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あの人とともに

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ぱちっ。部屋の中にその音は響いていた。
 ぱちっ。頭の中にその音は響く。
 ぱちっ。思い出の中で、今もその音は響き続けている。
 今にも落ちてきそうな入道雲を部室の中から見上げ、なんだかんだのどーにでもなる精神で俺は十七の最期になるであろう夏休みを待っていた。
 ――いや、むしろなんでもいいからどーにでもなれの自暴自棄精神の方が近いか。
 まあなんにせよ、今の俺にはこの夏の予定なんて意味がないも同然なのだ。
 なんせ夏の予定を含め、俺の手帳はまっさらになってしまったのだ。勿論、物理的にではなく実質的な意味でのまっさら。色々と書き込まれ、まっくろになってしまった手帳なのだが、これは何も書き込まれていないまっしろな手帳よりも、なおまっさらな手帳なのだ。
 俺は手帳を懐に仕舞うと、腰かけていた椅子より立ち上がった。すると、ふわふわとした目眩が俺を襲う。
「……早過ぎたよなぁ」
 俺は、そのまっさおな空を見上げなら呟いた。

 私は田舎者だ。両親は共にこの地域在住で、共働きであるもののそれに見合う収入を得て、まあそれなりに裕福に暮らしている。
 何よりも、父親が公務員なのが大きい。十分裕福な暮らしをしている上で、母親も近所のスーパーでバリバリ働いているとか。一体こんなに稼いでどうするつもりなのかと一度母親に尋ねたら、
「家で家事だけしてるようじゃお父さんに悪いじゃない? だから暇さえあればパートに精を出してるのよ」
 と言われた。
 財政の上での不自由はしていないのだが、一つ頭を悩ます問題があった。非常に言い難いことだが、端的に言えば先日学校が経営難で倒産した。前々から危ない危ないと言われていたが、今年、新入生を確保できなかったこの学校は遂に倒産。今のご時勢を自身の終結を以て訴える形になってしまった。
 今は学校ですら容易く倒産する。特に、こういった子供の少ない地方の高校は悲鳴をあげている。公立高校ですら少子化で定員割れを起こし、私立は言うまでもない状況へと陥っている。この煽りを受けた我が母校は、某大学付属校に吸収合併されることに相成った。
 前の学校は何処かに競売に掛けられ、福利施設として買い取られたようだ。私はその合併先の高校へとこれから通うことになった。
 そして、私は今この教室にいる。担任は少子化がどうのと衒学的な態度で教卓に立っている。その様子をみんなは慣れたような、しかし面倒そうな表情で見ている。担任はそのことに気付いていない。うん、この人は私の中のダメな人ランキングの上位に入る。
 今日からクラスメイトとなる人たちの顔を見回す。誰も彼もが先生の話にウンザリしつつも、私へ好奇心の混じった瞳を向けていた。
 その中で、私は一つの席に目を向けた。そこには目付きの悪い男の子が座っていた。その目の前には、花瓶が置いてある。男の子はその花瓶をじぃっと睨み付けている。目には、怒りとも悲しみを綯い交ぜにした色を抱いて。男の子は花瓶をまるで親の敵のように睨みつけていた。
「それじゃあ和泉、お前の席は向かって左端の席だ」
「あ、はい……」
 男の子の席は右端。私はその向かい側に座るようだ。
「和泉はこの学校のことをよく知らないから、周りの奴は助けてやるよう。それじゃあ、また放課後な」
 そういうと、担任は退室した。ニコチンでも切れたのだろう。背広から煙草の臭いが臭ってきて、なんとなくそう思った。
 私は席に着くと、男の子の悲壮な表情を横目で見つめる。
 ホームルームが終わると、クラスの中心核であると思われる女の子グループがコンタクトを取ってきた。こういうタイプはあまり好きなタイプではないが、苦手ではない。
 私はどちらかというと人と話すより本とかを読んでいる方が好きなタイプだ。しかしまあ、話すのは苦手ではないのでそれなりの受け答えでやり過ごす。女とは厄介ないきもので、はみ出し者への仕打ちは男より陰湿だったりすることがある。無関心より悪意の方が悪質だったりすることもあるのだ。敵は作らないようにするに限る。だから私は極力“イイヒト”を演じる。
 私はそれとなしにあの花瓶の席について尋ねてみる。
「ねぇ、あれって……」
「え……あ、うん。和泉さんは気にしなくていいよ」
 と、はぐらかされた。こーゆうことは生徒を相手にしても埒が開かないので先生に話を訪ねてみると、
「和泉には関係のないことだ。あまり気にするな」
 やっぱりはぐらかされることになった。
 いや、まあ。個人のプライベートに土足で足を踏み込むようなもんだし、明確な答えを得れるとはハナっから思わなかったが。
 そして放課後。好奇心、猫を殺すというが、こーいうのはあまり後回しにしたくはない。
 私は教室が無人になるのを見計らって、当の席を調べ始めた。
 しかし、特におかしい処はない。新品、という訳ではないが奇麗なモノだ。落書きなんてないし、よく手入れされている。
 机の中は空っぽだ。残っている物は特には……ん? これは、将棋の駒か。飛車だけがぽつんと机の中に残されていた。
「――おい、お前」
「えぁ、うわぁっ!」
 びっくぅっ! え、嘘、誰もいないと思っていたのに――。そこにはその席に座っていた男の子が立っていた。その子は、私のことを睨むように見つめていた。
「お前、初対面のクセして。何なんだ、一体?」
「えーっと、あーっと。何というか」
 やば。どうしよう、これは返答に困る。
「まあ、いいか。どうせ俺には関係ないし。その席、特に面白いモノなんてないと思うぞ。触った後はちゃんと戻して帰れよ」
 そう言うと、彼は踵を返す。大股の割に静かな足音で教室を出ていく。
「あ、えっと。ちょっと待ってよっ!」
 一瞬、忘れそうになったカバンを手にとって彼を追いかける。
 廊下には誰もいなかった。いや、廊下どころか教室にすら誰もいない。みんな部活動や放課後を楽しんでいるんだろう。なんで私、こんなことやってんだろう……。
「ね、ねぇ。あれってどういうこと?」
「お前には関係ないだろ」
 彼はそんなそっけない返答をする。
「関係はないけど、これから快適な学生生活を送るのに必要なことなの。分かるよね?」
 まあ、あんなのを見てしまったら、後味の悪さというか、なんか見てはいけないモノを見てしまったというか、そんな気分になってしまう。喉に引っかかった痰のように、いつまでもいつまでも不快感を私に与え続けるのだ。
「お前さあ……、他人の都合に首を突っ込むのはどうかと思うぞ」
 そう言うと、彼はズンズンと進んでいく。そして、開け放たれたドアからその教室に入った。
「だから将棋の駒だったんだ……」
 ――『囲碁・将棋部』との表札。通常、私達が使う教室の半分程の大きさの部室だ。彼はその最奥、窓際に置かれた椅子に腰掛け、窓の外を眺めていた。
「もしかして、ここの部員だったの?」
「部長だ。まあ、部員が少なくてね。今年を最後に廃部だろうけどな」
 彼は、茜色の雲を眺めながら言った。寂しそうに、悲しそうに、哀愁と悲観をブレンドした瞳で私のことを睨みつける。
「あの、名前は?」
「名前? 俺の名前は……そこ」
作品名:あの人とともに 作家名:最中の中