レジェンドオブフライ
何者かがこちらに近づいてくる気配がした。ぽっちゃり小型人間、ミニであった。ミニはわたしを見つめていた。太い眉の下のmost of 黒目は、好奇心でキラキラと輝いている。
ミニはその太い指をそっとわたしの羽根に触れた。そして優しくふわりと、
わたしとみたらしのタレを引き離した。
なんと…わたしは助けられたのか?!
「罠だ!」
ケツァールの声が聞こえた。
「逃げろ兄弟!そいつはお前を例のものに閉じ込めるつもりなのだ!」
先程のカチンコチンギンギンを思いだしたわたしはケツァールの声にハッとした。
だがしかし、ミニの太くぽよぽよとした手のひらは、なにやら妙に暖かく非常に心地よかった。わたしは、ミニの手に確かに守られたような安堵を感じたのだ。
そこに、もう一人人間がこちらにやって来た。
彼女を見たミニは、満面の笑みを浮かべてわたしをそちらにつきだした。
「見てっ!!虫ーーーーっ!!」鼻息(フフンッ)
彼女は、我々の姿を見るなりあらん限りの声を上げた。
「キャーーー!!」
全く二人そろって声がとにかく馬鹿でかい。
その爆音で我にかえったわたしは思わず飛び立った。なぜだか、尻がムズムズしてきたのだ。
これは、そう、儀式を始める合図である。
外の闇に、明るい電燈。この二つは我々の本能を掻き立てる。
古代の記憶が、我々の体の中で目を覚ます。わたしは人間の声に圧倒されながらも飛び始めた。それはケツァールとて同じことである。
ケツァールと私の二匹は互いに一定の間隔をあけながら電灯の周りを円をえがいて飛び始めた。
ふわりふわりと、限りなく優雅に。
空気を震わす音楽に身を委ね本能のまま飛び続ける。
ああ、たまらない。この電灯の明かりはいつにも増して強烈に光っていた。
こんな光を浴びたら、我々一族は踊りださずにはいられない。本能に従うのが我々蛾族の定め。我々の情熱は空を伝わった。ちょうど闇が迫りくる夕暮れ時に、蛾族は情熱を求めてさ迷い飛ぶ。その情熱をうけとってふわりふわりと仲間の数が増えてゆく。
ママと呼ばれる人物は、相変わらず甲高い音を発しながら目を見開き、我々を凝視していた。最初はうるさく感じたママの声もなにやらぼんやりとしてゆき、なにやらリズムの一部であるかのような気がしてきた。
ぼんぼんぼぼん、聞こえないはずの音楽が鳴り響く。我々の身体に響く太古のリズム。とてとてとて。そこに重なるミニの足音。
ぼんぼんぼぼん
トテトテトテトテ
(キャー)
どんどんどんどん数が増えていく。
一定の速度を保って円を描く。
ふわりふわりと、限りなく優雅に。
ぼんぼんぼぼん
トテトテトテトテ
(キャー)
ミニは小さな体をこれでもかというほどにのばして手を上に突き上げ我々の儀式に参加していた。
彼もまた、円を描くかのごとくステップを踏んでいた。
ぼんぼんぼぼん
トテトテトテトテ
(キャー)
我々が描く円は、やがて大気の流れを産み出した。この空間の異様な熱気は上昇気流にのって、電灯の下に集まった。やがてそれらは小さな雲になる。
小さな雲はやがて大きな雲になる。
大きな雲は、水滴を降らす。我々はそれを聖なる水と呼ぶ。蛾族の言葉で
コラ・ラトル。
「コラ・ラトル!!」
突然誰かがこう叫んだ。
大根を持った年老いた人間だった。
いや、我々はこの人間をよく知っていた。我々の間では、「ババ様」と呼ばれている。ババ様は毎年一年に一度、儀式に使われる電灯を取り替えにくる人間だった。その為、我々は敬意を込めてババ様と呼んでいた。
「彼らは聖なる水をうむ蛾じゃ!
これは儀式じゃ!コジロウ!儀式の邪魔をするんでない!」
ババ様は、ミニのぽっちゃりとした腕を力強くつかんだ。
バランスをくずしたミニはぼてっとその場にしりもちをついた。
躍り狂っていた蛾たちに変化が生じた。ババ様の言葉で、我々の頭の中に、
遥か昔の記憶が、今、甦ろうとしていた。
「ジジの話は嘘ではなかった。この地に伝わる古い古い言い伝えじゃ」
そう、あれはいつのことであったか。
まだ神話が語られていた時代のことである。
人間も動物も植物も互いに語り合っていた時代のことだ。
愚かな我らの祖先は、人間と賭けをしたのだ。
かつてこの地には、蛾族が栄華を誇っていた。
不思議な力を持つ蛾たちであった。
我らに出来ぬことなどないとおごりたかぶった。
「神」になりたかった蛾、崇められ、尊敬され、祭られることを欲望した我らが祖先。
それは許されぬ欲望であった。
もちろん天の神は怒った。神になりたいなどという欲望は決してあってはならないことだったのだ。
そこに、一人の男がやって来た。その名を、ヨジロウという。
彼は蛾族の王と喋りたがった。不思議な男で、彼の話にみんな聞き入ってしまうのであった。
彼は王のお気に入りになった。
ある満月の晩に、ヨジロウは蛾の王にこう尋ねた。
「ところで王よ。今晩はどの様な月が出るのかご存じですか?」
「今宵は満月よ」
「その月を私が消して見せるというのはいかがでしょうか?」
「そのようなことができようか、愚か者め、そのようなことが万が一あるならば、望みのものは何でもくれてやろうぞ。」
と我が祖先は鼻息荒く言い放った。
「水が欲しい」と、ヨジロウは言った。
「我々人間が自分の力で水を得るようになるまで、この地につきることのない水をくれたまえ!」と。
「水だと。よろしい。我ら蛾族の名誉に懸けて誓おう。我らがお前たち人間に水を与え続けるとな!だがしかし、お前が月を消すことができなかったら、お前たちはこの世が続く限り我を神と崇めるか?」
「万が一わたしが月を消すことができなかったら、あなたの望む通り私の一族は永遠にあなた方蛾族を神として奉ることを誓います。」
「むほほ!よろしい。」
満月の夜には魔法がかかる。それは何故か。月は、天の神が地球を見下ろす窓なのだ。その証拠に月には神の影がうつっていることに賢い読者なら気づくだろう。月に一度だけ月が丸々太った満月の夜に、この地球を見下ろしているのだ。満月の夜は、神に見られているということを覚えとかなければならない。安易に嘘をついてはいけない。おごり高ぶってはいけない。
その日、天の神は月の窓から二人の約束をしっかりと見ていた。
ヨジロウが蛾の王を騙したことも、蛾の王があってはならぬ欲望を口にしたことも。
満月が空高く上がったとき、山の頂上には蛾族が集まった。そしてヨジロウは今か今かと待っていた。
そう、その日は月が地球の影に入る、特殊な日であることをヨジロウは知っていた。
それは人間族のことばで「月食」と呼ばれる。
ヨジロウに月を消すとんでもないパワーなどあるはずもなく、月を隠すのはわれらが地球である。
ヨジロウは天文オタクであったので、そのようなことを知っていた。
「ふ、どうしたヨジロウ、我は見とるぞ、ほれほれ消してみぃ」
蛾族の王が気味悪く笑ったその時である。まん丸であった月の端に暗い影がうつった。
「ありゃ?!」
作品名:レジェンドオブフライ 作家名:森巣遥香