烈戦記
しかし、味方方も味方方で敵味方わからない程に入り乱れた戦場の中、ついさっきまで目の前で命のやり取りをしていた相手を前に堂々と背を向けて引くことへの抵抗があるのか、とても困惑したような表情を皆がしていた。
しかし、それを見て私は直様馬を返し、ただ一人自国領側の村の出口へ馬を歩かせた。
すると、皆一様に慌てたようにゾロゾロと撤退を始めた。
それを確認して私は心の中で安堵した。
"今回の戦も生き残れたか"と。
『待て!』
だが、現実はそうあっさりとは終わらせてくれないようだ。
『…』
私は馬を返さずに後ろ目で声の主を見据えた。
そしてその声の主は、あの豪帯様を探している時に出くわした牌豹と名乗る敵の若武者だった。
しかし、その彼は俯いているのか顔に影がかかっていて、表情が見えない。
『…』
だが、彼と対峙した時の状況や味方の将を討ち取られて呼び止める辺り、怒りやそれに似た感情を私に抱いているのは安易に想像できた。
そして、今にも斬りかかってきそうな程のその殺気に今討ち取った将との関係も推測できる。
多分歳からして師弟の関係か。
"その歳で自分の師を討たれるのはさぞ辛かろうに"
同情。
だがそれも一瞬だ。
ここは戦場。
敵として出会えばたとえそれが友であっても斬るが習わし。
そして、師の仇討であるならば自らの力を持って仇を討つのもまた習わし。
"ではどうする?
今この場で私に挑むか?"
私は薙刀を握る右手に再び覚悟を籠めた。
『…次は…』
だが、彼の口から出たのは"次"という言葉だった。
そして俯いて影になっていたその顔から雫が地面に零れ落ちた。
『次は…負けない…ッ!今度…ッ!今度出会ったその時、貴様のその首貰い受ける!』
彼はそれを川切りにここが戦場であるにも関わらず赤児の様に目を真っ赤にしながら涙を流し始めた。
その姿に周りの敵味方の兵達は皆呆気にとられていた。
"戦場で男児が涙とは…"
私の初めの印象もそれだった。
その涙ながらの言葉すら状況が状況なだけに敗軍の将の負け惜しみにしか聞こえない。
本来ならば敵への侮蔑と嘲笑の意味を籠めて鼻で笑ってやるところだ。
…だが、私は彼にそれができなかった。
その理由は、彼が私情によって引き際を誤らなかった事だ。
どんなに歳を重ねた将であっても身近な者を殺されて、そしてその仇が目の前にいるのにそれを逃がすというのは難しい事だ。
それを彼は、涙を流しながらも必死に堪え、そして師が命を賭して残した引き際を受け入れたのだ。
勇将の元に弱兵無し。
そんな言葉が浮かんだ。
私は彼に背を向けたまま残りの兵を束ねて陣を後にした。
敵陣に奴宮を向かわせて幾分か経つ頃、それまで鳴り止まなかった謎の怒号と剣激の音は鳴り止んだ。
それも異様な程に突然。
"奴宮が何かをしたのか"
"または奴宮に何か起きたのか"
両者の対極的な結果に私は不安を覚えていた。
それというのも、彼は蕃族諸将の古参組の中でも特に歴を重ねている老将だ。
それも、本来ならば既に隠居をし、次世に家を託し余生を過ごす身であって、決して今回の様に軍を率いていいような人間では無いのだ。
しかし、今回の戦は平時の時に起きた完全な不意打ち的な戦ゆえ、それまで戦時の常識で隠居が決まっているはずの奴宮は偶然にもその隠居が有耶無耶にされていたのだ。
そんな彼が急な有事という事もあり同じ部隊の中で馬を並べるに至るのだが、当然私は彼を陣頭に立たせるつもりは毛頭なかった。
そしてそんな彼が敵情視察を申し出たから"視察"を目的として敵陣へ向かわせたのだ。
そして、その直後にこの異変なのだ。
奴宮がこれに関わっていないというのは考えにくい。
『…』
しかし、私は少数の護衛と共に敵陣から離れた丘の上にいる。
当然事実はわからない。
私は奴宮の身に何も無いことをただ祈った。
『奴宮様は…見事な散り方で戦死されました…ッ!』
だが、帰ってきた兵士達と共に伝えられた奴宮の安否は最悪の結果だった。
『…』
だが、私は涙を必死に堪えながら自分の師の死と散り際を伝えるこの若者を前に何も言う事ができなかった。
だが、別に悲しい訳ではなかった。
寧ろ私を含め、彼の死で悲しみを背負う者は少なく無いだろう。
彼はそれだけこの国の為に長く尽くしてきてくれた重鎮なのだ。
だが、かの若者牌豹が伝える彼の最後を聞いていると、何とも彼らしいというか、寧ろ彼にとっては平時の隠居という道よりも遥かに幸せな最後だったんじゃないかとさえ思えてしまうのだ。
私は周りが悲しみに暮れる中ただ一人密かに長きにわたる戦友奴宮の冥福を祈っていた。
『…以上が、奴宮様の最後でした…ッ』
牌豹が奴宮の見事な散り際の報告を終えた。
皆一様に沈んだ空気の中で涙を流していた。
『…そうか。惜しい人物を無くした』
私は皆とは少し冷めた位置にいたが、それでもとなけなしの言葉で彼の話をしめた。
『…刑道晃様は悔しくないのですか?』
『…何?』
だが、この言葉が気に入らなかったのか牌豹が喰ってかかってきた。
『は、牌豹様!』
『悔しく無いんですか!』
牌豹は周りの兵士の静止を聞かず、私の眼前へと迫り出てきた。
彼の目は真っ赤に腫れ上がっていた。
『あなたは確か奴宮様とは長い付き合いでしたよね!?なら、何故涙を流されないのか!』
『牌豹様!落ち着いて!』
牌豹は数人の必死な兵士達に引っ張られるように私から距離を離した。
牌豹を抑える兵士達の表情は真っ青だった。
それもそのはずだ。
私と牌豹とでは王子と一武官の副将という差がある。
本来ならこのような行為は打ち首にされてもおかしくない行為なのだ。
静まり返っていた辺りが一瞬で騒然となった。
『悔しく無いんですか!』
だが、それでも尚牌豹はその矛先を失った怒りや悲しみを私に怒鳴り散らしていた。
…まったく、奴宮の奴め。
話では聞いていたが、飛んだ置き土産を残していきおって。
私は兵士に抑えられても尚暴れる牌豹へ近寄った。
そして、先程牌豹が迫って来た時と同様に牌豹の眼前へと迫った。
すると牌豹は気押されたのか顔を引いた。
周りが一気に凍りつく。
これからいったいどんな罰が牌豹様へ加えられてしまうのか。
牌豹を含め皆一様に固唾を飲んだ。
『…そなたは私に悔しく無いか、と言ったな?』
『…』
牌豹の表情は血の気が引いたように真っ青になっていた。
多分自分の犯してしまった愚行に今更気付いたといった所か。
これが聖人君子なら全てを無しにしてやる所なのだろうが、私としてはそうはいかない。
それはただ単に私の逆鱗に触れたからとかではない。
今正に戦というものが始まってしまったからだ。
しかも、自分達よりも遥かに強い相手とのだ。
それはつまり、我々が生き残る為には十二分の力を持ってして当たらないといけない。
当然そこに甘えが入る余地は無い。
私は父上の跡取りとして、そして一軍の将として先頭に立って信賞必罰を成す為、上と下の線引きをしっかりする必要がある。
『悔しいに決まっておろうが』
『…ッ』
私は冷たく突き放すように言い放った。