Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ
大樹が揺れる。振動を感じた神殿が軋んで悲鳴を上げる。大樹の枝が、敵を葬ろうとリゼへと迫った。
だがそれは届くことはなかった。大樹に走り寄ったアルベルトが太い幹に剣を突き立てたのだ。剣は半分以上幹に食い込み、
「神よ、我に祝福を。汝は我が盾、我が剣なり。その栄光は世々に限りなく、あまねく地を照らす。至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!」
アルベルトの祈りの言葉が高らかに響き渡る。悪魔祓い師の力が剣を通じて大樹に流れ込み、フリディスを浄化した。大樹の動きが鈍り、しかしそれでもアルベルトを捕えようと枝を伸ばす。それを避けようとアルベルトが樹から離れた瞬間、大樹が真紅の炎に包まれた。ティリーが駄目押しとばかり火を放ったのだ。大樹は身をよじり、悲痛な断末魔を上げる。木の葉はばらばらと散り、枝は炭化して落下した。
「おしまいね。フリディス。アスクレピアの?守り神?」
リゼは樹に向けて右手をかざすと、そこに魔力を集中させた。すでにティリーが駄目押ししたが、これぐらい徹底的にやっておいた方が良いだろう。なにせ、まだフリディスの黒い気配は消えていないのだ。
『悪しきものよ。消え失せろ』
リゼがそう唱えた瞬間、大樹は完全に動きを止めた。焼け焦げ、葉がすべて落ちた大樹はそのまま枯れ朽ちて崩れていく。大樹は微細な塵に変わり、全て崩れさった時、そこには縦に裂けた一本の小さな枯れ木が佇んでいるだけだった。フリディスの気配はどこにもない。
リゼは枯れ木を一瞥した後、自分の掌を見た。悪魔祓いの術は確かに“神”とやらに効いた。物は試しだったが、確かに効いた。フリディスが当人の言う通り“神”であるかなど関係ない。人に取り憑き害を為すなら、やはりそれは悪魔と同じだ。
問題は、フリディスのあの言葉だ。フリディスは一体誰と間違えていた? 一体誰だと思ったのだ? 彼らを――アスクレピアを滅びに追いやった誰か。口先だけの綺麗事を振りかざした誰か。消滅したはずなのに再び現れて、今度はミガーの神も人間も滅ぼすであろう誰か。
(――まさか)
一つの推測が頭に浮かぶ。あまり考えたくはないが、それしか考えられない。でも、だとしたら、
(だとしたら、私は以前にも――)
「リゼ!」
その時、不意に名前を呼ばれて、リゼは思考を打ち切った。名を呼んだ張本人は、酷く焦った表情で、リゼに詰め寄るように駆け寄ってくる。走り寄ってきたゼノはの目の前で急停止すると、リゼの腕を掴んで言った。
「頼む! オリヴィアを助けてくれ!」
「・・・・・・何?」
フリディスはすでに祓い、浄化した。なら後はオリヴィアの魂を身体に戻すことが必要なのであって、助けるも何も、オリヴィアの生霊をここに連れてくるか身体を運んでいくかするしかない。そうリゼは思ったが、続けてやって来たシリルがゼノの隣に並んで言った。
「オリヴィアさんがわたしから離れて行ったのに、全然目を覚まさないんです! 呼吸もしてないし、まるで――」
「あなたから離れて行った? どういうこと?」
「わたし、オリヴィアさんに身体を貸していたんです。地下でオリヴィアさんの生霊に会って、ここまで来たいから運んでくれって言われて・・・・・・それでさっきまでずっと一緒にいたんですけど、リゼさんが悪魔祓いをした後、わたしの中からいなくなっちゃったんです! 自分の身体に戻ったんだと思うんですけど、でも――」
「――動かねえんだ。息してないし、脈もないみたいなんだ」
そう言うゼノの顔は焦燥と恐怖で青ざめている。
「だから、助けてくれ。“救世主”なら、死人を蘇らせたりできるんじゃなかったか? お願いだ!」
ゼノが口にしているのは、聖典に記されている救世主――神の子の奇跡の技だ。あまりにも有名で、ミガー人であるゼノすら知っている伝説のうちの一つ。
でも、伝説は――教会は事実だと主張するだろうが――あくまで伝説だ。そんなことをできる人間はこの世にはいない。
「無茶言わないで。癒しの術は万能じゃないし、大体私は救世主じゃない。死者蘇生なんて出来るわけがないでしょう」
それが出来たら苦労しない。それが出来るなら、罪悪感にさいなまれて生きる必要はなくなるのだ。取り返しのつかないことなんてなくなるのだから――
リゼに否定されて、ゼノとシリルは絶望の表情を見せた。リゼに出来ないなら打つ手はもはやない。どうしようもないのだ。
少し距離を置いた先に、オリヴィアが静かに横たわっている。その傍には、彼女を見下ろしながら立つアルベルトと、膝をつくキーネス。少し離れたところにはティリーが立っている。キーネスはじっとオリヴィアを見ていたが、不意に振り返ると、リゼへと視線を移した。
「・・・・・・オリヴィアを治すことは、無理なんだな?」
「ええ、そうよ。死んでいるなら、私には出来ないわ」
問いかけにそう返すと、キーネスはそうかと呟いて視線を元に戻す。その拳は白くなるまで握りしめられ、何かを必死でこらえているようだった。
「――おい、起きろ」
唐突にキーネスはオリヴィアに向けてそう言った。もちろん、返事はない。目覚める様子もない。けれどキーネスは彼女の肩を掴み、強く揺さぶった。
「起きろオリヴィア! 寝ている場合か! さっさと起きろ!」
半ば叫ぶように呼びかけるも、オリヴィアは目覚めない。指一つ動くこともない。それでも起きろと言い続けるキーネスを、何かに気付いたアルベルトが制止しようとした。
「落ち着けキーネス! オリヴィアは」
「死んでなどいない!」
アルベルトの制止を振り払って、キーネスはそう言った。
「死んでなぞ、いるものかっ・・・・・・」
再び拳を握り、絞り出すようにそう言うキーネス。けれど、オリヴィアは目覚めない。それを見たゼノはうつむき、シリルは目に涙を浮かべている。誰も、何も言わず、重い沈黙が降りてその場を満たした。そこへ、アルベルトが何か言おうと口を開きかけた、その時だった。
「――っ!」
今まで身動き一つしなかったオリヴィアが、突然飛び起きて盛大に咳き込んだ。突然の事態に何か話そうとしていたアルベルトはそのままの体勢で停止し、少し離れたところで見ていたティリーは驚いて目を瞬かせている。ゼノとシリルもあまりのことに呆けた顔でオリヴィアを見つめていた。
「はあ、マジで死ぬかと思った。う〜クラクラする。気持ち悪い」
頭を押さえ、苦しそうにそう呟く。といっても、その口ぶりに死にかけていたという深刻さはない。体調は悪そうだが、重症というわけでもなさそうだった。
「あれ・・・・・・? 生きてる・・・・・・?」
呆然と呟くゼノに、オリヴィアは恨めし気な視線を向けた。
「失礼な。死んだ方がよかったかい? ・・・・・・ってシャレになんないけどさ」
そう言って、オリヴィアはからからと笑う。その様子をみて、ゼノとシリルはようやく事態を飲み込んだらしい。二人してオリヴィアの元に抱き付かんばかりの勢いで駆け寄った。
「オリヴィアああああああああああ! いぎててよがったぜえええええええ!」
「お、オリヴィアさん・・・・・・生きててよかったです・・・・・・!」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ 作家名:紫苑