禁断の実 ~ whisper to a berries ~
「問題だと? 武器屋や他国の機嫌なんぞ知った事か。すぐに、ロシアや中国が嗅ぎつけてくるぞ。これは大統領命令でもあるんだ。急げ!」
ローラの会社が関わる機密作戦の内容を、副大統領はすでに把握しているような口ぶりで答えた。どうやら、『パンドラの箱』の価値は、ペンタゴンが下した評価よりもはるかに高いようだ。
「直ちに!」
長官は更に強い電気に打たれたように立ち上がると、部下を従えて部屋を飛び出して行った。
「こ、これは? いったい何なんだ」
目の前の光景がまだ信じられずに、ローラの手を強く握りしめる。その中は思いのほか広く、明るかった。まず目に入ったのは、地面からふわふわ浮いている複数の大きなシャボン玉だ。それは一見ガラスのような材質で、既にほとんどが割られ空になっているように見える。壊される前は、この中にはそれぞれ何かが入っていたのだろうか。
「いち、にい、……十個あるうち、あれだけ無事みたいだわ」
ローラに手をひかれ近づいてみると先に部屋に入ったルシャナが、しゃがんでそれを下から覗き込んでいた。
「ねえ、この中に何かいるよ」
今まで見た事が無いような不思議そうな顔をして僕たちを見上げる。
「え、これは赤ん坊? 人間の赤ちゃんでは無いようだけど」
それは一言で言うと『保育器』のような印象を受けた。色々な角度から眺めているうちに、仲間が全員集まってくる。
「うっわ! なんだこれ。皮膚が緑のウロコみたいなもので覆われているじゃないか。何か爬虫類の子供じゃないのか?」
三ツ井がうぇぇっという顔をする。
「そう? 見慣れると意外に可愛いじゃん。目の大きさはたぶん人間の倍はあるわね。うーん。あたし、持って帰って育てたいくらい」
「ええっ?」
一同は少し引き気味だ。そうだ、樹理って確かイモリやワニなどが大好きなんだっけ。
「待てよ? 壊されて中身の無い容器は九つ。無事なのは一つ。という事は」
マサトの言葉にみんながはっと息を呑む。パンドラの箱、そして十個という数字の符号。
「じゃあこれが……。人類に残された、最後の『キボウ』ってことなのか?」
目の前の、この生きているかどうかも分からない奇妙な赤ん坊が『キボウ』だって? 僕は少し頭が混乱してしまっていた。
その時、この会話を聞いていたかのように、赤ん坊の目がゆっくりと開いた。ほとんどが黒目で出来ているその瞳に命の光が灯っていく。
「うっわあ! かっわいい! 生きてるよ、この子生きてる!」
初めて歩いた子猫を見るかのように、樹理が唐突に嬉しそうな声をあげる。
「ふぉう! めめめめ目が開いた! こっち見ないでええ!」
さっきから僕の背中に隠れながら様子を伺っていたローラが、ついにダッシュで逃げ出す。
「ぶっ、大丈夫だってば、まだ赤ちゃんだし。でも――何故赤ちゃんがここにいるんだろう。不思議ね」
彼女の驚き方が可笑しくて、樹理とマサトは顔を見合わせて噴きだしている。
「コ、コ、カ、ラ、ダ、シ、テ」
全員が真顔になってきょろきょろ辺りを見回す。
「なあマサト、今おまえ何か言ったか?」
「なーんも言って無いぞ。三ツ井さんじゃないか?」
「いや、俺じゃない。でも今確かに『ここから出して』って聞こえたぞ」
と、いう事は……。
黒目をギョロギョロ動かしている赤ちゃんに一斉に視線が集まった。今やその指は何かを探すように、空中を掴もうとしている。
「自分の、力じゃ、出られないんだ。なぜ、僕だけ出してくれないの?」
言語を超えて、その声は心の中に直接訴えてきた。皆の驚いた顔を見ると、きっと全員がその声を聞いているに違いない。
