禁断の実 ~ whisper to a berries ~
「ところで、おまえそろそろはっきり決めたらどうだ? 中途半端だと二人とも辛い思いをするんだぞ」
そう言うと、前を見つめたまま向いたまま煙草に火を点けた。厚い胸板で黒いスーツが窮屈そうだ。
「そうですね。それもひっくるめて今回のインド行きなんです。自分の気持ちがはっきりしないまま、もし付き合っても相手に失礼ですし。向こうで働きながら勉強して、もっと男を磨きたいと思います。でも一年も待っててくれるかなあ。さっき聞いたら、マサトはどうも樹理の事が好きみたいだし」
「バカ。お嬢ちゃんだってあの美貌だぞ? 他の男がほっとくわけないだろ。よく考えてみろ」
「ですよね。なんか僕やらかしちゃってます?」
「ああ、これは大チョンボかもな。まあ世の男性にとっては大チャンスだけどね」
肩でどすんと僕をこづいてから白い歯を見せた。
席に戻ると、話題は既にルシャナの話になっていた。
「あの子元気にやってるかしらねえ」
「きっと大丈夫よ。ルシャナは強いから」
ローラが遠くを見る目で答える。妖精のようなあの女の子の事を、僕たちはこの先忘れることはないだろう。
「思えば、不思議な子だったよなあ。ところで翔太、おまえ黒木さんと何を話してたんだ?」
顔を真っ赤にしたマサトが探るような眼で僕を見る。
「男同士の話をちょっとね。ところでマサト、さっき僕に興味深い話があるって言ってなかったか?」
「おっと! そうだ。これはみんなにも聞いてもらいたい話なんだけど……」
ジャケットの内ポケットから折りたたんだ古い紙のような物を取り出す。
「あれ? それってあの遺跡の地図じゃない?」
樹理がすぐに気づく。
「ああ。この地図は知っての通り半分しか残ってないけれど、実はあれからおじさんと色々話し合いながら分析を重ねていたんだ。いいか? この部分を見てくれ。驚くなよ?」
テーブルに広げた地図の、星座を導き出した部分を指差す。そこには【星の絵】を結んだ結果、導き出された星座が二つ描かれている。
「あのー、驚く所がないんですけどお」
「待て待て。分かりやすく拡大したのがこっちだ。よーく見てくれよ」
樹理を手で制すと、地図と一緒に出した紙を横に置く。そこには拡大したその部分が正確に写されていた。
「じゃあ説明するぞ。俺たちは謎を解くために【星の絵】だけを線で結んだよな?」
「うん」
「寝る前にこれを眺めてる時、ふと気づいたんだ。【太陽の絵】と【月の絵】を同じように結んだらどうなるんだろうって。まあ結ぶと言っても当てはめる対象が分からないけどね。で……見ているうちにふと気づいたんだ」
興味を惹かれたように、皆がテーブルに身を乗り出しマサトの次の言葉を待つ。
「これは、ランダムに並んだ『模様』なんかじゃない。全体が何かのメッセージになっているんじゃないかってさ。そこで、次の日にこれを持っておじさんの家を訪ねてみた。これを見たおじさんの一言目は『こんな貴重なものに落書きしおって。しかも半分に破るとはけしからん』だって」
「ふふ、あのおじさんらしいわね」
樹理がにこりと笑う。しかし早く続きを聞きたいらしく、その目だけはマサトを急がせているように見える。
「でな、その日から俺とおじさん、理系の大学生二人と『暗号解読チーム』を組んでこれの謎解きに取り組んだんだ。やがて、あるひとつの結論に達した。それは……」
自慢の論文を、皆が注目する間を取って発表する博士のようにここでまた間を置いた。
「もう! もったいぶってないで早く教えてよ」
「お、おう。この模様は、コペルニクスが唱えた有名な『恒星周期』と『会合周期』の関係式を表すものだったんだよ。太陽の絵=E、月の絵=P、星の絵=Sとする。この記号を使って構成された関係式を当てはめると、例えば地球を一として〈太陽系を廻る他の恒星が一年にどれくらい進むのか〉が正確に弾き出される。冥王星は一周するのに二百四十八・一年かかるよとかね。他にも宇宙の色々な事がこの計算式で弾きだされるんだ」
「つ、つまり、遺跡を造った者は、この計算式を意図的にメッセージとして仕込んだってことか? しかも遺跡のタイルの謎解きまで組み入れて?」
僕の動揺を少し可笑しそうな眼で見ながら、マサトは深く頷く。
「信じられないかもしれないけれど、これは真実なんだ。言い方を変えると、彼らははるか気の遠くなるような昔から、宇宙からの視点で、太陽系、いやもしかしたら銀河系の星たちさえも掌握していたのかもしれないね」
「普通に聞いたら、『バカバカしい』と一笑に付されるだろうけど、実際あの場にいた僕たちには信じられるよ。あんな凄い経験をした後じゃなおさらだね」
ふと気づくと、みんなが目を閉じていた。僕も目を閉じ、そして深く長いため息をつく。
「何か、すごくロマンティックな話よねえ」
顔を赤く染めたローラが、ほっぺたを両手で挟みながらつぶやいた。
これからの人生で、もう二度とあのような強烈な体験をすることはないだろう。『禁断の実』から始まった奇妙な冒険は怖くもあったけれど、今にして思えば皆いい思い出となっていた。そう言えば不思議な事がもう一つだけあった。宇宙船を降りたあのクリスマスの日から……僕はあの怖い夢を見る事は一切無くなっていた。
『十三か月後 日本』
真っ黒に日焼けした僕は成田空港にいた。
「あれ、みんな迎えに来るって言ってたはずだけど」
到着ロビーに見知った顔は一人もいなかった。大きな荷物を抱えてロビーのドアを出ると、久々の日本の空気を肺一杯に吸い込む。
「翔太ああああ! おかえりいいい!」
樹理、それにマサトと黒木さんが車からちょうど降りてきて、僕を見つけると駆け寄ってくる。だが、そこにローラの姿だけは見えない。
「遅れちゃってごめん。しっかしずいぶん焼けたわねえ。どうだったインドは?」
「ちゃんとおじいさんに返してきたよ。でもあの人さ、別れ際に妙なことを言ってたんだ」
「妙な事って?」
興味津々な顔をして僕の顔を覗き込む。
「渡した皮袋を真剣な目で見つめながらさ、『また、ここに返ってきたんだな』って。まさか昔同じような事があったってことかなあ」
「きっと考え過ぎよ。それよりこれ見て」
樹理がパソコンを開くと、画面には驚きの画像が表示されていた。
「この子って……。まさかルシャナ? すごく大人っぽくなっているけど」
「そうなの。まさか『遺跡の番人』からメールが届くなんて。インターネットって凄いわよね」
写真の下には、英語で【皆さんお元気ですか? 私は元気でやっています】と書いてある。もうその顔からは少女の面影はすっかり消え、大人びた表情のルシャナが笑っていた。ただ、吸い込まれそうな魅力的なその瞳は相変わらずだったが。
「まだ報告があるのよ。私とマサトくん。なんと! お付き合いを始めましたあ!」
照れ臭そうに顔を赤らめながら、樹理は後ろにいるマサトの手を引っ張った。
「おかえり、翔太。あの出来事をな、フィクションを織り交ぜて小説にしようって話になってさ。こいつと一緒に書いたりしているうちにその……。なんかごめん」
彼女の僕に対する気持ちを知っていたのだろうか、少しバツの悪そうな顔をする。
作品名:禁断の実 ~ whisper to a berries ~ 作家名:かざぐるま