(続)湯西川にて 26~30
(続)湯西川にて (26)鬼瓦の屋敷にて
「覚悟のほどはいかが。あなた」
招き入れられたクジラ漁師の柿崎邸の駐車場で、
運転席を離れる間際に清子が小声で、俊彦に語りかけてきます。
浴衣の襟を整えていた俊彦が、思わずの苦笑を清子へかえします。
「吉良上野介邸へ、打ち入りに押しかけてきた赤穂浪士でも有るまいし。
是非にと先方から招かれたので、言い分を受けて屋敷へ
乗り込んできただけの話だ。
とはいえ、鬼瓦とさきさん。極道の岡本という顔合わせに、
ついではいえ、クジラ組の若頭まで顔を出すとなると、展開の様子は
まったくもって見当がつかない。
緊張させるなよ、清子。
・・・・この後におよんで、いまさら・・・」
「クジラ組の若頭? あらまぁ、
いつのまにか登場人物が、お一人ほど増えていらっしゃいます。
それにしても、ずいぶんと立派な門構えです。
古い重厚な建物の様子と言い、手入れの行き届いたお庭の風情と言い、
はるかな昔から栄華をきわめたという歴史の様子などが、
立ち込めていらっしゃいます。
こちらまで、身の引きしまる思いがいたします」
ピンクのワンピースを着たさきが、玄関から迎えに現れました。
丁寧に一つ頭を下げてから、あらためて俊彦の足の様子を気に掛けています。
「お気遣いなく。
もうすっかりと、回復をしてしまったようです。
なにしろ私のために、膝枕などをしてくれると嘘ぶいたくらいですから。
慨に、健脚そのものの様子です。うふふ。」
そう笑いながら言ってのけても、清子はぬかりなく
俊彦の前へ立ち肩を差し出します。
事情を察知したさちは、それ以上は口にせず、黙って先に立ったまま
邸内へ導きます。
玄関脇から始まる広い廊下は、中庭に面したまま暗い佇まいを見せています。
そのままさらに奥に向かって続いています。
ガラス戸越しに見える日本庭園では、古木の松の群れが踊るような
枝ぶりを繰り広げています。
長い廊下の突き当りを右へ曲がると、明かりのついている部屋の前へ出ます。
「俊彦さんと、清子さんがお見えです」と、さきが廊下から声をかけると、
中からは「おう」と一声だけドスの効いた、低いダミ声の返事が
返ってきます。
招き入れられたのは、大きな床柱がドンと構えている
12畳あまりの客間です。
床柱を背にした正面の席にだけ、ぽっかりと空間が空いています。
左側には険しい眼差しをしたままの鬼瓦が、口を真一文字にむすびがっしりと
腕を組み、見開かれたその眼は、むんずとばかりに天井を睨んでいます。
少し距離を置いた下座には、クジラ組の若頭らしい人物が、
身体を固くしたまま、きっちりと膝を揃え、うつむいたまま控えています。
相対するような形で席に着いている岡本は、悠然とあぐらをかき、
目を閉じたまま、通り過ぎる時間だけを静かにカウントしています。
「みなさま、これにて、お揃いになられました」
さきが鬼瓦へ、耳打ちをします。
「うむ。」と答えた鬼瓦が、がっしりと組みこまれていた両腕を
ゆるりと解きほどきます。
見開かれた目が、入口で立ち尽くしている俊彦と清子の姿を見つめます。
まずは正面の席に座れと、俊彦を手招きをしてから脇に着いている清子も、
その隣に座れと、鋭い眼が語りかけます。
言われたままに二人が、指定の席へ正座をします。
「さて・・・・」と、鬼瓦が、ようやく言葉を発します。
「今回の一連の事件と出来事で、
いくつもの不始末を生み出したすべての原因とその責任は、
すべて、このわしにある。
まずはそのことを、この場ではっきりと、全員の者に最初に伝える。
娘の真意を知らずにいたことが、わしにとっての一生の不覚だった。
この若頭が、娘のさきに惚れ抜いていたいう事実にも、
まったく気がつかずにいた。
これもまた親であるわしの一生の落ち度だ。
そのうえ、この岡本というワルの小僧と、
わしの娘が『できていた』ということにも、
まったく今まで気がつくどころか、蚊帳の外にいたという事実も
本当のことだ。
わしが、若いもの達のことを何も気がつかずにいたことが、
今回のすべての事件の原因となった。
まずは、そのことを、皆の者に詫びたいと思う」
鬼瓦が、膝をそろえると俊彦に向かって深々と頭を下げます。
「ゆえに何の責任もない俊彦君を、無用にまきぞえにさせてしまった。
怪我をさせ痛い思いをさせたあげく、3か月にもわたる
入院生活を余儀なくさせた。
これもまた、元はといえば、わしの監督不行き届きのせいに有る。
この通りだ。申しわけない。ひたすら謝罪をしたい。」
「親方。それでは、話があんまりです。
一番悪いのはこの俺で、
すべては俺の軽はずみからはじまったことで・・・・」
「いいから、お前は黙って引っ込んでいろ」と、
鬼瓦が厳しく若頭を制止します。
なりゆきに呆然としたまま、ただ怪訝に見つめている清子のもとへ、
鬼瓦の鋭い視線が飛んできました。
「清子さん。この岡本と言う小僧に頼んで、
あんたにわざわざと来てもらったのも実はこのわしが、
俊彦君のためと思い、良かれと思って仕掛けたことだ。
そう言う意味では、何も知らないあんたにまで、
わしは、迷惑をかけることになってしまった」
話の真意が全く見えず、清子の疑問はますます深くなるばかりです。
作品名:(続)湯西川にて 26~30 作家名:落合順平