「君は、いったい?」
その声が聞こえたのだろか、すぐに返事が返って来る。
「僕は君たち人間から『キボウ』と呼ばれている者だ。大昔に一度、同じように訴えかけたけれど、結局そのままここに置き去りにされてしまった」
一般的なギリシャ神話では、【人類最初の女性と言われているパンドラに持たせた箱にゼウスがすべての災いを封じ込め、人間界に行くパンドラに持たせた】という解釈になっている。それを彼女が好奇心で開けてしまったがために、この世にありとあらゆる災厄がはびこり、そして箱の底には希望だけが残ったとされていた。
しかし……。この赤ちゃんの話から推測すると、誰かが昔ここに侵入して残り九つの容器から何かを取り出し持ち去ったともとれる。もしくは博之が言っていたように、異種交配後のハイブリッドが持ち去ったのかもしれない。
「ここには、僕以外に見かけだけは魅力的な女性の姿形をしている者もいた。他に種や花、そして愛嬌のある動物もいた。人間はまんまとそれに騙されて、自分たちの世界に災厄を持ち帰ってしまった。でも、この姿が恐れられたのか、僕だけは誰もここから出してくれなかったんだ」
「あら、普通に可愛いと思うけど」
相変わらず、樹理の「可愛い」は僕にはちょっと理解できない。
「ありがとう。みんな君みたいな人間だったら良かったのに。僕はこの通り今は赤ちゃんの形だけれど、ここから出たらすぐに成長することができる。そして特別な雄である僕は人類と交配を繰り返し、新たな支配層を作ることができるんだ。あ、しまった! これじゃまた同じことの繰り返しだ!」
マサトと僕は目を見合わせた。どうやら、この赤ちゃんは少しおっちょこちょいなようだ。
「あー、要するに――君をここから出すと、我々いまの人類は君の子孫たちに将来支配されてしまうかもって事になるな」
僕の問いかけに彼は口をつぐむ。心なしか黒目のツヤツヤも少し曇ってきているように見える。
「今のは……聞かなかったことにできないだろうか?」
「ダメ。ひょっとしたら昔ここにきた人間にもそう口を滑らせたのかい? 俺たちの祖先だって、君たちの奴隷になるのを承知で君をここから出す訳がないじゃん?」
意地悪そうな顔をしたマサトが、容器を爪でカリカリといじる。
「そう、本当は姿形は関係無かったのかもしれない。僕が余計な事さえ言わなければ!」
この時、何かこの赤ちゃんが急に可愛く思えてきたのは僕だけじゃなかったはずだ。
「ひとつ聞かせてくれ。君は僕ら人類から『キボウ』と呼ばれているんだ。長年の歴史の中でも、君の事は魅力的な謎のひとつであり、この謎を解くことは歴史的な大発見になる」
僕は答えを聞く事の緊張のためか、ここで一度大きく息を吸った。
「つまり、君を『キボウ』と呼ぶからには、何か特別な意味が込められている筈なんだ。それはいったい何だと思う? もし知っていたら教えてくれ」
人類が追い求めていたパンドラの箱の秘密が、ここでついに明かされようとしていた。 しばらくの間、目をぱちぱちさせていた彼だったが、やがてゆっくりと口を開く。
「あの、ここから出してくれたら教えてあげ」
「ムリ」
「……ケチだなあ。まあいいや、教えてあげるよ。ここに居た他の者や動物、種子は『災厄』を持って散って行ったけれど、特別な雄である僕だけは災厄を何も持っていない。それどころか、僕の遺伝子が他の星の生き物と混ざると」
いったんその小さな口を閉じた。黒く大きな目玉が僕たちを順番に見廻す。
「混ざるとどうなるんだ?」
作品名:禁断の実 ~ whisper to a berries ~ 作家名:かざぐるま