烈戦記
第十四話 〜第二次蕃族掃討戦・前〜
晴天。
雲一つ無い青空が広がり、周りの青々とした木々の隙間からは獣達の賑わいが音が無くとも感じる事ができる。
そして人も然り。
きっと先に出発した陵陽関ではこの晴天により一層気合いを入れた商人達の営みや、それらの合間からごく少数の童児達がはしゃぐ声で賑わっているのだろう。
しかし、この辺境の地では春に当たるこの時期に雲一つ無い晴天は珍しい。
しかも今日だけにとどまらず、ここ最近はずっと続いている。
それが意味する答えは何なのかを考えてしまうのは果たして無粋なのであろうか。
『…凱雲、どうした?』
そんな事を考えながら馬を進ませる私に不意に主からの声がかかる。
私はそれに答えるべく空を仰ぐのをやめた。
『いいえ、何でもございません』
『そうか』
私の隣を行かれる豪統様の方へ向きなおると、豪統様も空を仰がれた。
『…いい天気だ』
そう一言呟かれた。
だがその表情からは決してこの晴々しい青空に対しての喜びや和みなどは感じられなかった。
『…』
しかし、意味深な表情は見せたもののその意図は語らずそのまま再び前方へと視線を落とされた。
だが、語らずとも長年部下をやっていれば豪統様が何を思われたかは想像は着く。
この青々とした空を純粋に関の民と共に喜び、また同じくその平穏が蕃族の民にも訪れれば…いや、来ていたはずだった。
だが、それはもう嘆いてはいられない。
賽は投げられた。
そして私は国の軍人。
なれば国の為、そして大切な民の為に出来うることをする。
もう迷ってはいられない。
きっとそう思われているのだろう。
『…』
ならばあえてその意図を改めて汲む必要も無いだろう。
そこまでの決意に水を差す必要は無い。
『凱雲』
だが、そんなことを思っていた私に対して豪統様は声をかけてくる。
わかっております。
その言葉は改めてかけてさしあげるべきだったか。
私の頭の中をそんなちんけな考えが過った。
『…帯の事は任せたぞ』
だが豪統様から出た言葉はそれではなく、今回私に課せられた秘密裏の特別任務についての確認だった。
『…はい』
私の中は一瞬にして羞恥心で満たされた。
…浮ついていたのは私か。
それを思い知らされた私は火照った身体を冷ますように大きく息を吸ってゆっくりとそれを吐きだした。
気を引き締めねば。
今回の戦は蕃族との戦。
だが我々にしてみればそれは単なる戦では無い。
この地ではそれはもう古くから続いていた戦を、彼らは彼らの経験で、そして我々は先任として戦われていた馬索殿の助言という知識だけで戦わなければいけない。
それはつまり我々にとってはとてつもなく不利だという事だ。
戦というのは体験談、または軍学書などから得た知識を頭に詰め込んでいれば勝てるというものではない。
何故なら現場というのは天、地、人という三つの不確定要素が絡み合う場所であり、同じ刻は存在しない。
それに対し戦の知識というのは限定的な状況への解決法に過ぎない。
つまり戦の知識だけでは限界があるのだ。
だが戦の経験というのは変化し続ける現場の中であらゆるものを必要最低限な情報を元に解決、または試行錯誤してきた事案の積み重ねの事だ。
そしてそこには数々の可能性や条件状態、そしてその分だけの解決法がある。
だから書や言葉とは単純に判断材料である情報量が圧倒的に違うのだ。
そしてその知識と経験の差というのは今までの戦の中で何度となく痛感させられた事だ。
幸い大局的に見れば兵力や継戦能力ではこちらが圧倒的優位ではあるが、それでも最前線で戦う兵士達にとってみれば関係無い。
彼らにとってみれば一つの戦での結果は生きるか死ぬかなのだ。
勿論現場の指揮官である我々も例外ではない。
そういう意味でも一戦一戦での力関係の不利というのは不安だ。
だからこそこの一戦に油断や妥協は許されない。
それに、純粋な練度の差も気になる。
だからこそ今、他事を考える暇があるならばその間に再度作戦や地理情報の確認、また練度の低い隊との連携や不足の事態などを頭の中に入れておく必要がある。
私は自身の身体に戻ってきた緊張感の中で再び豪統様から言い渡された特別任務について考えを巡らせた。
『み、皆さんどうぞよろしくお願いします!!』
…なんだあれ。
それがあの餓鬼に対しての第一印象だった。
今俺の目の前では成人をいったかいってないかわからないような豪帯という餓鬼が俺達兵士を集めて健気にも頭を下げてよろしくお願いしますと叫んでいた。
そして今度はこれまた律儀に最前列にいる兵士から順に一人一人握手を交わして激励の言葉をかけていく。
なんて素晴らしい鼓舞なんだ。
こんな鼓舞は今までに見た事も聞いた事もない。
そしてなんとあの方こそが正に俺らの今回の司令官様だそうだ。
…頭が痛くなってきた。
『…隊長』
同じように俺の後ろこの光景を目の当たりにしていた部下の一人が後ろから心配そうに声をかけてくる。
いや気持ちはわからんではないが、俺にどうしろと?
部隊の兵士というのはいつだって下っ端の立場にあり、その処遇や所属は状況により変化する。
そして当然その所属、即ち上司が無能であればあるほど俺達の死は近づく事になる。
そりゃ前線の兵士にとって死というものはいつだって身近にあるし、それも承知で兵士をやっているのだ。
だから死ぬのが怖いなんて言うつもりはない。
だが、俺達だって人間だ。
できる事なら犬死はしたくない。
だから今回のように眼前に押し付けられた事実にはどうしても戸惑ってしまうのだろう。
安心しろ、俺だってこんな奴は初めてだ。
せめて無能な上司なら他の無能な上司供と同じく戦闘が始まるまでは自信満々に踏ん反り返ってくれていたらどれだけ気が楽か。
そして俺を含め、こいつらが不安がる理由はもう一つある。
それは俺達と他の奴らとの目の違いだ。
そもそも今回この部隊の任務はこの主戦場と掛け離れた僻地に陣を敷き敵を警戒、または防衛せよというものらしい。
だが、防衛とは名ばかりに殆どの目的は前者の警戒にあるようでこの僻地にはそれ程の兵は割かれていない。
そして極めつけはその数少ない兵の中でも俺達の隊、即ち会都よりの援軍の中でも偶然選ばれた少数の兵を抜いた大多数を占める奴らは皆、先の初戦で敗戦をした部隊の兵士達と聞いている。
そりゃ敗戦してまだ間もない奴らと俺らとじゃ目の色が違って当然ではあるが、こうまであからさまにビクビクされていては俺の部下だって不安になってくるだろう。
仕方ないといっちゃ仕方ない。
『た、隊長…っ』
…うっとおしい。
そもそもそんなのは俺だって一緒だ。
元々最近まではたった10人程度を束ねるだけのただの什長だった男だぞ?
それが例に違わず偶然この部下の兵を含め後ろの50人を束ねる事になっただけで、現にこの声をかけてくる兵士の名前すらまだまともに覚えちゃいないんだ。
境遇はみんな同じで俺だってすげー不安なんだよ。
なのに何故お前の分まで心配を取り除いてやらんといかんのだ。
『…』
『…はぁ』
…面倒くせぇ。
だが、だからといってこの弱気な部下を無碍にする訳にもいかず一応後ろを振り返る。