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リコーダーの音色

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演奏を終えて、椅子に座る。僕をじっと見る視線がある。でも、その視線の方に目を向けることは怖くてできない。山口さんは間違いなく僕を見ていた。僕の演奏に感動してくれたのだろうか? そうだとしたら、とてもうれしい。それだけで充分だとそう思った。
授業が終わり、音楽室から自分のクラスの教室へと戻る。僕はわざと最後に音楽室を出た。クラスメイトはほとんど廊下を曲がって見えなくなっている。でも、一人だけ角を曲がらずに立ち止っている女の子がいた。少し驚いて僕は立ち止った。山口さんだった。彼女は僕の方に近づいてくる。
「スカボローフェア、すごく良かったよ。あんなに綺麗な音色は初めて聴いた」
 山口さんは微笑み、それだけを言うと教室に向かって走って行った。唖然とした僕は山口さんを引き留めることもできずにただその場に立ち尽くしてしまった。
うれしいと感じる間もなく、返事をする間もなく、階段を下りてゆく山口さんの足音をただ聞いているだけだった。でも、教室に戻る途中の廊下で、僕の心の中にさっき感じたものとは別の何とも言えない喜びがじんわりと広がっていった。
 

家の前のイチョウの葉っぱがすべて枯れ落ち、庭の土に霜が立つようになった。冬は朝日が入らなくなる僕の部屋はとても冷えて刺すような空気に支配されている。目が覚めるとすぐに布団の中で寝たまま、暖房のスイッチを入れる。部屋が暖まるまで、そのまま布団の中で丸くなる。十分間ほどのその時間、僕はいつも山口さんのことを考えていた。
あの音楽の授業の後に僕に声をかけてくれたこと。あの時の喜びはいまだにハッキリと心の中に刻み込まれている。
山口さんは相変わらず、皆の輪の中に入っていくこともなく休み時間も下校の時も一人だった。いじめられっこでもないのに、いつも一人でいるのがとても不思議だった。いや、みんなと会話をほとんどしないのにクラスから疎外されないことがとても不思議だった。おそらく、みんな山口さんに対しては友達とは違う何か特別な感情があるのだろう。
 僕はやっぱり、山口さんのことが好きだった。でも、付き合いたいだなんて思わない。そんなことはとても現実離れしたことだと、どんなに祈っても叶わないことなのだろうとそう思っていたからだ。
 あの音楽の授業以来、山口さんと話したことは一度もなかった。僕は気づかれないようにそっと、休み時間に読書をしている山口さんの顔を見ることしかできなかった。なんでもいいから話がしたい。ずっと、そう思っていたが、何もできないまま二学期が終り、冬休みをむかえてしまった。

 何も変わったことがないまま冬休みも半分が過ぎ、大晦日を迎えた。除夜の鐘が鳴り響く中、僕は家族で近所の大きなお寺に初もうでに出かけた。昼間は雨が降っていたのだが、夜には雨が上がり、空はすっかり晴れて星がたくさん光っている。空気も澄んでいて、鐘の音がおなかの底まで響いてきた。
 お寺に着くと、もうたくさんの人がお参りに来ていた。この地域に住んでいるほとんどの人はこのお寺に初詣に来る。クラスメイトももちろんこのお寺に来ていて、すでに三人の友達と会った。そして短い参道を通って、本堂まで来た。賽銭箱の前にはお参りの行列ができている。
 どのくらい待つのかなあと思い、賽銭箱の方を見上げた。するとそこに背の高い男の人とやはり背の高い女の人に挟まれた山口さんを見つけた。きっと家族でお参りに来ているのだろう。僕と山口さんの間にはたくさんの人がいるので、声をかけることはできない。いや、たとえ、自分のすぐ前の列に山口さんがいたとしても、話しかけることなんてできないだろうけど。
 山口さんは隣にいる背の高い女の人から小銭を受けてとって賽銭箱に投げ入れ、両手を合わせて少しうつむいてお祈りをした。一瞬、横顔が見えた。その顔はなんだかとても寂しそうに見えた。
 なかなかお祈りを止めない山口さんに隣の背の高い男の人が、もう行くよと言うように肩を軽く叩いた。御堂の左の通路の方に歩いて行った山口さんの顔はすぐに人ごみに紛れて見えなくなった。それまでワクワクしていた僕の心は一瞬にして、暗くなった。
 御堂の中に入って賽銭箱の前に着いた。お母さんから五円玉を受け取って、賽銭箱に投げ入れる。僕は山口さんが元気になりますようにと、神様にお願いした。

 冬休みが終って二日目のホームルームの時、先生がみんなに話しがあると言った。今月末に山口さんがお父さんの仕事の都合で引っ越すので転校するとのことだった。山口さんは先生の横に立って、みんなと過ごすのはあとすこしだけど、最後までよろしくお願いしますと言った。
 山口さんはあまり感情を出さずに、誰の顔も見ずに、教室の後ろにある掲示物のあたりをじっと見つめていた。僕は山口さんの顔から目を逸らし、うつむいた。でも、すぐには寂しいとか悲しいとか思わなかった。山口さんがもうすぐいなくなってしまうんだという事実は、僕の脳みその表面に張り付けられただけで、まだ中までは沁み込んでいないのだろう。
 それからの数日間はあっという間に過ぎ去った。僕はまだ山口さんがいなくなることが本当のことだとは思えずにいた。今日の授業が終ったら、もう会えなくなるんだとそう思っても、どうしても実感がわかなかった。
 山口さんとは一言しか話していない。いや、あの音楽の授業の後に話しかけられただけで、僕の方からは何もしゃべっていない。どうして僕はそんな女の子のことが好きなのだろう? 
本当に自分は山口さんのことが好きなのだろうか? 僕はよくわからなくなった。でも、きっとこれは先生に聞くことでもお父さんやお母さんに聞くことでもないのだろう。
 でも、今日の帰りのホームルームが終ったら、山口さんとはお別れになるのだ。ずっと、心の中で望んでいた会話をするということが完全にできないままになるのだ。今思うと僕は山口さんのことを考えるとき、普段の自分とは違う不思議な感覚に包まれていた。友達と何も考えずに遊んでいるときとは全く違う。自分が少し大人になったような……それがどういう感覚なのかもわからないのだけれど、なんだか普段はあまり考えないような難しいことを考えているようなそんな感じがしていた。

 今日の最後の授業が終わり、後はホームルームを残すだけとなった。山口さんがお別れの挨拶をした。
「短い間だったけど、みんなとすごした時間はとても楽しかったです。このクラスの雰囲気がとても好きでした。みんな元気で頑張ってください。わたしもあたらしい学校で頑張ります。ありがとうございました」
 クラスメイトのみんなから拍手が起きた。でも、山口さんに声をかけるクラスメイトは誰もいなかった。もちろん、嫌っていたわけではない。なんて言って良いのかみんなわからなかったのだ。
 山口さんが自分の席に戻った。そして引き出しの中にメモ紙があることに気づき、その紙をみた。山口さんはその紙の内容を読んだ後に僕の方を見た。僕は勇気を出して、山口さんの目を見て、無言で自分の気持ちを送った。
作品名:リコーダーの音色 作家名:STAYFREE