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神坂 理樹人
神坂 理樹人
novelistID. 34601
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主人公症候群~ヒロイックシンドローム~

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「もう八十年も前になる。先々代の王が治めていた頃の話じゃ。教会隣接の療養所で封印された禁術の話を少女にしてしまった魔女がいたそうな。その少女は美しい白髪の十ばかりの子で、名をカンパーニュと言った」
 一瞬あの老婆の身を案じたが、今更どうしようもないことだ。今のカンパーニュの年齢すらとうにあの頃の老婆を超えている。
「その少女に似た女童を時折、城下で見かけるというのでな。調べていたら厄災で生き残った者の証言からお前ではないかという者がいてな。まさかこんな簡単に白状してくれるとは思わなんだがな」
 カンパーニュは理由もなくあの兵士の姿が浮かんだ。あの状況で冷静にこちらを見ていた小兵の姿だ。
「それで、要求は何? 私はいくらでも時間があるけど、あなたはもっと生き急いだ方がいいんじゃないの?」
「せっかちじゃな。どちらが不死者かわかったものではない」
 まぁいい、と微笑みながらパネトーネは優雅に裾を払い、姿勢を正す。
「救国の英雄としてそなたを称えたい。ここを出て人と暮らすつもりはないか?」
「お断りよ」
 差し出された手を払う。荒い拒否に後ろの護衛達がざわつくが、パネトーネはそれを片手で制した。
「たった一人で、こんな辺鄙な場所で何を求める? 不死者ならばなおさら不思議だ」
「放っておいて。私はもう、あんな思いはしたくないの」
 誰かの記憶から過去になることも、自分の手で誰かを殺めることも。
 差し出された手は魅力的だったが、カンパーニュの求めるものには足りなかった。もう彼女は人ではないのだから。それすらも消し去ってしまうほどの完全無欠のヒーローの登場こそ、彼女ににとっての唯一の救いであり、願いだった。
「そうか、それは残念だ」
 パネトーネは払われた手をわざとらしく擦り、こちらを見つめた。
「今は私自身忙しい身でな、あまりお前のことを構ってやることは出来ぬ」
「結構よ、大事な用があるならとっとと消えなさい」
 ずいぶんと嫌われたものだ、と呆れたようにつぶやく。
「しかし、手が空いたらもう一度お前を求めよう。今度は、多少強引でも」
 飄々としていた目が、急に鋭くカンパーニュを刺した。なるほど、確かに若いながらも一国を治めただけの力がある。カンパーニュはその目を逸らすことなく見つめ返す。あの時とは違う強い力を込めて。
 女王は自分の言葉通り、従者を引き連れて真っ直ぐに帰っていった。
 残されたカンパーニュはその背中を見つめながら、自分の手を握り締めた。
 今更人と同じように暮らせるとは思えなかった。姿の変わることのないこの少女にいったい誰が心開いてくれるだろう、誰が心砕いてくれるだろう。彼女が求めるものは元に戻ることではない。自分をこのままどこかに連れ去ってくれる者なのだ。
 カンパーニュは今目が覚めたように、はっとした。セーグルが足元に行儀よく座っている。
「帰ろうか」
 自分の願いが少しばかり難しくなってきたことにカンパーニュは気付いていた。もしかすると今の誘いが自分にとってのちょうどいい落としどころだったのかもしれない。それでも彼女には受け入れることができなかった。
 無垢な少女が求めるものは物語のヒロインになることであり、それを現実にしてくれる王子様でしかないのだ。

 広い洞穴は太陽の明かりが届くものの中の全てを窺い知ることはできない。だが、もはやここに隠れる意味はなくなってしまった。まさかあの騎士が簡単にここに気付くとは思いもよらなかった。明かりや寝床に大量に持ってきた藁屑も無駄になってしまった。手持無沙汰になってカンパーニュは積んだ藁屑の上に自分の身を投げる
 ジャスはまるでリュスティックが来たことが当然のように冷静だった。彼には魔法でもない、何か不思議な力があるのかもしれなかった。
 疲れ切った体を柔らかい藁の上に投げる。運動不足の体に長旅は大きなダメージを与えたようだ。目を閉じてしまえばこのまま眠ってしまいそうになる。
 ジャスは待っていろと言っていた。本当なら今すぐにでも追いかけて助けてあげたいとも思っていた。それでもカンパーニュがここから動かなかったのは、まさしくそれがヒロインの役目だと思ったからに他ならなかった。ヒーローの戦いに勝利を信じて待ち続けることこそ果たしてヒロインたる証明だろう。
 瞬きの数が多くなる。柔らかい日差しがカンパーニュを絶え間なく襲い続けている。
 大丈夫だ、次に目が覚めるときは、きっと王子様のキスで。
 そう願いながらカンパーニュは温かさに身を預けた。
 はた、と目を開けた。太陽の光は相変わらず同じ方角から差していて、あまり時間が経っていないことは分かった。隣にジャスはいなかった。どれほど激しい戦いになっているのかはわからない。
 道のとすら呼べない坂の向こうから、人影がゆらゆらと浮かんでいる。白ならリュスティック、黒ならジャスティス。明暗はどちらになるのか。
 上ってきたのはジャスだった。疲れ切った足取りで、でも確実にこちらに向かって来る。その姿にカンパーニュの心は高鳴り続けていた。間違いない、彼こそが私の正真正銘の王子様だと。この汚れた魔女に誰とも問わず、理由も聞かずそばにいて助けてくれる。
 だからその頼れる姿が、カンパーニュを見下ろすように立ち止まって、彼女を見つめたとき、恐怖した。一番言ってほしくなかった言葉が降ってきた。
「お前に聞きたいことがあるんだ」
 カンパーニュは戦慄した。
「そ、それって何?」
 それだけどうにか言葉を紡ぎだす。彼女にとってジャスに出す答えは嬉しいものであるはずがないとよく知っている。
「紅蓮の厄災って知ってるか?」
「知ってるわ」
「災厄の魔女っているのか?」
「いるわ」
「そいつの名前、なんて言うんだ?」
 一瞬、カンパーニュは躊躇った。最早躊躇ったところでジャスの中で答えが出ていることなど、十分に分かっていた。それでも一秒でも長く夢を見ていたかった。
「カンパーニュ、よ」
 ジャスの口が開くのを察して、上からかぶせるように叫ぶ。夢を終わらせるのも自分でありたかった。その言葉を口を結んで聞いているジャスにゆっくりと近づく。右腕に巻いた白い布が赤く染まっている。カンパーニュはその上に無言で手を当てた。
 ジャスにわかるように魔法を使うのはこれが初めてだった。本来なら時間をかけて癒えるはずの傷が急に無くなったからか、ジャスは違和感を感じているようだった。巻かれた布をほどくと血の跡が不自然に見えるほど跡形もなく傷が消えている。
「これが、魔法。もうきっとこの世界で私しか残っていない。人の力を超えて超自然の現象を起こす存在、それが魔女」
 目の前の奇跡にジャスは少し動揺しているようだった。元に戻った腕を擦る。
「最初から違和感はあった。変わってしまった世界、一人きりで暮らす少女、騎士団に追われる身。それでも俺は何も聞かなかった。守ってやることが英雄への近道だと思ったから」
 私と同じだ。振り払おうと思えば、いつだって簡単に消してしまうことが出来た。それをしなかったのは十五年前の後悔と何も言わず守ってくれるジャスの存在があったからだ。
「ヒーローの条件は、あらゆる悪を討つことだ」