主人公症候群~ヒロイックシンドローム~
case3 カンパーニュの場合
ここに来るのは二度目だった。
一度目はもう幾十年前だったか覚えていない。まだ魔女という存在が人口に膾炙していた頃だった。それでも既に牙を抜かれて人を傷つける術も人の領分を超える術も全てを封じて、人々に助けを与える存在でしかなかった。
カンパーニュはそれが嫌だった。せっかく人を超えた力を持っているのなら、もっと過激でドラマティックな人生を歩んでもいいではないか。選ばれた存在なら、誰もが羨む幸せを両手いっぱいに抱いて、考えうる全ての幸福を享受してもいいではないか。ボロボロになったお下がりの絵本を胸に抱いて、幼い少女は夢を実現するための力を欲してやまなかった。
最初の願いは女の子なら誰もが夢見ることだった。素敵な王子様に見初められてお姫様になるのだ。そんな物語のヒロインは大抵不幸な境遇を抱えながら、強く挫けない心の持ち主と決まっていた。だから少女はまず不幸になることから始めようと思った。
「ねぇ、おばあさんは今幸せ?」
「えぇ、とっても幸せよ」
教会に隣接した療養所でカンパーニュは魔女の老婆に問うた。その答えはカンパーニュの求めるものではなかった。
「どうして? いつもここから出られなくて、ずっと同じ魔法を使うばかりで楽しいの?」
幼いながらにカンパーニュは知っていた。魔女という存在を人々が恐れていること。この老婆も治癒魔法しか使わないこと、外に出ないことを条件に教会に飼われているに過ぎないこと。彼女が残りの人生もこの狭く薄暗い部屋で過ごすこと。
不幸とは何かと問われて答えられるほどの確信はなかったが、昼間に野を駆け回り夜には温かいベッドで両親と眠るカンパーニュには、その境遇は不幸の象徴にすら見えた。
「でも毎日皆が会いに来てくれるし、元気になる姿を見るのは楽しいのよ」
「……よくわかんない」
「きっと私と同じくらいの歳になるとわかるわ。自分より先に誰かが亡くなってしまうのはとっても悲しいことなのよ」
「そうなんだ」
こんなところに閉じ込められるより、自分以外の人が死んでいく方が悲しい。それはちょっとわかる気がした。私もお母さんが死んじゃったらきっとすごく悲しい。そうか私の周りの人がどんどんいなくなっていくのは不幸なんだ。確かに彼女の読む絵本たちのヒロインも母が死んでしまって、継母にいじめられていることが多かった。しかし、カンパーニュも母を殺すつもりは毛頭ない。そんなことをしたら悲しすぎる。矛盾した思いを抱えながら、少女は自分より早く人が死ぬ方法を考えていた。
カンパーニュはほとんど魔法が使えなかった。使うだけの才覚は十分にあったが、扱うだけの技術がなかった。母がそれを許さなかったのだ。ただの人間同士の夫婦から突然変異のように魔力を持った子供が生まれることはそれなりにあることだったが、その才能を伸ばすというのであれば、その子は教会の管理下に入る。他の多くの家庭と同じようにカンパーニュの母はそれを嫌がったのだ。
普通の子に生まれて欲しかった、そう母が願っていたことをカンパーニュはうすうす気付いてはいたが、それでも持って生まれた力の魅力には敵わない。療養所に通っては少しずつ手ほどきを受けて治癒魔法を習得していた。
「ねぇ、おばあさん。どんな怪我でも治せるなら、死ななくなることはできないの?」
「出来ないことはないけど、やっちゃいけないんだよ。私たち人間は神様から与えられた限りある命を大切にしなくちゃいけないんだよ。大昔はそんな魔法もあったけど、もう全部封印して二度と使わないようにしたんだ」
子供の無垢な質問だと老婆は侮ったのかもしれなかった。魔女の封じた禁術の行方は決して口外してはいけない話だ。
ずっと生きていられれば、きっと私の周りの人達は先に死んでいってしまうだろう。そうすれば私は誰かを傷つけることなく、不幸になることが出来る、カンパーニュの幼い考えの中では願いが両立した冴えた発想だった。
魔女の禁術を封じた場所。とある神話から知識の泉と言われるその場所は、過去の戦役で使われた大量殺戮を目的とした大魔法や不老不死、時空転移といった人の領分を超えて神へと近づく魔法が全て強力な力で封じ込められているという。カンパーニュの胸は高鳴った。どこかにある宝物を求めて当てもなく、だが強い確信を持って始まる冒険なんて、まさに物語の主人公のようだった。
カンパーニュの好奇心を刺激したことに気付いた老婆は、
「でも、絶対に探しちゃいけないよ。その魔法は禁じられているものだからね」
と釘を刺したが、少しばかり気付くのが遅かった。
カンパーニュの中では既に決まってしまっていたのだ。これから自分が大冒険に旅立つことが。
この時代に街の外をふらふらと歩きまわるのは誰にとっても危険なことだった。野生動物も出れば野盗も出る。傭兵や騎士を護衛につけるのが普通の時代に十歳の少女が家を飛び出したとなれば、もう帰ってくる見込みはないと考えられていた。
準備は入念に行った。お小遣いをコツコツとためて食べ物には困らないようにした。療養所の老婆から少しずつ教えてもらった治癒魔法はもちろん、書籍で公開されるレベルの下級の魔法をいくつか覚えた。並みの才能しかなければきっとここで諦めていたことだろう。魔女になりたいという稀有な存在は、教会の管理する魔法研修を受けて登録を行うことで魔法を習得する。まだ分別もつかない少女が独学で覚えてしまうなど、誰が予想することができただろうか。その成果は小さな火をおこしたり、強い風をおこして身を守る程度のものだったが、今まで力を持たなかったカンパーニュにはとても心強く思えた。
決行の日は晴れの日を選んだ。あえてお昼間に遊びに行くように見せかければ探し始めるまで時間がかかると思った。目指す場所は決めていなかった。でも辿り着ける確信はあった。あの日からずっと呼ばれている気がするのだ。人ではない何かに、呼び起こせと。
街の市場でいくらかのパンを買って、カンパーニュは周りの大人たちに見咎められぬよう、こっそりと街を出た。よく晴れて太陽が照りつける街道は照り返しで目が眩むほどだった。初めて街から出たカンパーニュにはどこも輝いて見える。呆然と立ち尽くす彼女にまた何かが呼びかける。
『こちらに来い、呼び起こせ』
『お前の欲するものはここにある』
そう言っている。カンパーニュは辺りを見回して、やがて一歩目を踏み出す。緑の多いこの国でどこかから借りてきたようにそびえ立つ、岩肌のめくれあがったあの方へ。子供の足にはそれなりに辛い道程だ。整備されているとはいえ、黒土を叩いて固めただけの地面にはそこらじゅうに石が落ちているし、容赦なく降り注ぐ太陽から逃げる術をカンパーニュは持ち合わせていなかった。それでもゆっくりと確実に近づいていた。やがて街道が足元から消え、黒が緑色に、緑色が灰色に変わった。
作品名:主人公症候群~ヒロイックシンドローム~ 作家名:神坂 理樹人