レジェンドオブフライ
どうやらミニは、軽やかに飛び回る私たちを捕まえることに挫折したその小さな心を癒すために地面に落ちていたギンギンを捕まえたようだ。ひっくり返ってジタバタしていたギンギンは、さも捕まえやすかったに違いない。そんな所で自身のプライドを保つだなんて!ミニよお前はそれでもぽっちゃりの端くれか!
虫かごの中のギンギンは、どうやらひっくり返ってしまったので起き上がろうとしたところ、思わず羽をブルッとさせてしまい狭いかごの中で飛行してしまって、瞬時に墜落したらしい。わたしの想像力は並大抵のものではない。おそらく的中しているはずだ。哀れなギンギン!
墜落した際にひっくり返ることができたギンギンは大人しくなった。それをみたミニは安心した様に虫かごをもとの位置に戻した。
ミニはだんごを手に持ったまま虫かごを手に取ったので、虫かごにはみたらしのタレがたっぷりとついていた。
ありゃ、ギンギンのやつ、うまそうにタレを嘗めているではないか!なんと危機感のないやつめ!ああ、羨ましい。
わたしがギンギンに羨望の眼差しを向けていると、空から何かが飛んでくるのが目に入った。あれは、ケツァールではないか!
わたしが偵察に行ったのを聞いて急いで駆けつけたに違いない。真似されるのは御免だというのに。
昔からこうだった。わたしのすることをいちいち真似してくるのだ。
ライバルなのはライバルだが、不毛な戦いはあまりしたくなかった。
私が蛾族の防衛部隊に選ばれた際も、ケツァールは自ら名乗りを上げた。
彼は財務省に内定していたのに訳が分からない、とわたしは不審に思った。
本人に聞いてみても、意味深に笑うばかりで少しも要領を得ない。
にやにや笑うと割れた尻がますます割れているような気がして気が気ではなかった。
そんなことをぼんやり考えているとあろうことか、ケツァールは私と同じ柱にやってきた。
この暑さの中を飛行してきたのにも関わらず、彼はさほど体力を消耗している様に見えなかった。さすがは私のライバルである。褒めてつかわそう。
わたしの隣にとまったケツァールは声を潜めながら喋りかけてきた。
「なんと、あれはコガネムシのギンギンではないか!」
「そんなことは百も承知だ。やつはみたらし団子のタレを嘗めている」
「おお、本当だ、なんと羨まし…ごほん、いや、そんなことよりも、ミニの情報は何か手に入ったか?やつは一体何を企んでいるのだ?」
「わからない。」
だんごを食べ終わったミニは、再び虫かごを観察し始めた。そして、みたらしのタレをなめているギンギンを見つけると顔を輝かせた。虫かごを両手で持ち、すっくと立ち上がった。
「ママー!!虫、舐めてるー!!」
そう叫びながら部屋の奥に走り去っていった。
「しまった!奥に行ってしまった。ミニはなんと叫んでいたのだ?」
「わからない、始めて聞く言葉だ。どうする兄弟、このままではギンギンの命が危ない」
「だがしかし、一族の掟では、ここから先は入ってはならんことになっている。」
「だがしかし…」
わたしとケツァールはしばし沈黙した。辺りには夕闇が迫っていた。ムシムシとした空気が少しずつひんやりとしてくるのがわかる。
その時、わたしはミニが座っていた縁側に奇妙なものを見つけた。
「見ろ、ケツァール!あれはなんだ?」
ジンが指差したのは、一冊の本であった。表紙には、「日本昆虫大百科」の文字が連なっている。その文字の下には確かに、ギンギンがいた。近づいてよく見ると、確かにギンギンではあったがギンギンではなかった。果てしなくギンギンそっくりの何かがいた。人間族め!このような魔術を用いて我々の仲間をこの中に閉じ込めているとは!いかなる方法かはわからない。だが確かにそこにはギンギンがいたのだ。
彼ら蛾族は「写真」というものを知らなかった。いや、知るはずもなかったのではあるが。「日本昆虫大百科」の表紙には立派なコガネムシの仲間たちと写真が堂々と載せられていたのである。
「ギンギンではないか!どうしてここにいる。おい!ギンギン!」
限りなくギンギンに近い何かは
ケツァールの問いかけに対して何の返答もしなかった。ただただ、そこにじっとしているだけである。
「いかん、すっかり固まっているらしい」
「兄弟、これこそがミニの狙いだ。
この本の中に我々を閉じ込めていくのだよ」
「いやはや兄弟その通り。だが一体何のため?」
「兄弟、そこは問うてはならない。人間族は自分のしていることをわかってなどいないのだから。我々はどこへ行き、どこへ行くのか?と題した彼らの絵を忘れたか?」
「そうだな兄弟。そこにいるという理由だけで十分なのに!」
「兄弟、今こそ手を取り合って仲間の危機を救うべき時!」
「そうだな兄弟!」
ケツァールとわたしは、コガネムシのギンギンを助けるべく飛び立った。
人間の家の中は、まさしく未知の世界であった。見たことの無いもので溢れかえっていた。部屋の角に置かれた箱の中では小さな人間が動き回っている。あんなに小さな仲間もいるのか!
そうして飛んでいると、なにやら四角い木の板から棒が4本突き出たものの上に、ギンギンの虫かごが置かれていた!
ギンギン!今助けてやるからな!
刻一刻と闇が近づいてきた。先程まであんなにギラめいていた太陽はまるで別ものかのように穏やかな光を放ちながら山の間に沈んでいく。代わりに辺りをおおう漆黒の闇。
我らの時間がやって来た。
闇に元気付けられたケツァールとわたしは、勇気元気100万倍!
勇ましくギンギン救出作戦に乗り出した。
「ギンギン!」
そうかっこよく叫びながら、ギンギンのいる虫かごに突進したわたしはしかし、なにやら突然吹いてきた風にあおられてよろめいた。よろめきながら虫かごに激突した。
横を見ると丸い顔を左右に振りながら部屋を見渡している何者かがいた。
どうやら、人工的に風を送り出す道具らしい。プロペラを無駄にぶんぶん回して鼻息荒く動いている。
自分の失態をケツァールに見られた恥ずかしさから、わたしは急いで起き上がろうと腹に力を込めた。
だがしかし、なぜだか体が動かない。何者かに羽を引っ張られている気分だ。どうしたことだろう。
かろうじて動かすことのできる首を後ろに向けてみると、みたらしだんごのタレがテラテラと光っているみたらしだんごのあのタレが、私と虫かごとを一体化しているのだ。さらに、虫かごの中はすでに空っぽであった。甘い罠だ。スウィートトラップ!
こんなところで自分の体毛の濃さを嘆くことになろうとは夢にも思わなかった。わたしの体毛はしっかりとみたらしのタレにまとわりついていた。
私は我が身の自由を求め脚をクネクネと動かしてみた。だがしかし、自由は手に入らずに、己の羞恥心が無駄に刺激されたのみであった。
部屋の中に刻々と闇が侵食してくる。窓から差し込む夕日が異様に赤く染まっていた。
われらの闇もわたしにパワーをもたらしはしなかった。
その時である。部屋に何者かが侵入し、部屋の中に光が満ちた。
まっまぶしい。 思わずわたしは目をつぶる。
作品名:レジェンドオブフライ 作家名:森巣遥香