レジェンドオブフライ
王は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「ああああれはどうしたことか、ヨジロウ、お前の仕業か?!」
「はい、その通りでございます。」
ヨジロウは何食わぬ顔でそう答えた。
もう一度月の方を見ると、確かにほんの少しであるが月に黒い影ができている。
心持ち月が消えているような気がする。
「お、お前は地味だなあ、もっと景気よく消してみんかい!」
王が悔しさからむなしい皮肉を口にしたその時である。
月が異様に大きくなった。だんだんだんだんと大きくなって、ぴかぴかと光りだした月の中に
大きな顔がぬっと現れた。
我らが神の登場である。
そのシルエットはみるみる大きくなっていき、その口をカッと開けた。
「愚かな蛾の王よ、お前は口にしてはならぬ欲望を口にした。
愚かな人間よ、お前はわたしが授けた賢い頭脳によって蛾を騙そうとした。
ちと、お仕置きが必要なようじゃなあ」
蛾族とヨジロウは、神の厳かな声に恐縮した。蛾の王はぷるぷると震えて下を向いていた。
「蛾よ。お前たちは少しばかり力を持ちすぎる。しばらくの間、我を忘れよ。ただひたすらに本能のおまむくままに、生きてみるがよい。時がくるまで、お前たちの名前は預かる。自分が何であるかを考えずに生きるのだ」
「人間よ、お前はその賢さを無駄にするでない。考えるのじゃ。」
「しかし神よ。我々はいつまで名をなくしたままなのでしょうか?あまりにも長いと、己が何者か忘れてしまう!」
「そうじゃなあ、ではこうしよう。時が来たら、その合図として、尻の割れた蛾を送り出そう。尻の割れた蛾などそうそうおらんからな。」
「それは分かりやすい!」
「それともう一つ。」
「一人の人間が、一匹の蛾を救うじゃろう。その時、双方は和解するのじゃよ。満月の夜の約束は何があろうと達成される。蛾よ、これから、時がくるまで、お前たちは水を産み出し続けるのじゃ。時が来れば、すべてを思い出す。」
そうして、我らの祖先は、名を奪われ、水を産み出し続ける宿命を負うこととなった。毎夜毎夜人間の灯した明かりに集い、我を忘れて躍り狂うことを余儀なくされた。
いつの日か、人間が、自らの水を自らで手にいれる様になったとき、我らは新しい名を手にいれ、かつての栄華を取り戻す、と。
人間は村の中央に松明を燃やした。
我々はそこに導かれるように集まり、我も忘れて躍り狂う。我々の作り出す熱気の雲は空高く上昇していき、村に、聖なる水を振り注ぐ。
そのようなことが何代も何代も続いた。伝える者も、聞くものもいなくなった物語はいつのまにか絶え、我も忘れて躍り狂う儀式だけが残った。
今、我々は全てを思い出した。一族の呪われし運命を。だがしかし、我々が儀式をやめることはないだろう。
なぜなら、儀式はもはや我々の一部であり、そのリズムは身体に刻み込まれているのだから。それに、楽しいんだもの!
理由などいらない。
我々が踊るというその事実だけで十分なのだ。
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お腹がすいた。コジロウは、ぽっこりとふくらんだお腹をさすりながらそんなことを思った。
先ほど夕ご飯のそうめんをたらふく食べたはずであるのに、ブラックホールのような底無しの腹はもうすでに、ぐぅ、と鳴り出しそうな勢いである。
全く自分の腹の中はどうなっているのだろう、と少し心配になってきた。もしかしたら、何かが腹の中に住んでいて、片っ端から食べ物を横取りしているのかもしれない。そんなことを思ってみたりもした。
これが自分の家であったら、すぐさま台所に走っていって戸棚からお菓子を頂戴するところであるが、今はババの家である。どこに何があるのか、皆目検討もつかなかった。
コジロウは、夏休みを利用しておばあちゃんの家に遊びに来ている。つまり、コジロウの父の実家である。
コジロウは、毎年ここに来ることを楽しみにしていた。コジロウは、なかなかの昆虫少年であった。それは、父親譲りでもあるのかもしれない。
先ほどまで部屋の中を飛び回っていた蛾はいつの間にか数を減らし、
今残っているのは数匹程度である。
ママはびしょびしょになった部屋を片付けるのに大忙しであった。
コジロウは別の部屋でおばあちゃんの話を聞いていた。
「ジジは死ぬ3日前に、ワシに奇妙な頼みごとをしたのだ。入らずの森にある石像の電灯を、半年に一度変えてほしいとな。聞けば、ジジの先祖代々から伝わる習わしなんだそうだ。時が来たら、イチロウに伝えてほしいと言っておった。」
「パパに?」
ババ様はゆっくりと頷いた。
「時が、来たんだね!」
ヨジロウ(ミニ)は、太い眉を器用に動かして興奮した表情を浮かべた。
その時である。彼らの部屋に電子音が鳴り響いた。
ルルルル…ルルルル…
「イチロウさんだわ」
ママは、立ち上がってパソコンの前にたった。
「ヨジロウ、パパとテレビ電話が繋がったわよ!」
ヨジロウは、ぽっちゃり体型らしらぬ俊敏な動きでパソコンに走りよった。だが少し、足がもつれてしまいよろめいた。よろめきながら息を弾ませて喋りだした。
「パパー!!!パパ、あのねあのね、
すごくくきれいな蛾がぐるぐるまわるのー!!!!でね、でね、」
「(パパ)なんだなんだどうした、ヨジロウ~!鼻息が荒いぞ~!蛾だって?それは興味がそそられるな!パパは今ボストンの空港だ、学会の発表が終わったから、明日には日本に戻るぞ~!会ったらたっぷり話を聞くよ!」
「とにかく凄いのー!なるべく早く帰ってきてよ!!!」
我々は壁に張り付きながら、その一部始終を見ていた。
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ところで、その冬、人間界で出版された「日本昆虫大百科 vol.14」には、
コジロウガという新種の蛾が掲載されていた。
その名前は、第一発見者の名前を讃えてつけられたということである。
コジロウガは夜になると明かりに集団で集まり、円を描く習性があることで知られている。また、生息地は極めて狭く古代の昆虫の特徴を持つ貴重な種のため、生息地一帯は生息管理保護地区に認定された。
この地域の書物には、火を炊くところに蛾あり、と残され、またそのような言い伝えも継承されていた。だが、そのような蛾を見たものはおらずもはや伝説と化していた。
松明を燃やすための石像なども残されていたが、用途がわからず放置されていたようだ。
この蛾の発見により、この地域の民族学的調査もますます進むであろう。
もしあなたが東北の山奥のある村に行くことがあったとして円を描いい飛ぶ奇妙な蛾を見つけたら、この物語を思い出してみるといい。
今日もまた、ジンとケツァールは艶かしく、魅力をふりまきながら儀式を行っているに違いない。
(レジェンドオブフライ 蛾編 完)
作品名:レジェンドオブフライ 作家名:森巣遥香