主人公症候群~ヒロイックシンドローム~
城下から数十キロメートル離れた港町についたのは明け方すぐのことだった。本来なら昼前にはつけばいいと思っていたのだが、行商人の馬車に運良く出会い、荷車の一端を借りることが出来たリュスティックは、断る行商人に少しの気持ちを握らせて宿に駆け込んだ。人々がカンパーニュの姿を知らないことをいいことに宿に立ち寄ることもありうると思えた。
「もし、こちらに若い男と十歳くらいの少女が泊まってはいませんでしたか?」
駆け込んだ先で目を見開いたままの店主にぶしつけに尋ねる。
「何なんだ、急に! って団長様じゃないか。人探しの仕事かい?」
歴代でもこれほど軽く口を聞かれる騎士団長も珍しいが、いつものことだ。それにリュスティック自身もこのくらいの関係が気に入っていた。
「えぇ、そうなんです。黒い服に金色のボタンの男です。少女は頭の大きなリボンが特徴なのですが」
「うーん、少なくとも泊まった客にはいなかったな。今の時間なら向かいの食堂に商人達が集まってるだろうし、ちょっと聞いてきたらいいんじゃないか?」
「ありがとうございます。では、失礼」
会釈もそこそこに、リュスティックは道路を横切って向かいの食堂に飛び込んだ。その様子を見た商人たちの顔には揃って、あぁまた団長様が慌ててるよ、と書いてある。
「いらっしゃい、団長様。って言っても悠長に朝食って感じでもないね」
エプロンと三角巾をつけた初老の女性が声をかける。夜は酒が出るせいもあって荒れた客が因縁をつけ合うことも少なくないため、リュスティックとはよくよく顔馴染みだ。
「人を探しているのです。黒い服の男と十ばかりの少女なのですが」
「うちには来てないねぇ。朝市から帰ってきたのもいるからちょっと聞いてみるよ」
そういうと女性は厨房からお玉と鍋を持ってきて、豪快に打ち付ける。金属のぶつかる音が食堂内に響き渡った。談笑していた客たちがピタリと話をやめて、静寂が広がっていく。
「団長様が人探ししてるらしいよ。黒服の男と女の子だって。見た奴はいるかい?」
一人がその言葉に思い立ったように立ち上がる。黒く焼けた筋肉質の男だ。畑仕事をして、市場で販売までやっているのだろう。
「うちにそんな感じの奴らが来てたぞ。見たことない服の男と懐かしい染物の服の女の子だったな」
「本当ですか? それでどこかに行くと言ってはいませんでしたか?」
「さすがに一見様とそこまでは話せねぇよ。ただ、俺が日よけに持ってきた藁屑なんか欲しがってな。いらないものだからあげちまったけど」
「藁屑を、ですか?」
「あぁ、結構な量を持っていったぞ」
「そうですか、貴重な情報の提供をありがとうございます」
何故そんなものを欲しがったのかはわからなかったが、少なくともあてずっぽうに飛び出した先が運よく正解だったことにリュスティックは安堵した。これで何の収穫もなしに帰ってはまたペイザンヌの笑い種になるばかりだ。
「それではお忙しいところにお邪魔して失礼いたしました」
去ろうとするリュスティックに一つ、皮袋が渡される。中には少し焦げたパンが一つ、香ばしい香りを運んでいた
「持っていきなよ。いつものお礼だからお代は要らないよ」
「おう、じゃあうちの売れ残りで良けりゃ持っていけよ」
「うちのもあるぞ」
野菜や果物、ハムなんかが次々に放り込まれ、いっぱいで溢れそうになってきた。両手でしっかりと持っていてもずしりと重い。
まさにリュスティックがこれまでに積み上げた信頼と実績の証のようだった。たとえ人を討たずとも彼が国を守る騎士である何よりの証明だった。
「ありがとうございます」
リュスティックはもう一度深く頭を下げ、食堂を後にした。
朝市が終わったとは言っても、城下から最も近いこの町はそれなりの活気で、市場は盛り上がっていた。今はもう加工食品が主なところで、そこかしこから燻製用チップの香りが漂ってくる。
藁屑を持っていった理由は未だに見当がつかなかったが、二人の行先についてリュスティックは一つだけ心当たりがあった。騎士団に入る前、勉学のためありとあらゆる書物に目を通していた時に知った場所だ。
「知識の泉、でしたか」
若干うろ覚えなのは自分の頭の弱さ故だが、それはもはや致し方ない。ただ確実に覚えているのは、古来より魔法の内で禁術とされたものが封印されている場所があるということだった。不老の術を持つ彼女がその場所を知っている可能性は高い。この逃走劇にあたって新たに何か事を起こす可能性もないではなかった。なにせ彼女にとって魔法は悪戯に過ぎないと言われるほどだ。女王は何よりもその無垢さを危惧していた。
その封印がどこにあるのかはわからなかったが、リュスティックの足はふらりと一つの場所に向かって歩み始めていた。この町から太陽が沈む方角にある殺風景な岩山の方だった。カンパーニュが長らく暮らしていたように滅多に人が立ち入らない場所だ。その程度の合致では根拠にすらならないことをリュスティックはわかってはいたが、どうにも引き込まれるような魅力がある。あるいは自分の求める答えがそこに待っているのかもしれなかった。
「我ながらスマートではないですね」
そう悪態をついてみたが、今までだってスマートに事を運べたことなど数えるほどしかない。両手いっぱいの食料を抱えて、リュスティックはピクニックにでも行くように歩き始める。この胸騒ぎはもしかすると英雄志願にだけ感じる何かなのかもしれない。
比較的緑の豊かなこのブランジェリー王国では、不毛な土地は少ない。それでもこのようにところどころに岩肌が露出していたり、どこかから運ばれてきたように小さな砂地になっている場所がある。少し前までは自然の多様さくらいにしか考えていなかったが、今思えば、魔法という超自然現象によって生じたと考えることも出来るのではないかと思えてくる。
「そういえば、あの森の奥にもありましたね、岩山が」
もしかすると古くに魔女たちが壊した名残なのかもしれないとすら思えてくる。今回のあてが外れたら、それを基軸に探してもいいかもしれない。
街道から外れると急に人気は消え、昼間だというのに物寂しい気配で、自分が違う世界に迷い込んだような錯覚すら覚えた。それほど高くはない赤茶色に抉れた岩肌が少しずつ視界を埋めていく。リュスティックはさして辺りを見回すでもなく片手にかじりかけパンを一切れ持って、ゆっくりと歩き続けていた。早く追わねばならないという気持ちとあの男と会ったところで何ができるでもない不安が左右の足にしがみついてうまく前に進めなかった。
今こうして魔女を追っている事実も、城下や町で暮らしている市民にとっては物語の主人公のような体験なのかもしれない。ペイザンヌがしきりに私の話を聞きたがるのも一冊の小説でも読んでいるような気分に浸れるからなのかもしれなかった。ただリュスティック本人にしてみれば、今この状況も心境も紛れもなく現実であり、果たさなくてはならない目的だった。だとすれば私たちは誰もが主人公になることなどなく、また英雄と呼ばれたところでそれは現実に付けられた俗称に過ぎないのかもしれない。
作品名:主人公症候群~ヒロイックシンドローム~ 作家名:神坂 理樹人