Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ
やはりこの空間は幻で出来ていることに間違いない。おそらく上空は地面と比べて、幻影を構成している力が弱いのだろう。だから容易に視透かすことが出来るのだ。さらに、入ってきたときと同じように出ることも出来るのはないかと考えられるが、あいにく空を飛ぶ術を持っていない。歩いて出る方法を探すより他はなさそうだ。そう考えてアルベルトは目線を下げ、追いかけている女性の姿を探した。
しかし、目的の人物はどこにも見当たらなかった。もう遠くまで行ってしまったのだろうか。視界に入るのは群生している植物ばかりで、人影はどこにもない。同じようにこの空間に落ちてきているはずのリゼも、この辺りにはいないようだ。
目の前一面に生い茂る植物から、かすかに甘い香りが漂ってくる。花が咲いているのだ。大ぶりの葉の隙間に鈴なりになった花は白く、トランペットのような形をしていた。確か上の広間のようなところで、これが魔物化したものと戦っている。特徴的な白い花が魔物の身体に咲いていたものと同じ形だ。あれよりは少し小さいくらいか。大ぶりの葉に埋もれるように棘だらけの実が生っている。そして何気なく植物の根元まで視線を移し――そこにあるものを見て、アルベルトは息をのんだ。
「人、これは人だ・・・・・・!」
その植物はあろうことか人間の身体に根を張っていた。何本もの根が二十歳後半ぐらいと思われる男の皮膚の下に潜り込み、ところどころ血管のように浮き出ている。上半身は完全に植物と一体化してしまって、一見すると彫刻のようにも思えたが、彫刻ではありえないリアルさとわずかに一体化せず残された肌色の部分が、人間であることを明確に物語っていた。
「これは一体・・・・・・」
もっとよく見ようと身をかがめると、忘れていた背中の傷がじくりと痛んだ。だがそれも構わず、出来る限り近付いて観察を続ける。植物に取り込まれたこの人はもしかして人喰いの森に呼ばれた退治屋だろうか? 衣服は風化してぼろぼろになっているが、ミガーでは一般的な旅装束なのだろう、ゼノ達が着ているものとよく似ている。手前の地面に黒っぽいものが埋まっているのを見つけて土を払うと、四角い組み紐模様のある盾が描かれたメダルが現れた。間違いない。ゼノやキーネスが持っていた退治屋のメダルと同じものだ。
集落の住人達――森に呼び集められた退治屋達はこの植物の苗床にされていたのだ。記憶を失い、魔物の存在も悪魔の存在も忘れ果てているなら、襲われてもろくに抵抗できないだろう。集落に住んでいる人達はいずれこうなるとも知らず、神殿の花を採って暮らしている――。
花。そういえば、この白い花についての記述を見たことがある。どうして今まで思いつかなかったのだろう。アルベルトは懐から折りたたまれた紙の束を引っ張り出した。皺の寄った覚書を広げ、そこに書かれている文字を追う。
(・・・・・・ダチュラ。ミガー王国西部原産。高さは一メテル程で、白いトランペット状の花を咲かせる。種子は黒く、猛毒。主な症状は――)
そうだ。この植物だ。メリエ・リドスで出回っていた、免罪符と称し、浄罪の薬と偽った麻薬。ダチュラはその原料の一つだ。
背中の傷がじくじく痛む。軽い眩暈がアルベルトを襲う。それらに顔をしかめながらも思考を止めない。ダチュラの毒。人体を苗床にしていること。ということは――。
その時、さあっと辺りが暗くなった。冷たい、粘つくような気配が近付いてくる。天頂を見上げると黒い斑模様の一つが形を崩し、こちらへ向かって来るところだった。
真っ黒な塊が空から落ちてくる。それはダチュラの畑の上までやってくると、ぐにゃりと形を変えて塊を構成していた悪魔達が散開する。アルベルトはその中に見覚えのある悪魔を見つけた。
塊の中から現れたのは、身体が半分しかない真っ黒な赤ん坊だった。その姿なら知っている。シリルに取り憑き、リゼが祓い、アルベルトが真っ二つに斬り裂いた悪魔だ。首から下は消滅したはずだが、いつの間に修復されたのだろう。
(こんなところまで逃げていたのか・・・・・・!)
アルベルトは剣を抜き、赤ん坊の悪魔と対峙する。見た目は小さいが、こいつは何年もの間シリルに取り憑き、その魂を啜って成長した強力な悪魔だ。悪魔被害を増やさないために、今度こそこいつを浄化しなければならない。剣を構えたアルベルトに、悪魔は恨みのこもった赤い目を向けた。
咆哮と共に黒い衝撃波が悪魔から放たれた。目の前に迫る薄い膜のような衝撃波の壁を、アルベルトは剣で斬り裂いていく。放たれたもう一つの衝撃波を避けて、アルベルトが後ろに下がった瞬間、赤ん坊の悪魔は真下にある人を苗床としたダチュラに吸い込まれるように取り憑いた。
植物を一体化した男の双眸がカッと開かれた。血の色に染まったそれは正面にいるアルベルトを捉え、獲物を絡め捕ろうと蔓を触手のように伸ばしてくる。蔓の先端はアルベルトが反応するよりも素早く動き、その手から剣を弾き飛ばした。
「しまった!」
剣は弧を描いて飛んでいき、軽い音を立てて軟らかい地面へと突き刺さる。取りに行こうとすると、地面を突き破って木の根と蔓が現れアルベルトの行く手を塞いだ。今や他の悪魔達もダチュラへと憑依し、魔物化した植物がアルベルトを包囲しつつあった。
ダチュラの根元に目をやると、様々な人間が取り込まれ一体化しているのが分かった。男もいれば女もいる。子供や老人がいないのは、彼らが退治屋だからだろう。表情は抜け落ちてしまっているが、見開かれた双眸は皆一様に赤く、花を揺らしながら触手のような蔓を伸ばす。あの赤ん坊の悪魔が取り憑いて生まれた魔物は、赤い瞳に恨みを乗せながら、しわがれた老人のような、ひび割れた男のような、あるいは掠れた子供のような声で叫んだ。
――オマエノ魂ヲ喰ワセロォォォ!
咆哮が空気をびりびりと震わせた。それと呼応するかのように、周りの魔物達が、まだ宿主を得ていない悪魔達が、耳を劈くような啼き声をあげる。彼らが最も好むのは人間の魂。このままでは喰われてしまう。
だが、今この手に剣はない。悪魔祓い師の印が刻まれたあれがなければ、悪魔とは戦えない。
「――魔物に喰われるのもダチュラの苗床にされるもの遠慮したいな」
そう呟きながら、アルベルトは水筒を取り出した。剣を取り戻すには行く手を塞ぐ蔓を排除しなければならない。今手元にあるもので活路を開くしかないのだ。
もう一つ使えそうな物はと腰の布袋に手をやるが、そこに目的の物はないことを思い出し、別のポケットを探る。襲いかかってきた蔓を避けて剣のある方向へ踏み出すと、栓を外した水筒を放り投げた。
「神よ。祝福を、赦しを、安らぎを。この水を聖なるものとし、浄化の力を与え給え!」
水筒から零れた水が飛沫となって蔓や木の根に降り注いだ。元はただの水。しかしアルベルトの祈りで浄化の力を得たそれは、悪魔にとっては毒と同じ。熱湯を被ったかのようにのた打ち回り大人しくなる蔓の合間をぬって、アルベルトは走った。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ 作家名:紫苑