小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

(続)湯西川にて 31~35

INDEX|6ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 



(続)湯西川にて (35)公衆浴場「薬師の湯」



 伴久ホテルの女将から、リハビリも兼ねて公衆浴場へ出かけたらどうか
と勧められた俊彦が、湯西川にふたつある公衆浴場のうちのひとつ、
「薬師の湯」へ毎日通うという日課がはじまりました。


 湯西川温泉街の中心部を抜け、茅葺き屋根の平家集落がよく見える
大きな橋のたもとにあるY字路の手前には、土産物屋の
「柏屋」が建っています。
公衆浴場「薬師の湯」へは、その隣にある細い道を入ります。


 この細い道は、太鼓橋状にカーブをした小さな橋へと続いていて、
橋のたもとにくたびれかけたと言える、木造の湯の小屋が建っています。
「共同浴場入浴の心得」と書かれた金属製の板は、
もう周りがすっかりと錆びついています。
入り口のあたりを、どこぞの猫たちが、ひょいひょいと我がもの顔で
横切っていきます。
このあたりに住み着いているものなのか、それともどこぞの家で
飼われているものなのか、猫がウロウロとしているだけでも、
わびしい気分が増してくるからなんとも不思議な山奥の光景です。


 入り口の引き戸を開けると、右手に脱衣所があり、
左側が浴室にあたります。
どちらも完全に男女共用で、ここでの入浴は混浴が当たり前のようです。
先客が一人だけいて、入浴の真っ最中です。
チラリとそれとなく覗いてみると、少しばかり気むずかしそうに思える、
年輩の地元女性らしい一人です。


 「入らせてもらっても、宜しいですか?」と俊彦が声をかけると


 「また、あんたかい。
 いちいち声をかけんでも、遠慮をせずに入るがいいさ。
 若い頃なら、嫌だとも言うが、もうこの歳になれば見せるものは
 何一つ無い。
 大騒ぎをしたところで、近所の笑い話でおしまいだ。
 遠慮などせずに、ずっと奥まで入るがいい。
 どこぞに泊まっていると言いなさったかね、都会の方から来たと
 聞いた覚えが有るが・・・」


 「伴久ホテルに宿泊です。
 都会者ではありません。山を越えた隣の群馬県で、
 桐生と言う、古いだけが取り柄の田舎町からやってきました」


 「そうだ、そうだ。
 ようやくに思いだした、桐生からの客人だ。
 それにしても、ずいぶんと辺鄙な処にまでご苦労さんなことだ。
 兄さん。足が不自由なようで、大きな傷跡なんぞも見えるようだが、
 どこぞで、交通事故でも起こしたか?
 ここの湯は、打ち身の痛みにもよく効くし、
 神経痛にも効果が有ると評判だ。
 ゆっくりと、温まっていきやっせ。わしはもう、あがるでなぁ」


 ポンと肩へ手拭いを乗せた女性は、そのままザブンと立ち上がり、
なにひとつ隠さぬ格好のまま、堂々と俊彦の前を横切って
脱衣所へと向かいます。
石をそのままくりぬいた浴槽の上部には、源泉からの熱湯が直接、
パイプから注ぎこまれるような形になっています。


(熱さの調節は、どうするのだろう・・・)と探していくと、
源泉の隣のパイプが、川から引いてきた冷水になっていました。
こちらは出口の処に三ヶ所ほど穴を開けた桶をくくりつけてあり、
お手製ともいえるじょうろのように形になっています。

 開け放した窓からは道路が、湯船に浸かった目線よりも、
少しばかり高い位置に見えます。
周囲の畑や川沿いの小路からも、見るからに「まる見え」という
風情が漂っています。
お湯は無色透明で柔らかい感触があり、ほのかに、
ゆで卵のような臭いが有ります。
細かい湯の花が、お湯の表面に無数に浮いています。
温度は熱めですがかなり加水がされていて、入れないほどの
熱さではありません。
無人と化した浴槽の中で俊彦が、うう~んと大きく
精一杯の伸びをしています・・・・



 湯上がりの俊彦が、ゆるくアーチを描いている橋を渡りはじめました。
対岸をめざしてアーチ橋の真ん中あたりまで進んだところで、
ふと立ち止まります。
足元を流れていく湯西川の、エメラルド色の川面の輝きに
思わず心を奪われて、足を止め、水の流れを見つめ始めてしまいます。
綺麗に広がる景色の中には、先ほどまでの公衆浴場をはじめ、
川沿いに有るあちこちの旅館の露天風呂の様子が視界に入ってきました。
ほとんどがまったくのむき出しの状態で、まさに
無防備そのものともいえる光景です。
(なんという景色だ・・・・ここの温泉は・・・)
思わず目のやりどころに、俊彦が困ってしまいます。


 (なるほどなぁ。
 4年前に板前の修業を始めたころは、まったく気がつかずにいたが、
 湯西川と言う隠れ里の温泉は、のどかすぎるというか、
 解放的すぎるというか、
 あまり人の目を気にしなくてもすむという、人情味のある温泉町だ。
 いや、そうでもないのか・・・・
 俺たちの場合は、たぶん、特別なケースすぎたんだ。
 清子との短い暮らしにも、あの頃のいくつかの出来事にも、
 なんだか秘密めいたものが潜んでいた。
 周りの祝福を求めるどころか、考えてみれば、人の目を盗むようにして
 俺たちは、短い間を付き合った。
 そりゃそうだ・・・・
 これから売り出しの芸者に男がいたのでは体面が悪い。
 それにしても、俺たちの別れは突然にやってきた。
 理由も告げず、俺たちは一方的な清子の言い分で分かれることに
 なったんだが、背景には一体、何があったんだろう・・・・
 あのまま切れたはずの俺たちの縁の糸が、なんかの具合で、こうして
 いまだにつながったままでいる。
 俺たちを、繋いでいるものは、いったいどんなものだろう・・・・
 そいつが何なのか、今の俺には、まったく検討がつかない)

 

 「ごきげんよう。俊彦さん」


 背中から聞こえたさわやかな女性の声に、俊彦があわてて振り返ります。
小さな子供の手を引いた日傘の女性が親しみを込めて、
俊彦の背後で微笑んでいます。
笑顔の主は、昼下がりを子供と一緒に散歩を楽しんでいるような
雰囲気を漂わせている伴久ホテルの女将です。

 連れていたショートカットの女の子は、俊彦と目が有った瞬間に、
素早く、女将の腰に隠れてしまいました。
女将の目線が、あわてて自分の背後へ隠れていく女の子の様子を、
優しく微笑んだまま追いかけていきます。


 「こんにちは。」と俊彦が会釈をすると、
予想に反して女の子が、女将の反対側の腰からひよっこりと、
また顔を出します。

 
 「先にご挨拶などをいただきました、あなたへ。
 ほうら、響ちゃん。ちゃんと、お返事を返すことができますか?」


 女将が女の子の顔を、優しく見つめています。
女将の顔を見あげている少女は当惑をしたまま、目をパチパチさせ、
しばらく時を過ごしますが、やがて見る目にも歴然と、
固まりはじめてしまいます。


 「やっぱり初対面では、恥ずかしすぎて、ダメかしらねぇ・・・・」


 女将があきらめたように、助け舟を出します。
固まりきっていた少女の小さな頭が、コクンとひとつ、
ほっとしたように動いたあと恥ずかしそうな笑顔を見せてから、再び、
女将の腰へと隠れてしまいます。


 「仕方ありませんね。では、ご挨拶はまた後ほどに」と会釈を残し