机ノ上ノ空ノ日記 1
20131003
その生き物はアスファルトの上を走っていた。
いや、走っているつもりだったが、まったく緩慢な動きだった。ヨタヨタと前に出ているだけだ。ここ数日、まともなものを食べていないのだ。これが精一杯の動きだった。
「ねずみなのに、なんか遅いね…」
それでも車の行き交う交差点内に侵入してしまった以上、なんとか脱出しなくては。
しかし、大きく太い車輪がいくつも飛び交ってくる。
恐ろしい。あんなものに巻き込まれたら、この小さな体は一瞬でバラバラにされ、小さな肉片をアスファルトにぶちまけることだろう。
!!
しっぽを踏みつぶされた!
激痛が体を走る。のけぞった躯が動かない。
激痛が恐怖に変わる直前、大きな黒い物体が、全く無慈悲に小さな体を粉々に粉砕し、意識を肉片へと塗りつぶして通り過ぎた。
「うわ...。見なきゃ良かった」
「わたし、鳩が車輪に巻き込まれたの見た事あるよ」
恵比寿西の交差点で、小さな命は交差点で信号待ちしていた人間の記憶の中に、惨劇の一コマとして刷り込まれた。
全くなんて一日だ。仕事帰りにこんな気分になるなんて。
おそらく小さなドブネズミをひき殺した軽自動車のドライバーは、路面にネズミが居た事に全く気づいていなかったことだろう。そのくらい、小さな命だった。
命とは何なんだ。死の瞬間ってどうなんだ。
ちっぽけな、薄汚れたネズミは、私にその命を以てそんな問いを投げかけた。
「全く、なんて一日だ。」
自転車のペダルを全速力で踏みながら、私は部屋に着いたら直ぐに湯船に湯を張ってこの忌々しい記憶を洗い流そうと心に決めた。
そして、湯を触媒として現れる自分に、死について訊いてみようと考えた。
そうだ、浴槽に現れる自分に似た存在のことをドッペルゲンガーと名付けよう!
…その事に気を悪くしたのか、その日はドッペルゲンガー氏はユニットバスには降りてこなかった。
更にユニットバスの湯水では、ネズミの惨劇を浄化することもできなかった。
そんな一日もあるのだ。諦めるしかないのだろう。ネズミも私も全く災難な一日だったというほかは無い。
作品名:机ノ上ノ空ノ日記 1 作家名:机零四