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机ノ上ノ空ノ日記 1

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20130714

雷が鳴っている。

午前中、恐ろしい暑さをまき散らしていた盛夏の太陽はいつの間にか雷雲に隠れていた。
デジタル時計の文字盤は、17:32と表示されていた。

木の椅子の座面で充電していたスマートフォンを手に取ったその刹那。

青い閃光が見えて、1秒とかからず轟音が轟いた。
かなり近くに雷が落ちたのだ。

自分のここまでの人生の中で、一番近い距離に雷が落ちた。
そんな事に感動を覚えるほど、今日は心が動く出来事がなかったのだ。

部屋のブラインドを指で広げて、外を見てみると大粒の雨が窓を伝っていく筋もの流れをつくっていた。

部屋の前の横断歩道には全速力で走るスエット姿の男性が見え、彼の後ろで横断歩道の信号機がせかすように青く点滅している。

連休の初日ではあったが、私はこんな調子でずっと退屈な部屋にいた。
昨日の疲れが残っていたのと、太陽の熱波の強さに、早々に白旗を揚げてしまったからだ。

私たち昭和の義務教育を受けた世代は、日本は温暖湿潤気候であると教わったが、今はどうなのだろう?39度の気温まで上昇し、スコールも降る。温暖というより亜熱帯的な風土になりつつあるような印象を受ける。

地球温暖化という言葉を聞かなくなって久しい。

そんな都心の熱波をやり過ごすには、自分の部屋に籠っておとなしくしているに限る。

クーラーの聞いた私の部屋は、退屈ではあるが、なかなか快適な空間でもある。

手に取ったリンゴマークの型落ちしたスマートフォンを起動させる。
何度も落下させてしまったから、背面にはカラスアゲハのようなヒビが入っている。

最近、またスマートフォンのゲームアプリに夢中になっているのだ。
今日はそれをいじりながらダラダラと過ごしてしまった。

連休初日であることと外の熱波とのせいで、自分と同じ休日の過ごし方を選択している大人は、想像以上に多かったらしい。
その証拠に、見ず知らずの人達とチームを組んで戦うそのゲームアプリは、あっという間に対戦準備が整ってしまった。

ゲームという物は、仮想現実であり、責任や束縛がない。

そんな空間でしか自己表現ができない臆病で矮小な人間も沢山居る。
自分も、そういう人間の一人なのだろう。

昔は大人が真剣にゲームなんかをやっていると、馬鹿にされたものだ。
マンガなんかも、大人が見るのはいかがなものか…的な考えがあったように思う。
それらは当時の大人たちにとって、「こどものやる遊び」として認知されていたからだ。

しかし、2013年7月現在、それらは市民権を得て私たち現代の大人たちにも受け入れられている。
20年前に子供であった私たちは、蝶やカブトムシとは違って子供の時と全く異なる性質の大人には成らなかった…いや、成れなかったのだ。

こどもの時にもらった感動を忘れずに、そのまま大人に成ってしまった。

不完全変態…例えばバッタやカマキリみたいな…大人。
それが私たち平成25年を生きる大多数の大人たちだ。

きっと感覚的なものを大切にする新しい日本人の先鋒が、私たち平成の大人たちだったのかもしれない。

そんな訳で、私も小学校3年生からの付き合いであるゲーム文化を大切にしている。
ただ、大人に成るとやはり現実と仮想現実の区別はつくようになり、その境が曖昧になることはない。

その分子供たちに比べると不利である。

仮想現実などという言葉が一体何時生まれたのか、よく覚えていない。

自分の場合、最初の切っ掛けは温泉宿や駄菓子屋にあったビデオゲームだった。
筐体に100円硬貨を入れて、生まれるチープな世界。
時間限定で発生する愛嬌を持ったドットの世界。

突拍子もないキャラクター。

見る物の想像力を喚起する世界観。

最初はシンプルだった世界も、私たちの成長に追走して規模を広げていった。
今や現実世界に影響を与えるほどの力を持った仮想世界。
仮想現実などどいう呼び方でも、その規模の大きさを物語る。

きっと、時代が、人々が、そういったものを必要としたのだろう。

ついにゲームというジャンルは、ゲーム機を飛び出し、携帯端末にまで乗り移った。

電話が常に持ち運ぶ事のできるアイテムに変わったのも驚きだが、その電話にゲームを行う機能がつくようになるなんて、9歳からゲームを始めていた自分にも想像できなかった。

電話もゲームも、昭和の時代より圧倒的に必要とされているのだ。
平成の大人たちは孤独に弱いから…。

そんなことを考えていたからか、私のチームは対戦に負けてしまった。
ゲーム内のチャット機能で謝罪の文面を打ち込む。

同じような文面が相手からも送られてくる。
小さなディスプレイにそんな文字たちが乱れ飛ぶ。

顔文字まで使って、謝罪の意を表しているひともいる。

僕らのような矮小な人間は、こんな世界でも、結局のところ自由ではない。

それでも、現実世界に比べればましなのだ。
きっとこの世界が、万人にとっての理想郷ならば、仮想現実の世界など必要なかったはずだ。

もちろん、仮想現実が理想郷にならないこともある。
そういう場合、そのひとはその仮想現実をつまらないと評し、電源をOFFにして二度とプレイしなければ良い。

しかし、現実世界はそれができない。現実世界を消す事はできない。
現実世界をOFFにするには、自分自身をOFFにするしかない。

理想の姿になれなかった人々が居る。

理想の生き方を選べなかった人達が居る。

過酷な生活を強いられ、誰にも評価されずに生きている人が居る。

夢の無い生き方を送るしか無い人達が居る。

そんな人達が、一時でもそういった現実世界を忘れさせる事ができるかりそめの世界。
それが、仮想現実の世界なのだ。

その仮想現実の世界が、ここまで爆発的に成長してきたことは、現代の人間のいびつな精神世界の裏返しなのかもしれない。
ゼロとイチの深い根は、平成を生きる人々の体に浸食し、マンドレイクのそれのように人々にとって救いにも災いにもなっていく。

一人で部屋に居る私の体を、小さなスマートフォンの青白いディスプレイが照らし出していた。

今の私には、仮想現実は慰めにはならない。自分を俯瞰できるようになったときから、仮想現実の根のほとんどが枯れてしまったのだ。

今日は休日の時間全てを使って、その事を再確認できた。
全く有意義な一日だった。

スマートフォンの裏面には、相変わらずカラスアゲハが羽を広げてへばりついていた。
しかし、それはいつの間にか侵入して来た外の闇に紛れて曖昧になっていた。

私は、スマートフォンのディスプレイを閉じて、外を見た。
夏なのに外は既に暗く、雨はまだ降り続いていた。

作品名:机ノ上ノ空ノ日記 1 作家名:机零四