(続)湯西川にて 26~30
(続)湯西川にて (27)転倒事故の真相は
「その怪訝な顔の様子では、
事故の真相については何も聞かされていないようですな。
俊彦君はオートバイで転倒をして、3か月も入院をするという
事態になったが、そのおかげで此処にいる岡本も、若頭も、このわしも
助かったと言ういきさつなどが、実は隠されておる。
まずは、今回のこじれた因果関係を一通り説明をする前に、
乾杯などをして、お互いに喉などを潤しておこう。
長きに渡る敵対関係にあった因縁絡みの間柄ではあるが、
俊彦君の無事の退院を契機として、まずは一切を水に流した上で、
仲直りの手打ち式といこう。それでいいかね、俊彦君」
「一切、異存は有りません」
「いつもながらの見上げた覚悟だ。聞いての通り、そういうことだ諸君。
岡本も若頭も、これを機に、これ以降は、
いままでの遺恨などは一切残さぬように、お互いに配慮につとめよ。
さき。皆さんの器に酒をついで回れ」
男たちのコップには、さきによってなみなみと酒が注がれます。
全員に酒が注がれた様子を確認してから、鬼瓦がコップを
高々と差し上げます。
「乾杯」と言う声も出さずに、押し黙ったままの男たちが、
注がれたコップの酒を、ただ淡々としてお互いに飲み干していきます。
(なんなの、いったいこれは・・・・
これが房総のクジラ漁師たちの流儀なのかしら。
コップでいきなり日本酒を呑みほしているというのに、乾杯の声さえも
出さないなんて。)
「さてと・・・・」
ひと息に酒を呑み干した鬼瓦が、相変らず不審そうな顔をしている
清子に向かって、まぶしそうな目線を向けます。
さきは次の指示を受ける前に早くも、空になった男たちのコップへ
再びなみなみと日本酒を注いで回ります。
「わしらクジラ漁師は、ひとたびの漁に出るたびに、
二度と陸地に帰ってこられないだろうという覚悟を決めて、
全員が船に乗リ込む。
小さなものでも10メートルを越える沿岸のクジラは、
このあたりの海の中では、最大で最強をほこる生きものだ。
わしらはそれを捉えて、職業となす。
捕るほうも、捕られるほうも、海の上ではともに捕るか捕られるかの
真剣勝負だ。
モリを打たれたクジラは、必死の力で深海へと一気に潜る。
わしらの捕るツチクジラは、1000mの深さまで、
軽々と潜る力を秘めておる。
ひとつ間違えば、クジラが暴れてわしらは、船もろともに
海中へ引きずり込まれる。
海では、常に強いものしか生き残れない。
それが海で生き抜くための掟であり、同時に海における運命だ。
ゆえに、わしらの酒盛りに、やり直しや二度目というものはありえない。
少々乱暴だが、こうして男が腹を決めて呑むときは、
何も言わずに、黙々とひたすら酒をあおることになる。
浜で長年暮らしてきたクジラ漁師は、こんな風に
まったく野暮に酒を呑む。これが長年続いたわしらの流儀だ。」
2杯目も一気に呑みほした鬼瓦が、
足を崩すと、どっしりとあぐらに構えてから、血走った目を、
端正に座りつづけている清子の方へ向けます。
(あら・・・・ようやく、男の本音と真実とやらが
明らかになるのかしら・・・・)
清子の方もただならぬ気配を察知して、一瞬、背筋をただします。
「わしはこの俊彦君に、男としてぞっこん惚れた。
何故この男が、オートバイで転倒をして全治3カ月と言う
大けがをしたのか、
まずは、そのあたりから、あなたに説明をしなければならない。
最初に原因を作ったのは、2年ほど前からこの和田町にやってきて
原発で働く労働者たちを集め始めた、この岡本の登場だ。
知っての通りクジラをめぐり、商業捕鯨は未だに禁止の規制が
かかったままで、クジラ漁師たちの難儀は、未だに続いておる。
沿岸で捕っているミンククジラやツチクジラにも、頭数を制限するという
規制がかかり、年間に捕る頭数は、政府の命令で
厳しく管理がされている始末だ。
多い時には、100頭以上も捕獲をしたと言う古い記録も残っているが、
今となっては、過去のただの栄光にすぎないだろう。
浜の者たちの仕事が無くなれば、
それに変わる別の職業があらたに必要となる。
それが、茨城に建設された東海村の原子炉や、福島県に作られた
第一と第二の原子力発電所だ。
きわめて危険を伴う仕事だが、すこぶる金にはなる。
危険なのは、クジラ漁師の仕事とても同じことだ。
この男の世話で、10人近いクジラ漁師や、クジラをあつかっていた
関係者たちが原発の仕事へと転身をしていった。
これも時代の流れと思い、ここいらあたりまでは特に、
何の問題もなかった。
だが、実はこの二年間の間に、俺の重大な見落としがあった。
娘のさきが、この岡本という小僧に惚れちまったことが、
最初の落とし穴だった。
さが、俺はつい最近まで、そんなことには全く気が付かずにいた。
不幸はまだある。
俺の右腕のこの若頭が、実は昔から娘のさきに惚れていたと、
のちのちになってから俺に白状をしてきた。
当然のこととして、さきをめぐって、二人の男が奪い合うと言う
構図がはじまったわけだ。
ここまでなら、なにも血を流す事件までには発展をしなかったはずだ。
女を奪い合うと言っても、最後は女に判断を任せることになるので、
暴力座他にはならなかったはずだ。
だが、もうひとつの真実というやつが、若頭の正義心というやつに
火をつけた。
若頭の怒りが爆発をしたのは、岡本の本当の正体が
露見したからに他ならない。
ただの原発の仕事の手配師かと思っていたら、その背後には利権を漁る
広域の指定暴力団の巨大組織が有った。
それどころかこいつは、将来が有望視されている幹部候補生の
ひとりだった。
ことさら正義感が強いこの若頭が、横恋慕とやっかみに後押しをされて、
ついに刃物を使って、暴れ始めちまった事が有る」
(鬼瓦が秘蔵している高嶺の花をめぐって、
男二人が争い始めたわけか・・・・
でも、そこへなぜ、関係のない俊彦が一枚からんでくるのだろう。
なぜ俊彦がオートバイに乗り、生きるか死ぬかの転倒事故などを
ひきおこすのだろう。
あんた。私が知らないうちに、房総でいったい何を
仕出かしたのさ・・・・)
清子が、ひたすら息を停めて、俊彦の横顔を見つめています。
鬼瓦が手にしている空となったコップには、3杯目の日本酒が
またなみなみと、娘のさきによって注がれていきます。
作品名:(続)湯西川にて 26~30 作家名:落合順平