Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ
「えっと・・・ルルイリエじゃ神域――小ルルイリ湖の中に立ち入ることは絶対やってはいけないことなんです。祭司長ですらきちんとした儀式なしに立ち入ることはしませんから・・・だから、ちょっと抵抗があるんです。あ、もちろん魔物退治のためなら、お二方には入ってもらって構いません。祭司長も許可してるし」
ボート出してきますね、と言ってトニーは近くの物置小屋へと走っていった。
トニーが用意してくれたボートは確かに小さかった。二人で乗るのが限界である。しかしこれ以外のボートは祭儀用の装飾が施されているものばかりらしく、壊すわけにはいかないし装飾が邪魔なので使えない。
「すいません。これしかなくて」
「いや、十分だよ。魔物のいる辺りまで行ければいいから」
「そうですか。でもどうやって魔物を追い出すんですか? この湖は大きくはないですけどかなり深いですよ?」
「それは今から考えるわ。とにかく、魔物の様子を見て見なくちゃ何もわからない」
件の魔物がいる場所まで漕ぎ出す。湖にはほとんど波がなく、ボートを漕ぐたび湖面に波紋が広がった。
「この辺りだな」
ボートを漕ぐ手を止めて、アルベルトは言った。このずっと下に魔物がいるらしい。集中すると、水底に悪魔の気配が蟠っているのが感じられた。
「襲ってこないわね」
魔物は水底でじっとしていて動く気配はない。潜るには深すぎるし、水の中にいられては追い出しようもないのだが。
「確かに動きがないな。こちらを警戒しているのか?」
「魔術でも撃ちこんだら出てくるんじゃない?」
「それはやめておいた方がいい。フィリスさんに湖を穢さないようにと言われてるじゃないか」
さっさと終わらせようと思ったのに、アルベルトに制止された。確かに、フィリスには湖を穢さないように、湖を荒らさないようにとあの後も何度か念を押された。
「・・・祭司長も面倒な注文をしてくれたものね」
湖を穢すことの心配をしなくていいのなら、ここから氷の槍でも打ち込んで魔物を串刺しにして終わりにするのだが、如何せんそういう訳にもいかない。ここは単に神様を祭るところというだけでなく、ルルイリエの生活を支える源泉でもあるのだから。どうすれば魔物を誘き出すことができるか、湖の底を観察しながらしばらく思案していた。
と、その時、魔物の気配が少し動いた。上がってくるのかと思ったが、それ以上の動きを見せない。何をするつもりなのか。そう思って警戒していた時、
「まずい!」
突然ボートが大きく揺れたかと思うと、右手の湖面から水柱が立ち上った。ボートの右の舳先が強力な水流で削られ吹き飛ぶ。直撃こそしなかったが、ボートを転落させるには十分だった。
ひっくり返ったボートから吹き飛ばされ、リゼは瞬く間に水中に没した。水流のせいなのか、発生した渦によって深みへと引きずり込まれていく。明るい水面が見る間に遠ざかっていく。
水底に視線を移すと、光の届かない闇の底に魔物の姿があった。獲物が引きずり込まれてくるのを待っている。とぐろを巻き、口を開けて。
水が纏わりつく。暗い。冷たい。息ができない。重い。意識が闇に薄れていく。
――起きろ。このままでは喰われてしまう。
(・・・・・・!)
渦の中で両手を掲げた。集中すると、掌に魔力が集まっていく。その力は一点に収束し、一個の魔術として形を成して行くそれを、水底の魔物めがけて解き放った。
生み出された風は渦に負けぬ水流となって水底へ向かっていく。それは渦を打ち消し、魔物に直撃した。
魔術の反動でリゼは水面に向けて上昇していく。水底では魔物が蠢いていたが、追ってくる気配はない。水流を受けても、水底でじっとしたままだ。
と、魔物がわずかに動きを見せた。ゆっくり蠢いたかと思うと、頭部をこちらの方に向ける。そう思った瞬間、強烈な水流が目の前まで迫ってきていた。幸いにもわずかに逸れて直撃することはなかったが、再び渦が発生し水底に逆戻りしそうになる。
もう一度魔術で水流を起こし、魔物を狙った。水流は魔物を正確にとらえ、余波で渦が消える。しかし、魔術の直撃を二度も受けたのに、魔物はほとんど動く気配がない。こちらを追ってきてもおかしくないというのに。それとももっと近づけば、攻撃すれば、こちらへ向かって来るのだろうか? だが、
(まずい。そろそろ限界・・・)
息ができず、頭がぼんやりとしてくる。大分上昇したとはいえ、水面はまだ遠い。手を伸ばしても届く訳がなく、むしろゆっくりと沈んでいく。そうしているうちに、また魔物が水流を放った。今度は先ほどとは違って狙いが正確だ。直撃だけは避けようと、どうにか移動しようとした。
ふいに、伸ばした腕を掴まれた。水中を強い力で斜めに引っ張り上げられる。魔物の水流が目の前を通過していった次の瞬間、リゼは水面を割って明るい陽光の中に顔を出していた。
「危なかった。大丈夫か!?」
深く息を吸うと意識がはっきりしてくる。顔を上げるとアルベルトが心配そうな顔でこちらを見ていた。どうやら彼が引っ張り上げてくれたらしい。水流の直撃を避けられたのも彼のおかげだった。
「大丈夫。それよりあの魔物。上がってくる気配がないわ。湖の底から動くつもりがないみたいね」
あれだけ攻撃したのにこちらに直接向かって来る気はないようだ。思ったより面倒な魔物らしい。
「お二人とも――!! 大丈夫ですかぁ――!?」
岸辺からトニーが呼び掛けてきたので、アルベルトが手を振って無事を知らせた。とはいえ、いつまた魔物が水流を放ってくるかわからない。ボートが壊れてしまったし、二人は一度岸に戻ることにした。
ボートの破片を使って何とか岸までたどり着いた後、水から上がったリゼ達にトニーはおずおずと、
「あのー、やっぱり難しいですか?」
と聞いてくる。それにアルベルトは、
「難しいというか、魔物が動いてくれないのは問題だな。水底にいられては追い出せない」
その言葉を聞いて、トニーはそうですか・・・と沈んだ声を出す。至極不安そうな顔だ。だが、
「魔物が動かないなら無理やりにでも動いてもらうだけよ。ただ、それには・・・」
「え? 方法があるんですか?」
「あるわ。ただ、祭司長に一応聞いた方がいいかしら」
服の裾を絞りながらそう言うと、トニーは何を聞くつもりなのと首をかしげ・・・顔色を変えた。
「え、あれ? まずい。レックスさんだ」
突然何を言い出すのかと思ったら、トニーの視線は森の草むらへと向いていた。視線につられてそちらをむくと、町人と思しき男性がそこに立っていた。
誰かと聞くと、トニーは町の警備団の人ですと答えた。まずいという言葉通り、彼は非常に焦っているようだ。やっかいな人に見つかってしまった。そんな様子である。
「立ち入り禁止なのに何でこんなところにいるんだ。警備団員なのに決まりを破ってどうするんだよあの人は・・・」
もごもご言っているうちに、レックスは草むらを離れ、こちらにやってきた。眉間にしわを寄せ、酷く不機嫌な様子である。
「トニー! これはどういうことだ?」
「どうと言われましても・・・」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ 作家名:紫苑