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夢盗奴

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「忘れてなんかいないわ。でも、貴方に才能があるとは思えなかったから、貴方のためにそう言ってあげたの。一生、陽の目を見なかったら、貴方が可哀想じゃない。当時の阿刀田先輩には、やはり光るものがあったのよ」
阿刀田が笑いながら答えた。
「おいおい、そんなに俺を持ち上げるなよ。たまたま、たまたまなんだ。おれより才能のある奴が、埋もれて消えてゆくのを何度も見ている。それはそうと、中条夫妻は、美男美女の取り合わせだ、きっと可愛いお子さんだろうな」
洋子が答えようとするのを、桜庭が強引に割って入った。
「阿刀田先生。ご招待頂きまして、本当に感謝しております。今度、うちの企画にも、是非乗って頂きたいと思っておりますて、…。あつかましいとは思いましたが、企画書を先生のプロダクションの方に提出しております」
「おい、おい、先輩後輩の間柄で先生はないだろう。それはそうと、その企画書には目を通した。今度、僕の意見も聞いてもらおうと思っている」
「ありがとうございます」
桜庭は90度以上、腰を曲げてお辞儀した。

 その日以来、洋子は阿刀田の熱烈なファンになり、舞台は必ず見に行くようになった。最初のうちは夫婦連れ立って見に行っていたのだが、中条は次第に足が遠のいた。そうそう舞台を見に行くほど暇ではなかったからだ。
 最初のうちはそれほど気にしなかった。いくら物好きな阿刀田でも、中年の子持ち女に手を出すとも思えなかったし、ホモの噂もあったからだ。しかし、洋子の外出の頻度が増し、次第に帰りが遅くなると、不安が頭をもたげ始めた。
 まして、勝の中学受験にあれほど熱中していたのが、嘘のようにその熱が冷め、自ら着飾ることに執念を燃やしているように思えた。とはいえ、残業も多く妻の後を付いて回る
わけにもいかず、中条は次第に疑惑と焦燥に苛まれていた。
 しかし、最初の発作、そしてそれに続くリハビリを通して、洋子の献身と誠意には心を打たれた。洋子の本質、その優しさに触れたように思った。不幸な出来事が、逆に中条の疑惑に終止符を打つという結果をもたらしたのだ。洋子に対する愛おしさが膨れ上がった。

第五章 夢の中

 二度目の発作のことは覚えていない。会社でのことなのか、それとも家にいるときなのか、はたまたその通勤途中だったのか?気が付くと病院のベッドの上に縛り付けられていた。聴覚以外の感覚を失って、孤独と絶望の日々を送っていたのだ。
 初めて洋子の話しかける声が聞こえた時、中条は必死で叫んだ。
「洋子、俺はここにいる。ここに居るんだ。助けてくれ」
しかし、その声は洋子に届かなかった。洋子は何事もなかったように語り掛けるだけだ。それまで中条は絶望の淵をさ迷っていたのだが、この瞬間、その淵から奈落の底にまっさかさまに落ちていった。
 それからどれほどの時を重ねのか。来る日も来るも自分の不幸を嘆き、その運命を呪い、終いには、発病の原因を洋子の作った脂っこい食事のせいだと結論し、最愛の妻、洋子さえ憎しみの対象にして罵った。
 そして、洋子がベッドサイドに座ることもなくなった。薄情女といくら罵っても、現状に何の変化もなかった。何度も呪いの呪文を唱えたが、その結果を確かめるすべもない。毎日が苦痛と絶望の連続だった。
 いつの頃からか、白髪の老婆が迷い込んでくるようになった。老婆は明らかに狂っていた。中条を自分の息子だと思い込んでいる。部屋のネームプレートを見たらしく、中条を「翔ちゃん」と呼ぶのである。もしかしたら、息子が同じ名前だったのかもしれない。
 狂人の話など聞く気はなかったのだが、朝の心地よい看護婦の声の他、人の話を聞くこともなく、時間つぶしになると思い、耳を傾けることにした。老婆の子供は交通事故で死んだという。じっと動かない中条を、自分の子供だと勘違いして話しかけてくるのだ。
「まったく、翔ちゃんには泣かされっぱなしだった。出産の時だってそうだ。翔ちゃんは私の腹を散々蹴っ飛ばして二度と子供が生めない体にしたんだ。翔ちゃんは私を独占したかったから、妹や弟が産まれないようにしたんだ、そうだろう、分かっているんだ」
『おいおい、おばあちゃん、考え過ぎだって。そんなこと赤ん坊が、考えるかよ。腹を蹴ったからといって、赤ん坊のすることだ、たかが知れてる』
「分かっているんだ、惚けるんじゃない。お前は覚えていないだろうが、公園で可愛い女の赤ちゃんがいて、私はお母さんに抱かせてって頼んだんだ。抱き上げて、頬ずりして、高い高いをしてあげた。ふと、バギーにいるお前を見下ろしたら、お前は憎憎しげに私を睨んでいた。そして火がついたみたいに泣き出したんだ」
『それも婆さんの思い込みだよ。赤ちゃんが人を睨んでいる顔なんて想像もつかない。やっぱりお婆さんは病気だよ。お医者さんに見てもらった方がいい。とにかく、まさに思い込みだ。それ以外にない』
「いいや、思い込みなんかじゃないよ。私は見たんだ。憎憎しげに睨むお前の顔を見たんだ。まさにホラー映画を見ているようだった。確か、昔あったじゃないか、二人で見た映画、そうそうダニアンとかいう悪魔の子供の映画だ。それを思い出したもんさ」
中条はおやっと思った。中条は心で語りかけたのだが、婆さんはそれに反応するように言葉を返した。もしかしたらという思いが胸を急激に熱くした。コミュニケーションが可能かもしれないと思ったのだ。中条は必死に叫んだ。
『婆さん、婆さん。俺の言ったことが分かったのか?おい、分かったら返事をしてくれ。頼む、答えてくれ』
「父さんが死んだのも、お前のせいだ。お前は父さんに嫉妬していた。だから、お風呂場で倒れたお父さんを放っぽらかしにして、ピヨピヨアヒルで遊んでいた。もし、すぐに救急車を呼べば助かったんだ。分かっているのよ。私を独占したかったんでしょう?」
何を話しかけても、ただただ子供に対する恨み辛みを訴え続けている。期待し過ぎた分、その反動も大きかった。中条は、まるで階段を踏み外したかのように絶望の深みに落ちてゆくしかなかった。
 狂人の言葉が続く。涙も出ない。こんな狂人にすがろうとした自分が情けない。しかし、中条は、人とのコミュニケーションを欲していた。それは、洋子が何故来ないのか、そして勝はどうしているのか、それを確かめたかったからだ。
 洋子は、最初のリハビリで、あれほど親身に、そして時には厳しく、励ましてくれた。それなのに、今度の発病では、最初の頃何度か顔を出しただけで、その後はぷっつりだ。ましてあれほどなついていた勝が何故見舞いに来ないのか。
 訪問者は相変わらず、朝の看護婦、そして月に一回やってくる老婆の二人。朝の愛しの君はいつも優しく声をかけてくれる。老婆は来るたびに30分ほど息子の悪口を言いまくって帰って行く。中条に語りかけるのは、この二人と時折迷いこむ虫達だけだ。
 老婆の話は、最初は赤ちゃんの頃から始まったが、ふた月目は幼稚園、み月目には小学一年と順を追って進んで行く。次第に煩わしく、嫌気がさして来て、この頃は頭の中でビートルズを歌いまくって聞かないようにしている。
作品名:夢盗奴 作家名:安藤 淳