烈戦記
第十二話 〜両軍〜
『...というのが今回の全容でございます』
『...そうか』
それはこれ以上に無い悲報だった。
『...間に合わなかったか』
私は両手で額を支えながら大きな溜息を机の上に吐き出した。
しかしそれはあくまで自分自身の気持ちの切り替えの為の大きな溜息のつもりだった。
だが、その結果酷い徒労感が全身を襲った。
『...申し訳ございません』
凱雲がそんな私の様子を見て謝罪の言葉をかけてくる。
だが、当然この落胆は彼のせいでは無い。
『いや、お前は良くやってくれた。...感謝するぞ』
『...いえ、とんでもございません』
むしろ彼は今回自分の息子を救い出してくれた恩人なのだ。
感謝はされど、謝られるいわれなどはどこにも無いのだ。
『...』
だが、そんな彼への次の言葉が出てこない。
部屋は重苦しい空気に包まれた。
何故こんな状況になっているのか。
それは、ある少年の功名心と無知さが生み出した行動によるものだった。
だがそれを若気の至りの一言で片付けてしまうには余りにも大きく、そして取り返しのつかない事態を引き起こしてしまっていた。
戦争。
それは武力を用いた外交手段。
だが、この『外交手段』というのは聞こえは無害に聞こえても言ってしまえば他を暴力で自分に従わせる行為に他ならない。
さらに民衆規模で言えば攻め手守り手どちらも働き手である男衆を兵士として死地へ奪われ生活は苦しくなる。
当然戦が長引けば長引く程両国は疲弊し民は苦しむ。
そして極め付けは敗戦国の民になってしまえば其れ相応の悲惨な扱いが待っているという事だ。
だからこそ私はそんな悲しみを生まない為にこの関で途方もない時間と労力を割いて来たのだ。
蕃族を一辺境部族としてしか見ていなかった国には蕃族との交易の有用性と危険性を長年に渡り使者を介して説き続け、また蕃族側にも同じく交易の有用性と同時にこちら側の攻撃の意識が無い事を証明し続けてきた。
そしてつい三年前やっと彼らと和解を決し、同盟関係を築くにいたったのだ。
だが、そんな努力はつい昨日の時点で無意味となってしまった。
『...私はどうすればいいんた』
思わずそんな弱音が出てしまった。
『...豪統様、今は気持ちを切り替えて』
『どうやって切り替えろと言うんだ!』
『...』
静まりかえっていた部屋で私の怒声が響いた。
それは完全な八つ当たりだった。
私は机から乗り出して机越しの凱雲を睨んでいた。
だが、少し近くに見えた凱雲の様子を見て冷静さを取り戻した。
身体に纏っていた衣は固まって黒く変色した敵の返り血で汚れ、顔や手は未だにその血を落とした形跡は無い。
その様子からも彼が戦闘から帰って来て真っ先にここへ来たのがわかる。
その理由は私が蕃族との関係や、何より息子の心配をどれだけしているのかを知っているからだろう。
だが、それでも私は自分を恥じる気持ちがあっても、既に溢れ出てしまった感情を抑える事ができなかった。
『わ、私は...私は...』
私は再び椅子の上に腰を降ろした。
『私は...これから蕃族の者達にどんな顔をしていればいいんだ...』
長く対立していた最中、半ば一方的にこちらから友好的な関係になろうと持ち掛け、10年は掛かったがそれでも私の申し込みを受け入れてくれた彼ら。
更に商人を介して伝わってくる、敵国であったのにも関わらず私を信用してくれる多くの蕃族の民の声。
私はそれを裏切ったのだ。
考えれば考える程私は全ての事を投げ出したくなってくる。
私はなりふり構わずに髪を力一杯掻き見出した。
『...』
そして再び部屋は静寂に包まれた。
そんな静寂の中で私は気付いた。
私は頭を上げた先にいるであろう凱雲の言葉を待っている事に。
何でもいい。
何でもいいから今の私を一人にしないで欲しい。
この辛さを共用して欲しい。
この辛さを知って欲しい。
いざとなれば私の行く当ての無い感情の捌け口となって欲しい。
私はそんな自分の童子の我儘のような心境に再び落胆した。
凱雲は今どんな心境なんだろうか。
真夜中に戦闘に駆り出され、日が登り疲れて尚上司に気を使い真っ先に報告をしに来てみればその上司の八つ当たりや我儘に付き合わされて...。
私ならとてもじゃないがついていけない。
私は凱雲への謝罪と解放を伝えるべく顔を上げようとした。
『...戦闘の中、ある敵の老将と出会いました』
だが、先に口を開いたのは彼自身だった。
私は彼が話始めた話の腰を折らないために気取られないよう再び顎を引いた。
『その老将は”まさか貴様らから裏切るとはな”と言ってました』
私はその言葉で全身が鉛の様に重くなった気がした。
それは想像はしていたが、実際彼らが口にしたという事実が私に重くのしかかった。
『しかし』
だが、それだけでは話しは終わらなかった。
私は半ば方針状態で次の言葉を覚悟した。
『しかし、これは私が思うに彼が恨み辛みの類いで吐いた言葉ではないと感じました』
だが、私の覚悟とは裏腹に彼は私に期待させるような言葉を使ってきた。
その言葉に私の顔は自然と上がってくる。
『...どういう事だ』
私は縋る気持ちで彼の話しに食いついた。
『私は彼と手合わせをしたのですが、彼は世の中に対してただ愚痴を零すような人間には私は思えませんでした』
『...』
なんだ。
ただの根拠の無い直感の話しか。
私を慰める為だけにそんな話しを持ち出してくるとは。
私も見捨てられたのかもな。
私はそこで彼の話しへの興味を失い、彼に聞こえない程度の溜息をついた。
ドンッ!
『ッ!?』
だが、急に私の目の前の机の上が叩かれた事で再び意識が覚醒する。
一瞬状況が飲み込めなかった。
『...豪統様、まだ話しは終わってはおりません』
だが、眼前に迫った真剣な凱雲の顔と半ば怒りの篭った声で直ぐに私の態度への改めてを要求してきている事が理解できた。
『...すまん』
私は顔を下げ、だが手は机の上に置き再び聞く意思を凱雲へ示した。
『...私は自分を一塊の武人であると思っております』
凱雲は話しを続けた。
『そして、本来武人というのは命を掛けた戦場ではその一撃に自らの生き様や信念を込めるものだと思っております。当然、これは武人同士で無ければわからぬと思っております』
『...』
凱雲は私に対して一息置いて”信じてくれますよね?”と言ってきたような気がした。
私としては自分を彼の言う武人には程遠いと思っている分彼の言っている事が図りきれないが、それでも彼の事は信じているつもりだ。
『...あぁ』
私は彼の言葉に返答で返した。
彼は話しを続けた。
『そして私はその手合わせの中でその老将の生き様や信念を感じました。そうしてみると、どうにも彼は今回の出来事をただ嘆いている様には思えないのです』
『...では何故”裏切った”と?』
『次の友好こそ長く続いて欲しいが為でございましょう』
凱雲は私の質問にハッキリと答えた。
何の根拠もない答えをだ。
だが、凱雲の言いたい事も何と無く理解はできた。