禁断の実 ~ whisper to a berries ~
受け取ったカードをまじまじと見つめながら黒木はため息をついている。
「いえ、恋人じゃないんですけど……。ってあのー、ローラさん?」
小さな声で呟きながら横を向くと、そこには耳たぶまで真っ赤にしたローラが口をぱくぱくさせながら顔を覆っていた。
十日後
「よし、そろそろ出発するぞ。苗木は全部積んだよな?」
三ツ井がミニクーパーの助手席から顔だけ出して、後ろの軽トラに乗る哲男を振り返った。
「オッケーや」
額に浮かんだ汗のつぶを袖で拭いながら、作業着姿の哲男が答える。桜子は少し緊張しているのか、三ツ井の隣でハンドルをとんとんと叩いていた。
そう、三ツ井、桜子、哲男の三人にとって今日は大事な日だった。今日は丹念に育てた『禁断の実(RED)』の苗木を客に渡す日だ。値段は客によってまちまちだが、三ツ井はその客が出せると思われる最高の値段をリストにまとめていた。平均でひとつ数十万円というところか。
「苗木に添えるマニュアルもちゃんと持っただろうな?」
哲男が乗った軽トラが横に並んだ時に、三ツ井はもう一度確認する。
「大丈夫や。それより、いつも以上に慎重に運転せなアカンな」
そのマニュアルには『RED』について三つの注意事項が書かれていた。
1 一日に一度は必ず優しい言葉をかけること。静かな音楽も効果あり。
2 日当たりのいい場所に置き、時々水をやること。
3 食べ過ぎ注意! ※なお、苗木、及び実の譲渡は厳しく禁じる。
「果たして最後の約束が守れるかしらね」
マニュアルのオリジナルを手に取りちらっと目を通すと、心配そうにつぶやいた。やがて二台は、田舎道に煙を立てながら都心に向けてゆっくりと走り出した。
二時間後、港区にある最初の客のマンションに着いた。ここはエントランスが驚くほど広い超高層マンションだ。インターフォンとカメラで確認された後、自動ドアが開く。鉢を抱えた三ツ井の後ろを桜子が歩き、最上階の部屋を目指す。最初の客を訪問するというプレッシャーからか、三ツ井の脇の下にはじんわりと汗が滲んでいた。
「おい、ずいぶんと遅かったじゃないか。あんたは信用できないが、あんたを紹介してくれた男は信用できるから頼んだんだ。ところで、そいつは本当に合法なのか? 俺は今、捕まるわけにはいかないんだ」
若いのに腹のぽっこり出た男は、ソファに座るように顎で促した。壁に置かれた大きな水槽から、青い熱帯魚が三人を見つめて口をぱくぱくさせている。
「いい質問です、藤堂さん。その点はどうぞ御安心下さい。合法という以前に、この実から出るトリップ成分は現代の科学でも検出できませんので。ただ……」
「何だ?」
「あまりにも強い依存性があるため、ワンクール、すなわち成熟した果実を全て食べたあとは一週間ほど間を置いて下さい。声さえ掛けなければ実は青く小さいままです。逆に優しい声を掛け続けると三日程で果実はまた膨らんできますが、絶対にクールダウン期間中は誘惑に負けないで下さい。さもないと、大変な事になります」
眉間に深い皺を寄せながら、三ツ井は膝の上で手を組んだ。
「声ねえ……。まあ、俺も数々のクスリをやってきたから、依存の怖さはよく知っているつもりだ」
少し薄ら笑いを浮かべたまま目を細めて鉢とマニュアルを眺めた。
「それを聞いて安心しました。この『RED』は約四クールで実の効果が無くなりますので、その頃またお届けに上がります。それまでどうぞ存分にお楽しみ下さい」
「ああ。――実は、金を渡す前にひとつ頼みがあるんだが」
「何ですか? 僕に出来る事なら」
「今日は余分に持って来ているんだろ? ついでにもうひとつ売ってくれないか?」
上目使いでスコッチが満たされたグラスを舐めながら言う。男の顔が昼間っから赤いのはこのせいだったようだ。
「申し訳ありませんが、いくら藤堂さんでもそれは無理です。他のお客様に行きわたらなくなってしまいますので」
本当に困った顔を作りながら三ツ井はきっぱりと拒否した。
「そうか。まあコイツを試してみない事には分からないしな。いいトビ方したら次は女の分まで買うよ」
「その時はまたお願いします。では」
慇懃な態度で現金の詰まった封筒を受け取ると、桜子と深く頭を下げ部屋を出た。
「はっ、四クールですって? 嘘が上手いわね」
エレベーターの中で三ツ井の背中を軽くつつく。
「ふん。そう言っとかないと、勝手に増やしたりするだろ? まあ金持ちは基本的にビビりだから言われたことは守るよ。だがまあ、最初に実ったあの実を食べたらもう止まらないだろうな」
「止まらない?」
「ああ。永遠に食べ続ける。……衰弱して死ぬまでな。だから高い金額を吹っ掛けたんだ。中にはマニュアル通りに育てられなくて効果が出ないヤツもいるだろう。そのクレームも考えると、売りっぱなしが一番だろうな」
「なるほどねえ。まあこれを全部捌けば大金になるから、規模を拡大してまた新規を探せばいいわけね」
「そういうこと。俺たちが捕まる可能性も無いだろうし。なんせ」
「法律に触れないから、ね」
にっこりと微笑み、知的なメガネを外すとハンドバックに仕舞う。
マンションを出て駐車場を見ると、哲男が心配そうな顔をして窓から顔を出していた。三ツ井は親指をぐっと立てると、彼を安心させるように微笑んだ。
この調子で全ての客をまわれば、今日中にもまとまった金が手に入るだろう。彼らはこの時、今まで生きてきた中で一番胸が踊っていたに違いない。なぜなら、全てが〈計画通りに動いている〉のだから。
だが――ミニと反対側の車線に停まっている黒塗りの高級車の運転席で、手元にある三ツ井の顔写真をじっと見つめる人物がいた。その隣にはサングラスに顔を隠し、髪をポニーテールにまとめた男が座っている。
「あいつらか?」
ポニーテールの男が吐き捨てるようにつぶやく。
「ええ。あまり調子に乗りすぎなければいいんですが」
「まあいい。しばらく様子をみてみよう」
それは短い、英語の会話だった。
連鎖
二か月後
「こんばんは、六時のニュースです。今日の午前九時ごろ、東京都渋谷区のマンションで十代と思われる男性の変死体が発見されました。近隣の住民から『異臭がする』との通報で警察官が駆け付けたところ、うつ伏せの状態のまま居間で死亡している男性の姿が確認されました。現在、事件と事故の両方で警察が捜査を開始しています。今月に入ってから増加している若者の変死事件との関連性も踏まえ、慎重に捜査を進めています。では、次のニュースです。東京神田神保町にある『カメレオン堂』で今朝、地下室が燃える火事がありました。開店前の書店には火の気が無く、放火の可能性もあるとして……」
三ツ井はテーブルの上からリモコンを取り上げると、忌々しそうに電源を切った。この高級ホテルの一室を借り切ってから、もう数か月になる。
「これでもう十人目か。ったく、俺の言った事を守らないからだ」
ふかふかのソファから立ち上がると、オーダーメイドの漆黒のスーツに袖を通す。数か月前の彼とは別人のように身なりに金がかかっている。REDの販売は順調に続き、これまでに億に達するほどの売上を彼らは上げていた。
作品名:禁断の実 ~ whisper to a berries ~ 作家名:かざぐるま