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リコーダーの音色

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 音楽室の前の廊下は日の光も入ってこずにとても寒かった。外はどんよりと曇っている。1月の終わりなのだから寒いのは当たり前なのだけど、心の中にある寂しさや不安が余計にそう感じさせるのかもしれない。   
 “伝えたいことがあるのでホームルームが終ったら、音楽室の前の廊下にきてください”
 メモ紙にはそう書いた。山口さんはきてくれるだろうか? 不安だったけど信じるしかなかった。
 階段を上がってくる足音がした。たった一人だけの足音だ。この階には誰もいないのでよく聞こえる。
 山口さんは来てくれた。僕との距離を少し保ったまま、山口さんは言った。
「伝えたいことって……」
 山口さんの言葉を遮るように僕はリコーダーを自分の口元に寄せた。そして、気持ちを込めて、自分が大好きなあの曲を吹き始めた。

“Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary, and thyme
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine”

 誰もいない廊下にリコーダーの澄んだ音色が響き渡る。音楽室で演奏した時よりもエコーがかかって、本当に綺麗な音色に聴こえる。途中で顔を上げて、山口さんの顔を見た。その時に僕の目から涙が零れ落ちた。悲しい涙なのか、寂しい涙なのか、それとも山口さんの前で自分の気持ちを伝えている嬉しさからくる涙なのかはわからない。
 スカボローフェアの曲を演奏し終えた。山口さんは僕の目をじっと見ている。そして、こちらの方に向かって歩いてきた。ゆっくりと数歩、そして小走りになって僕との距離が詰まっていく。
 その数秒後、山口さんは僕にキスをした。そして微笑んだ。三秒間。その後、何も言わずに僕の目をみつめたまま、教室の角まで後ずさりして、クルリと体を回転させて、僕の視界から消えて行った。
「さようなら」と小さな声で僕は言った。でも、きっとその声は聞こえなかっただろう。山口さんが階段を下りて行くその足音が廊下に微かに響く。
結局、僕は一度も山口さんに話しかけることはできなかった。でも、最後に自分の気持ちを伝えることはできた。
さっきまで暗かった廊下に外の光が少しだけ、差し込んできた。

※   ※     ※

 職員用の通用口から校舎に入り、二階にある職員室へと向かう。この学校に音楽教師として赴任してから、三か月が経った。もう、懐かしさには慣れて心地よさへと変わっていた。昔から変わらない校舎は穏やかで心を落ち着かせる空気に満ちている。
今日の音楽の授業はリコーダーの時間。課題曲はスカボローフェアにした。先週の授業の時に一人の児童に演奏してもらうことを伝えてある。
授業が始まり、その児童が演奏する時になった。児童は緊張のためか、リコーダーの穴を抑える指がおぼつかない。メロディは途切れ途切れになり、綺麗な音色には程遠かった。   
でも、だんだん慣れてきて演奏は落ち着いていき、最後の一節はミスすることなく綺麗に演奏することができた。
「最初はすこし支えたけど、最後の方は良く演奏できていたぞ」
 僕は微笑んで、その児童に言った。児童は緊張から解き放たれて笑顔になった。
 授業が終わり、廊下に出る。僕の頭の中にはあの時のことがよみがえっていた。職員室に戻り、教科書を机の上に置く。
 授業を終えて、僕は無性にあの音色を奏でたくなった。学校を出て、裏にある河原の土手に上る。ズボンの後ろポケットからリコーダーを取り出し、何度も何度も演奏したあの曲の音階の穴に指を置く。目を瞑り、曲を演奏し始める。心が洗われて、懐かしい思いがよみがえって、切なさが押し寄せてくる……。
 もうすぐ、曲がおわる。その時に誰かの足音がした。風が吹いて女性の匂いがした。
そして、目を開けるとそこには白いブラウスに水色のスカートをはいた髪の長い女性が僕の目を見つめて、優しく微笑んでいた。
作品名:リコーダーの音色 作家名:STAYFREE