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リンドウノミチヤ
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KYRIE Ⅱ  ~儚く美しい聖なる時代~

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第2章 接触~sione3~




 そのピアノの音色を聴いた時、統也は、あのピアニスト、桐永天音だと思った。
 昔、史緒音が旅立った後、天音のアルバムを購入して繰り返し聴いたのだ。柄にもない事をしているとも思ったが、彼にとってはそれが唯一の彼女の足跡を辿る術だった。
 広間の真ん中のグランドピアノの前に座っている公爵夫人の、鍵盤の上を滑らかに動く白い指を統也は暫し眺めていた。ピアノの音は、微かな余韻を残しつつ止まった。

「父がアパルトマンに練習用に置いていたのよ、もう使わないからと今になって送りつけて来たわ」

 公爵夫人は鍵盤を見つめたまま呟いた。そして顔を上げると、変わらぬ酷薄な瞳で彼を直視し、続けた。

「感心にも、逃げなかった様ね」

「覚悟はしてるしな」

「日本に逃げ帰る気はない訳?夫は鷹揚な人だし倫理観は普通の人間とは違うけど、妻を寝取られたと知ったらどういう行動に出るのか私にも分からないわ」

「貴女のピアノを聴けたからな、ここで殺されても惜しくはない気になってるよ」

 夫人は呆れた顔で統也をしげしげと見つめた。

「あなたはずっと昔から私に執着しているわよね、一体何故?」

「俺にも分からん。だが、貴女は俺にとって特別な存在だ」

「私は特別な人間なんかじゃないわ」

 夫人は自嘲するかのように呟いた。

「いや、貴女は、自分でも分かっていないのかもしれんが、特別なんだよ。多分俺は、最初に出会った時から、貴女を所有してみたかった。貴女が他の奴らの目に触れるのも嫌だったし、ずっと誰のものでもなく、俺だけのものならいいと思ってたよ。でもそうじゃない。貴女は俺とは違う世界のひとだ。どうやったって、それは変えようがない」

 彼は低く掠れた声で一気に言った。そして暫しの沈黙の後、意を決した様に夫人を見た。

「明日、俺はこの国を去る。チームも辞めて来た。もう貴女に会う事もないだろう」

 統也はきっぱりと言った。公爵夫人は白い顔を僅かに上げた。彼女はまるで迷い子の様に目の前の男の顔を見た。薄茶色の長い睫毛が一瞬ふせられ、その瞳に微かに影を落としたが、男は気づかなかった。

 彼はその時、遥か昔に出会った美しい少年の事を思い出していた。冬の埠頭で光り輝いていた少年の亜麻色の髪、無造作に首からかけていた小さな古めかしい十字架、彼の前を駆け抜けて行った細く長い手足。そして今彼の前に立っている月の佳人を見た。少年時代から始まった奇跡に終止符を打つべき時が来たと思った。長い苦悩の末の決断だった。

「俺が貴女を忘れることはないだろう。だけど今の俺はもう、持ち札の全部を使い切っちまった。貴女は、どうだ?」

 夫人が口を開いた時、統也の端末が音をたてた。

「貴女の、旦那からだ」

 統也は夫人の目を直視したまま言った。