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神坂 理樹人
神坂 理樹人
novelistID. 34601
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主人公症候群~ヒロイックシンドローム~

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 急いでいたつもりはないが、とうとう麓までついてしまった。地面は赤茶色に変わり、踏みしめるごとに平らではない地面に違和感を覚える。そしてその先に、リュスティックはあの男の姿を見た。
「来たか」
 あの男の反応はひどくこざっぱりしていた。まるでリュスティックがここに来ることを予想していたようだった。隣で呆然と驚いているカンパーニュの顔とコントラストが効いて、余計にそう見える。
「カンパーニュ、先に行っててくれるか?」
「え? でも」
 渋る様子を見せる彼女の肩を無言で押す。
「後で必ず行く。こいつとの決着をつけたらな」
 お互いに見つめ合っていたのはどのくらいの間だったか。何も言わず、カンパーニュは駆け出した。リュスティックにとっての本来の目的ではあったが、今は追うつもりはない。小さくなる影を動くことなく見つめるばかりだ。
「いいのか、追わなくて。指名手配犯なんだろ?」
「今は公務で来てはいない。それはこの後、お前に問うた後でいい」
「奇遇だな、俺もお前と一戦やりたかったんだ」
 あの時と同じように、両の掌をこちらにかざすように構えを取った。一見すれば逃げのように思えるそれだが、この男が取れば一瞬にして空気が張り詰める。もはやリュスティックにもよくわかっていた。彼の手がリュスティックにとっての剣と同じであることを。
「英雄とは、何だ?」
「ヒーローの条件は、決着をつけるべき相手がいることだ」
 凛とした声が響く。風に運ばれて砂塵が足元を舞った。柄に手をかけ、一気に引き抜いた。もはや後戻りはない。ざらつく不安定な地面を蹴って、リュスティックは剣を振り上げた。
「はあああああ!」
 張り上げた声は不安を吹き飛ばすには少々物足りなかった。振り下ろさんとした先にもう敵の姿はない。
「どこを見てるんだ?」
 冷酷な問いかけが足元から湧いてくる。剣の柄はしっかりと手で押さえられている。それを知覚した時、男の空いている手はリュスティックの腹を痛打していた。
「かっ」
 肺の中に溜めこまれた空気が、無意味な言葉とともに吐き出される。先ほどとは真逆に地面を蹴って大きく飛び退いた。
「どうした? この前よりキレがないな」
 男は特別追いかけるでもなくまた両の掌をリュスティックにかざしている。冷静で迷いがない。恐怖もない。ただ自分の勝利を確信しているわけでもない。ただ目の前に敵を倒すために必要な行動をしているだけだ。
 気楽なものだな、と心の中で悪態をつく。リュスティックには圧倒的に覚悟が足りていなかった。相手に殴られる覚悟も、相手を斬る覚悟も。
 ここでこの男を斬れば、私は英雄であると言えるのか? そんな気持ちが頭の隅を蝿のように飛び回ってうずうずする。剣で斬れば人は死ぬ。その後でも私は私であると言えるのか?
 ぼうっとしたリュスティックの顔に高速の拳が飛び込んでくる。大きく身を仰け反らせてかわした先に、もう一方の拳が追い打った。以前と同じ轍は踏まない。しっかりと握った柄で拳を受け止める。
 硬いもの同士がぶつかり合う音。反動を飛び退いて殺し、敵と正対する。あの男に痛覚はないのか? 金属製の柄をまともに殴ったはずの男は顔色一つ変えることなく、リュスティックを見つめていた。
 これが英雄か? 何にも恐れることなく、目の前の敵と認めたものを砕く。それが英雄たる条件なのか? それなら父、バタールは間違いなく英雄だろう。国のために敵を砕き続けたのだから。だが、違う。それはリュスティックが出した答えではなかった。
 違う。私は、父の、いかなる時も優しかった父の、あの姿こそ英雄だったのだ。
 砕くのは敵だ。だがそれは国のためではない。王のためでもない。己とその大切な人のためのものだ。ならば私は。
 リュスティックが一閃を振るう。王国で最も華麗と謳われたそれはまさしく優雅で、一切の無駄もない。その切っ先が男の腕を掠める。紅い鮮血が花のように舞って、リュスティックの剣の軌跡を彩った。男の右腕から血が滴り落ちる。模擬戦ではない。リュスティックは初めて人を斬ったことを自分の中で精一杯処理していた。男は、戦意を失った様子はない。むしろ昂ってすらいるように見えた。口の端に笑みが零れている。楽しんでいるのだ、この戦いを。
「何故だ! 何故そんな顔が出来る? 痛まないのか、傷が!」
「そんなものはどうでもいい。今受けたこの傷も、拳に残る痺れた感覚も、全てが俺の望みだ。戦うこと、ヒーローの条件は、誰かのために戦うことだ」
 結論はお互いに同じだった。それなのに二人は平行線のように心が交わることはない。
 ただ一つ、わかったことがあるとするならば、この男は操られているわけではない。自分の英雄譚に都合よく舞い込んで来たのだ、彼女が。それはつまり彼にとっても彼女は厄災だったのかもしれない。
「その誰かがこの国で厄災と呼ばれた魔女であってもか? お前にとっては、理由になれば誰でもいいというのか?」
 その言葉に男の顔が変わる。
「どういうことだ?」
「知らないなら教えよう。あの少女の、紅蓮の厄災と呼ばれる魔女、カンパーニュの正体を」

 切っ先についた血を振り払い、リュスティックは剣を収める。もはや必要はない。男は滴る血を気にする様子もなく、愕然として地に座り込んでいる。リュスティックは手持ちの布を取り出して、男の腕に巻きつけた。ないよりは幾分か具合がいいだろう。
「今の話は」
「紛れもない事実です。信じるかは、あなたに任せよう」
 その言葉に、ふらりと虚ろな目で立ち上がる。
「まさか、彼女の元に行くのか?」
「あぁ、約束したからな、後から行くって」
「私の言葉は信じられないか?」
 いや、と首を振って男は否定する。
「戦ってみれば、人の心が見えてくる、ってのは俺の親父の言だけどな。実際結構わかるもんだよ、お前がまともだってことも、その癖無意味に頭の中で悩んでることも」
 男が傷口に巻いた赤く染まりつつある布を撫でる。
「ヒーローの条件は、約束を決して破らないことだ。この後の決着は俺自身でつける」
 儚げな足取りで男はカンパーニュが行った道をゆっくりと歩き始めた。リュスティックはこの先にカンパーニュがいることがわかっていながら追いかけることが出来なかった。あの男の英雄譚を勝手に邪魔してはいけない。そう思えた。男はこちらを二、三度振り返ると、足を止め、こちらに向き直った。
「ついて来ないのか? 俺はこれからお前が追っているそのカンパーニュのところに行くんだぜ?」
「いえ、今は遠慮しておきます。あなたの決着に私が出てもいけないでしょう」
 この場でリュスティックの決着はついていた。多少の無理も通して来ている。早く日常に戻るために行動する必要もあった。ペイザンヌはうまくやってくれているだろうが、女王の呆れた顔が簡単に脳裏に浮かんだ。
「私は城に戻ります。あなたの答えが出たら、どうかまた会いましょう」
 男は何も答えなかった。また岩山の方へと向き直ると、今度は振り返ることなくまっすぐに歩き出した。リュスティックももうその背を見なかった。お互いに背中を向けたまま離れていく。
「また、会いましょう」