見慣れた風景とは言わずとも、生える木々に違和感はない。踏みしめるこの嫌らしい感覚も幾度となく経験したことがある。正義が不安を覚えるときはいつもカンパーニュがいるときだけなのだ。
「誰か、来てるな」
 正義は意識を頭の中から視界へと戻した。道なき森の奥から人がこちらに向かって来ている。
 追っ手か? 近づくそれを注視しながら正義は退くつもりもない。
「片づけられるならここで片づけたいもんだけどな」
 見えてきたのは金色の髪を揺らす細身の男。ただしその恰好は昨日正義は相手をした男たちを同じだった。やっぱりか、嘆息して二度拳を握る。今度はきっちり仕留めるつもりだ。
「もし、このようなところで何をなさっているのですか?」