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怨時空

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 毎晩銀座で飲み歩き、帰りも遅くなった。憂さを晴らすために浮気にのめり込んだ。職業がら、タレントやモデル志望の女達との接触も多く、若い肉体をむさぼった。二人は口をきかなくなり、互いを無視するようになった。この頃、泉美の食欲が爆発したのである。
 ぶくぶくと太って、醜くなっていった。最初のうちはストレスによる過食症かとも思ったが、桜庭を睨みつけるようにして飯を口に詰め込んでゆく泉美を見ていて、それは少し違うような気がしてきた。
 しかし、醜く太ることが、美意識の人一倍強い桜庭に対する復讐だと知った時は、呆れると同時に慄然とした。ある日、口喧嘩をして、桜庭が怒鳴った。
「自分のその姿を鏡で映してみろ。俺に相手にされたいのなら、そのぶくぶくの体を何とかしろ。今のお前はトドだ。声までトドそっくりだ。喉がつまったようにゲコゲコ言いやがって、何を言っているのかさっぱり分からん」
これに対し泉美が言放ったのだ。
「あんたになんて、もう相手にされなくってもいい。もっと醜くなってやる。醜くなって復讐してやる。あんたが悪いのよ。私を構ってくれないあんたの責任よ」
そう言って、桜庭を憎悪の眼差しで睨んだ。桜庭はその形相を見てぞっとした。返す言葉もなかった。

 離婚は何度も考えた。しかし、それを思い留まらせたのは、或いは、二人が共有した深い悲しみ、そして幸せだった頃の共通の思いに他ならないが、何よりも離婚に伴う財産分与が大きな理由だったのである。
 高層マンションの最上階。そこから眺める夜景は世界を独り占めしているような錯覚を起させる。桜庭はそれをこよなく愛した。マンションの頭金は母親が出したが、月々のローンは泉美と折半で、離婚した場合は当然売却せざるを得ない。そのことを思うと躊躇せざるを得なかったのである。

 二人の生活に変化が起こったのは、流産から三年後である。泉美は結婚直後からブティックを経営していたが、それまで売上はぱっとしなかった。しかし、太り出したのを機に、店をビッグサイズ専門店に衣替えすると、お客がどっと押し寄せたのだ。
 桜庭はその成功に目を見張った。そしてこれが桜庭に経済的ゆとりと、思うままの生活をもたらせた。桜庭はサラリー全てを小遣いとして使えたし、他の営業マン以上の接待で売り上げを伸ばすことが出来たのである。
 泉美の方は、生活ぶりが派手になったとはいえ、夜は趣味の油絵に没頭しており、次々と作品を仕上げてゆくし、休みの日にも出かけている様子はない。どうも腑に落ちず、泉美の携帯のメール、住所録、履歴を調べてみたが、それらしい男の影もない。
 しかし、男なしでは生きられない泉美のことだ、何かあると思い、よくよく調べてゆくと、ある符合に気付いたのだ。女友達からのメール、餡蜜屋での待ち合わせの約束が入った翌朝、泉美はシャワーを浴び、念入りにめかしこんで出かけるのだ。

 まったく笑ってしまうのだが、蓼食う虫も好き好きとは良く言ったもので、どこでどう知り合ったのか、泉美には恋人がいたのである。しかし、桜庭は見て見ぬを振りをすることにした。或るときなど、そのことで鎌をかけたことがある。
「泉美、先週の金曜日の昼頃、ブティックに電話をいれたら、仕入れに出かけていて今日は戻らないと言っていたが、本当に仕入れに行っていたのか」
その日は、朝、シャワーを浴び、念入りに厚化粧をする泉美の様子でデートだとぴんときたのだ。泉美は一瞬ひるんだが、気を取り直し、きっぱりと言った。
「当たり前じゃない、あの店は仕入れが勝負なのよ。お得意さんが何を求めてるかを見極めて、それを問屋街で探すの。一日仕事よ。足が棒になっちゃったわ」
「しかし、仕入れの日に限って、シャワーを浴びて、厚化粧して出かけるのはどういうわけだ?」
桜庭が、にやにやしながら聞いたのが気にさわったらしい。泉美がむきになって言い返してきた。
「それってどういう意味よ。私が浮気でもしているって言うわけ。そんな言いがかりをつけて離婚しようたって、そうは問屋が卸さないわ。あんたが好き放題やっていることは、こっちだって知っているんだ。もし離婚しようというなら、このマンションは私が貰うからね。いい、浮気をしているのはあんたの方なんだから」
桜庭は、この話題で深入りはしなかった。泉美の言う通りだったからだ。

 しかし、或る時、桜庭の遊び相手の女が妊娠し、女房との離婚を迫られるという事態に見舞われ、桜庭は泉美の浮気の証拠と掴むために探偵を雇った。浮気の証拠をつきつけ離婚を有利に運び、泉美をお払い箱にしようと決心したのだ。
 しかし、その調査は途中で止めさせた。というのは、その妊娠が嘘だと分かったからだ。この時、ほっとする自分を不思議に思った。泉美との離婚は常日頃の願望ではあったが、自由にお金が使え、遊び放題の生活にもやはり未練があったのかもしれない。

 桜庭は広告代理店に勤めている。勤続15年で第一営業部の課長に抜擢された。しかし今期は全社の売上目標未達成で、社長以下経営陣は全社員に新規開拓の大号令を発した。桜庭の課は120%達成率であったが、決して例外というわけにはいかない。
 大手企業を担当して長く、新規開拓から遠ざかっていたため、桜庭にはそれが心の重荷だった。しかし、ワンマン社長の命令で一人最低一社がノルマとなり、ボーナスの査定の対象になると言う。桜庭も必死にならざるを得なかったのである。

 桜庭は早速大学の卒業名簿を取り寄せ、その中に、中条翔の名前を見出した。大手自動車メーカーの総務部長の肩書きであった。桜庭はすぐさま電話番号を控えた。中条ならば桜庭の期待に応えてくれるはずである。桜庭は思わずにんまりとした。
 中条とは大学の演劇部で知り合った。互いに母一人子一人という家庭環境が近いということもあり、知り合って直ぐに親しくなった。或る女性を張り合って、一時険悪な関係になったことはあったが、四年間通じて同じ時間を共有した友人であることは間違いない。
 そして、中条は、あの忘れがたい事件の主犯である。桜庭は死体を運んで遺棄したに過ぎない。事件以来、中条とは数える程かしか会ってはいないが、あの事件のことを忘れるはずもなく、ケツの穴の毛を残らず抜いても文句は言えないはずである。

 桜庭は秘書に通された応接室でコーヒーを飲みながら旧友の面影を思い浮かべた。どう変わっているか楽しみだった。中条の自分勝手な性格からいって出世するとは到底思えなかったが、それが大手自動車メーカーの総務部長とは畏れ入ったと言うしかない。
 秘書が笑顔を作りながら応接室に入ってきた。先客があり、しばらく時間がかかるからと応接に案内されてから10分もたっている。
「桜庭様、お待たせ致しました。どうぞ」
秘書がドアを開け、そのままの姿勢で待っている。桜庭はアタッシュケースを引き寄せ、おもむろに立ち上がった。中条にCM枠の一つくらい買わせるつもりだ。もし言うことを聞かなければ、あのことを匂わせてやってもよい。たとえ時効が成立したとはいえ、やったことの責任は消えないのだから。
作品名:怨時空 作家名:安藤 淳