Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ
しかし、まだ敵は残っている。水を浴びなかった木の根が一本、鋭い先端を向けて襲い掛かってきた。それを紙一重で避けて、ポケットから取り出したロザリオを絡める。ちゃり、と鎖が鳴った。
「神よ、我に祝福を。汝は我が盾、我が剣なり。その栄光は世々に限りなく、あまねく地を照らす。至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!」
祈りと共にロザリオが巻き付いた部分が吹き飛んだ。震える木の根を蹴ってどけ、剣に向かって手を伸ばす。柄に手が触れたその瞬間、左足に蔓が巻き付いた。
それはあの赤ん坊の悪魔が伸ばしたものだった。アルベルトに喰らいつこうと、万力のような力で締め上げ、引きずろうとする。だが、そうはさせない。今、手の中には剣がある。
白刃一閃。蔓は容易く切断された。すぐに体勢を整えて、魔物の元へ向かう。蔓も木の根も、襲い掛かるものは全て斬り伏せた。
――オマエヲ喰ラッテヤル!
魔物の一体を斬り裂くと、赤ん坊の悪魔が咆哮した。悪魔が伸ばした蔓がゆらゆらと揺れる。先端の棘のついた実のようなものがアルベルトの頭部を狙って向かってきたが、避けるのは難しくなかった。身をかがめ、棘の実をやり過ごすと、跳ね上げるように剣を振るって蔓を斬り落とす。緑色の体液のようなものが飛び散り、斬り離された蔓は二、三度蛇のようにのたくってから動きを止めた。
「ぐ・・・・・・!」
魔物本体に斬りかかろうとした時、いつの間に現れたのか、右腕に根が巻き付いていて動きを止められた。一拍おいて、左腕と左足にも絡み付く。それが強い力で腕や足を締め上げ、肉に食い込んでいった。棘のようなものが突き刺さり、血がにじむ。
動きを封じられたアルベルトを見て、赤ん坊の悪魔が咆哮をあげる。次いで放たれた黒い衝撃波が目の前まで迫ってきた。
「我にご加護を! 堅固たる守護を与えたまえ!」
祈りの言葉を唱え、右手に力を集中させる。掲げた剣に纏わせた祈りの力は辛うじて黒い衝撃波を相殺した。それでもアルベルトの所までわずかに余波が届き、頬や腕をかすめた。カミソリで切ったような傷から血がたらりと滴る。しかしそれにも構わず、アルベルトは手首に巻き付けておいたロザリオを根に触れさせると、素早く祈りの言葉を唱えた。
ロザリオを介し根に向かって浄化の力が放たれた。一瞬怯んだ隙に根を振り払い、左腕と足に絡み付く根を叩き斬る。間髪入れず左右から襲って来る根を避け、本体に迫った。
「至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!」
振り抜いた剣がダチュラと一体化した男の眉間を捉えた。そのまま中の悪魔ごと斬り裂いて、祈りの言葉の力で浄化する。赤い目が見開かれ、悪魔の耳障りな断末魔が周囲に響き渡った。
浄化されたダチュラは崩れ、枯れ朽ちていく。蔓だけは最後まで抵抗の意志を見せたが、アルベルトに届くことなく力尽きて地面に落ちた。悪魔は完全に塵と化し、もはや再生することはないだろう。
だが、安心するにはまだ速い。たくさんの魔物がアルベルトを取り囲んでいるのだ。同族が消滅したのを見て、ますます奇妙な啼き声をあげながらにじり寄ってくる。アルベルトは剣を構えると、祈りの言葉を唱えながら、近付いてきた魔物に斬りかかろうとした。
その瞬間、現れた幾本もの氷の槍が魔物達を貫いた。
「こんなところにいたのね」
振り返ると、そこには緋い髪を揺らしたリゼが氷槍を従えて立っていた。新しい獲物を見つけたとばかり数体の魔物が近付いていくが、リゼは手の一振りで氷槍を操り、魔物を串刺しにしていく。凍りつき、動きを止めた魔物達。間髪入れず浄化の術が発動し、悪魔は一匹残らず消滅した。
「リゼ! よかった。無事だったんだな」
「私よりもあなたの方が危なそうだったけど」
表情を変えずにそう言って、リゼは魔物の残骸に近付いていく。浄化によって崩れ、朽ち果てているが、苗床となった人間は辛うじて原形をとどめていた。最も、すでに植物の一部と化してしまっているため、蘇る可能性は、ない。
「これが人喰いの森の魔物の正体という訳かしら。植物の苗床になって養分にされてしまうということか」
眉間に皺をよせ、渋面を作ってリゼは言った。身体に根を張られ、養分を吸われて殺されるなんて、おぞましいとしか言いようがない。それも魔物化しているという訳ではなく、この花が持つ元々の性質のようなのだ。こんな恐ろしい性質を持つ植物があったとは。
「この人達は人喰いの森に呼ばれた旅人達ということか。――速く魔物の巣を駆除しないと」
犠牲になった旅人達の冥福のため、アルベルトは十字を切り祈りを捧げた。長時間そんなことをしている訳にもいかないのでやむを得ず簡略化して済ませると、待っていたリゼが口を開いた。
「ところでその分だと一緒にいないみたいだけど、ティリーとキーネスがどこへ行ったか知ってる?」
「・・・・・・え?」
「気付いたら一人だったからはぐれたのかと思っていたけど、あなたもなの?」
案内役のキーネスがいないと魔物の巣がどこにあるのか分からないのに。そう言って渋面を作るリゼを見ながら、アルベルトは少し痛む頭に手を当てた。
そうだ。自分達は人喰いの森の奥へ魔物退治に行かなければならないのだ。いつの間にはぐれたのか分からないが、こんな危険な魔物がいるのだ。速く二人を見つけて、魔物の巣を叩かなければ。
「俺も二人がどこにいるのかは分からない。速く探そう」
そう言うと、リゼは軽くため息をついてから急ぎましょうと言って歩いていく。アルベルトもその後を追って歩き始めた。
もし空を見上げていたら、いつもと違うことに気付いたかもしれない。
けれどその時、アルベルトはキーネス達の姿を探すことに気を取られていて、空を視ることなど思いもしていなかった。
ドドドドドと地面から振動が伝わってくる。大地の鳴動はそのまま樹々にも伝わり、木の葉を細かく揺らしていた。それを察知した鳥達が異変を察して我先にと飛び去っていくのを見て、ゼノはオレにも羽がありゃあなと心の中で嘆息した。
人の手が入ったことのない森の中というのは走りにくい。立ち並ぶ樹々に行く手を阻まれ、生い茂る下草とやわらかい腐葉土に足を取られそうになる。道は平坦ではなく、窪みは落とし穴のように隠されていた。禁忌の森は厳しく、人間の都合に合わせてなどくれはしない。
しかし追う方は森を知り、森を味方につけている。ここで生まれ、ここに棲みついているもの相手に、よそ者の自分達が敵うはずもないのだ。
「シリル! あいつらは今どの辺にいる!?」
「さっきより近付いて来てます! たぶん五十メテルぐらい・・・・・・追いつかれそうです!」
背中にしがみ付いているシリルが声音に怯えを見せながらも、しっかりと現状を教えてくれた。朗報とは言い難いその情報に、ゼノは心の中でため息をつく。本当は実際にため息をつきたかったのだが、走り続けて息が切れている状態でそれは無理だった。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ 作家名:紫苑