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リンドウノミチヤ
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KYRIE Ⅱ  ~儚く美しい聖なる時代~

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 目が覚めると身体全体が怠かった。何時に間にかルイ・セドゥがベッドの側に腰掛けて彼女を見ている。

「大丈夫かい?」

 夫は言った。その目はどこか温かかった。彼が妻の寝室に入って来る事は珍しい。彼女がぼんやりと夫の顔を眺めていると、熱を出して一晩中寝込んでいたんだ、もう夕方だよと言った。
 それでは私はあれから丸一日意識を失っていたのか。彼女はいささか唖然とした。ルイ・セドゥはそんな妻を優しく見やった。

「もう暫くさぼっていたらいいよ、君は働き過ぎだ」

 それは何故か、統也がいつも自分に寄こす視線に似ている気がした。


「母の夢をみていたの」

 ルイ・セドゥは少し驚いた様に彼女を見た。妻が自分自身の事について口にするのは珍しい。彼は優しく妻の手を取った。

「写真を見た事があるよ、まるで日本人形の様な、とても美しい人だった」

「もう死んじゃったけどね」

 彼女は何の感慨もなく呟いた。
 もう過ぎ去った日の事だ。若くして出会った父、天音と母、秋尾。
 ピアニストの道を志していた天音は、しかし幼くして出奔した父親に続き母親も他界した為困窮していた。更に天音を溺愛していた祖母も倒れ止む無く遠縁の家に身を寄せた彼は、そこで秋尾と出会った。執着が強かったのは天音より秋尾の方だった。双方共違う意味で浮世離れした感性の持ち主であり、結婚生活はあっという間に経済的破綻を招いた。天音は妻と生まれたばかりの娘に殆ど関心を示さなくなり、秋尾の精神は病んでいった。


「アマネとは、話す事はあるの?」

 妻の心の内を知ってか知らずかルイ・セドゥは尋ねた。彼女は否定し、薄く笑った。

「知ってるでしょう、父とは馬が合わないのよ。それに父の方はきっと私を憎んでいるでしょうね」

「アマネが?そんな事ある訳ないよ」

 ルイ・セドゥはきっぱりと否定した。心底そう思っているらしい口調に、彼女は思わず夫を見た。

「君が昔、彼の手を傷つけてピアニストとしての生命を絶つ結果になったのは悲しい出来事だった。でも僕は、彼ほど神に愛されている人間を知らない。彼には君を憎む必要などないんだ。でも彼のその本質こそが、君にとっては堪え難い事だったんだろうね」

 この男は時々思いがけない所で真実を言い当てる。
 彼女は内心苦笑せざるを得なかった。そしてルイ・セドゥと父が昔、恋愛関係と言って良い繋がりを持っていた事を思い出した。それは、もしかしたら母が幼い彼女の前で狂って行った日々と重なっていたのかもしれない。
 しかし、今それは虚無感の伴う、風塵のごとく儚い記憶だった。


「そう言えば彼、統也が昨日来ていたの?」

 突然の夫の言葉に彼女は一瞬躊躇ったが、頷いた。昨日あれ程混乱していた思考は今は冷たく平静そのものだった。

「今度彼を夕食に招待するといいよ」

 ルイ・セドゥは立ち上がったが、ふと振り返った。

「ねえ、彼は君の事が好きなんだね?」

 そして吃驚して夫を見返す妻にお休みと言い、部屋を去って行った。

 一人になった彼女は嘆息した。あの夫は時々謎めいた言動をする。企業家らしい現実主義者かと思えば妙に刹那的で救い難いロマンティストだ。謎と言えば榛統也も彼女にとっては謎だった。熱いかと思えば冷たく、途方もなく優しいかと思えば荒れ狂っていた。でも、と彼女は思う。

 統也、私と貴方は違う。貴方の言った通りだ。それは与えられた運命の問題だ。だからもう、私に構わないで。