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怨時空

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 忙しい一日が終わろうとしていた。会議を終え部長室に戻ると、コンピュータ画面を開き、今日のスケヂュールをチェックする。4時半に山口の紹介だというカメラマンが作品を持ち込むことになっている。約束の時間まで30分ある。桜庭は部屋を出た。
 桜庭は制作室が好きだった。そこには自由な雰囲気が漂っており、皆、仕事をしているのか遊んでいるのか判然としない。制作マンは発想が全てであり、それには自由が一番というわけだ。実を言うと、桜庭は入社当時、希望が叶い制作マンとしてスタートした。
 ここには、失われた青春の苦い思いが未だ漂っていた。入社2年目で営業にまわされた時の悔しさは忘れられない。いっそ辞めようかと思ったほどだ。そこで歯を食いしばったおかげで、今は営業のトップ。目を閉じ感慨に耽っていると、突然、大きな笑い声が響いた。見ると、一角で、志村が回りを巻き込んで騒いでいる。

 志村は大手製薬メーカーの会長の孫で、コピーライターとして縁故採用された。どう読んでも独創性のないコピーに辟易しながら、それを誉める自分にうんざりしていたのだが、相手が有力者の孫ではどうしようもない。
 お追従を言おうと近付いた。満面の笑みを浮かべて、話しかけた。
「何を騒いでいるんです。またインターネットで何か面白いものでも見つけたんですか?」
志村が振りかえり、答えた。
「これ見てくださいよ、部長。このコピー勉強になりますよ。いいですか、『女の園にようこそ。女のアレの成長をご覧にいれます。ゼロ歳から70歳まで。人生そのものです。』どうです、絶対に見たくなりますよね」
「どういう意味だ。女の成長って何なんだろう? 」
「あれって言ったら、あれしかないでしょう。ようし、クレジットでOK」
志村はクレジットカードをリーダーに通した。画面が変わり、赤ん坊の顔が映し出された。
それが徐々に成長してゆく。志村が叫んだ。
「何だよ、これ、期待させやがって。アレってのは女の顔じゃねえか。なんだよー、がっかりかりさせやがって。……。しかし、すごいな、これ実写じゃん」
禿げ頭のデザイナーの福田が答えた。
「いや、いくらなんでも実写なんてあり得ないよ。絶対にコンピュータグラフィックだって」
志村は画面を食い入るように見詰め、頭を振った。
「いや、これは実写だ。製作者は狂人だ。同じ場所に毎日子供を固定して同じ角度から撮っている。こいつは気違の作品だ」
桜庭も目を奪われた。どうみてもコンピューターグラフィックとは思えない。誰が何故こんな馬鹿げた実写を撮り続けたのか。桜庭は子供の顔が徐々に変化してゆくさまを眺めた。日々成長してゆくのが分かる。顔の大きさも徐々に大きくなってゆく。
 その顔に見入っていた桜庭は、思わず後ずさりして、へたりこんだ。脚の力が一瞬にして抜けてしまったのだ。志村が桜庭に視線を落として声を掛けた。
「どうしたんです、部長。大丈夫ですか?」
桜庭は肩で息をしながら立ちあがった。
「大丈夫だ。ちょっと目眩がした。もう、大丈夫」
そう言うと逃げるように制作室を後にした。

 ようやく部長室に辿りつき、どっかりと椅子に腰掛けた。息が苦しく、動悸が高鳴った。ショックで息がつまるかと思った。しかし、他人の空似に違いなかった。そんなことはあり得ない。そう思うことで、自分を納得させた。
 秘書がインターフォンで来客を告げた。桜庭は気を取り直し、ネクタイを直した。コンピューター画面に見入る振りをする。ドアが開かれ、訪問者が顔を覗かせた。画面から視線を訪問者に向ける。そこで鷹揚に……。

 桜庭の背筋の芯に慄然が走った。死んだはずの中条が顔を覗かせ、にんまりとして微笑んでいるのだ。桜庭は呆然として唇を震わせながら言った。
「お前は死んだはずだ、な、な、何故……」
と、絶句し、まるで幽霊にでも出会ったように驚愕の眼で中条を見詰めた。次第にその顔は恐怖で引き攣り、体はがたがたと震え出した。中条は桜庭の反応に途方にくれ、秘書の方を向いて言った。
「おい、おい、俺が死んだなんて誰から聞いたんだ。それに何故そんなに驚いているんだ。こちらの秘書の方に電話して、俺の名前を言ったはずだ。ねえ、秘書のお姉さん、名前を名乗ったよね」
桜庭に話しかけられ、秘書は不審そうに立ち上がると部屋に入って来た。秘書は思わず手を口に手を当てた。桜庭の異変に気付き、声を掛けた。
「部長、どうなさったのです。中条様です。サンコー産業の中条課長です。アポイントは頂いております。部長にもそう申し上げました」
桜庭は椅子から立ち上がり、狂ったように叫ぶ。
「貴様は死んだはずだ」

 そして、よろよろと中条から逃げようとするのだが、足元がおぼつかない。はずみに机の上の水差しを倒し、水差しは床に落ちて粉々に砕けた。その瞬間に水を打ったような静寂が訪れたのだ。
 この時、全てが止まったのだ。秘書も、中条も、ぴたりと動かなくなった。桜庭は何事かと、あたりを見回した。窓から外を見下ろすと、全てが止まっている。人々の踏み込んだ足は途中で止まり微動だにしない。黄色信号を走りぬけようとした車は交差点の真ん中で静止したままだ。静寂が世界を支配していた。
 その世界でただ一つ動き出した人間がいる。中条である。最初ぴくりと体が動いた。そして両手で顔を覆う。体全体が震え出した。注視すると中条の顔が膨張している。両手で押さえつけるが、全く無駄な足掻きだ。ぴしっ、ぴしっと肌が破れ、血が滲む。
「ぎゃー」
 絶叫が部屋全体にこだました。ぱっと血が散って肉片と砕けた骨が飛んだ。風船が破裂するように中条の顔がぱかっと破裂したのだ。唖然と目を剥く桜庭の視線が捉えたのは、小さな顔である。よく見るとそれは赤ん坊の顔で、それは大きな体の上にちょこんと乗っている。
 両の手がゆっくりと動いてその顔にこびりついた血を拭う。小さな顔は皺だらけで産毛が蛍光灯の光に反射してうっすらと浮かび上がった。生まれたての赤ん坊にしては大きな目が桜庭を睨んでいる。その小さな唇がゆっくりと動いた。歯はまだ生えていない。
「どうした、桜庭、何をびくついている」
老婆のようなひび割れた声が響いた。
 驚愕に眼を剥き、恐怖が歯を鳴らす。さわさわという感覚が体中に飛び火し、体ががたがたと震えていた。桜庭が絶叫した。
「これはいったいどうなっているんだー 」

 赤ん坊はただ笑っているだけだ。桜庭は声を張り上げたが、殆ど泣き声になっている。
「いったい、何が起こったたんだ。どうなっているんだ」
小さな唇が僅かに開かれ、奈落の底から響いてくるような不気味な笑い声が聞こえてくる。それが次第にけたたましい笑い声に変わった。桜庭のうろたえ恐れる様子を心から楽しん
でいるようだ。突然、赤ん坊の怒鳴り声が響いた。
「何故、志村が探し出したインターネットの映像を最後まで見なかった。顔が成長していたはずだ。詩織、香織までは見たんだろう。えー、お前もそこまではみたはずだ。何故、最後まで見なかった。現実を認めたくないのだろうが、これが現実なんだ。見せてやろう」
作品名:怨時空 作家名:安藤 淳