烈戦記
第十一話 〜殿〜
『…おかしい』
私は月明かりに照らされた丘の上でそう呟いた。
隣では私のこの呟きが聞こえていたであろう奴宮が敵陣内を鋭い眼光で睨みながら沈黙を貫いていた。
多分、彼もまたこの違和感を感じているのだろう。
いったい我々は兵に敵陣を攻めさせてからどれくらいが経つ?
既に丘の裏にいた兵士達は全員導入し、今や2000いた兵士は護衛を残して極わずかしか側にいない。
しかも、敵陣にいたであろう2500〜3000の同数以上の兵に対して決死をもって当たらせたはいいが、思いの外弱兵ばかりで勝利は時間の問題だとばかりに思っていた。
…だが、未だに敵陣内では土煙や怒号が鳴り止んでいない。
『私が見て参ります』
隣にいた奴宮が私の気持ちを察して戦場視察を申し出た。
今は夜戦。
仮に私達が見晴らしのいい丘の上にいたてとしても、遠目から得られる情報は限られてくる。
『…うむ』
私は彼の提案を飲んだ。
『では暫しお待ちを』
彼はそう言うと手綱を握りしめて馬を走らせた。
敵陣内に近付くにつれてまず見えたのは味方勢の兵達の後姿だった。
どうやら陣内に散らばっていた敵兵は粗方片付けたようで、皆が一方向を目指して剣を抜いているようだ。
その光景に味方の優勢を確認しひとまず安堵した。
続いて感じたのは違和感だった。
状況を見れば既に敵はこの陣の約七割を奪われ、残る兵士で抵抗しているのはわかった。
だが、こんな状況で残っている兵士なんぞは十中八九殿に残された兵士だろう。
その殿というのは退却する兵士を出来るだけ逃がす役目を負うわけだから、当然全体の兵士の一割二割といったところだ。
更にその全体の兵士なんぞはたかがしれている。
陣内の敵兵の死体を見れば想像はつく。
だが、陣内に着いてみると味方勢の数にはまだ余力はあれど、どうにも進みが悪いようだ。
では、何故そんな少数の相手にこうも味方勢の押し込みが緩いのか?
それが感じた違和感だった。
私は兵士達に馬を近づけた。
『おい、お前』
『え?はっ、奴宮様!?』
目の前の兵士は私の姿に驚いた様子を見せた。
だが、それを差し置いて私は話を進めた。
『残る敵の数はどれほどか?』
『はっ。多分500そこらかと…』
『何?』
500…も残したのか。
これだけの被害を出しておいて殿に500も割いているという事実に私は少し驚いていた。
だが、されど500。
それだけの兵士なら私達の兵力を持ってして轢き潰せない数ではない。
私は改めて兵士に聞いた。
『…して、その500相手にどうしてこうも味方勢は手を拱いておるか?何も敵が強兵揃いな訳ではあるまい』
『そ、それが…』
『いえ、残る兵士は皆強兵揃いにございます』
『ん?』
『あ!牌豹様!』
話しに割って入って来たのは私の変わりに部隊の指揮を任せていた我が副将牌豹だった。
彼は冷静さや慢心といった点ではまだ甘いが、その若さと武術の腕を買って私の片腕として使っていた武官だ。
だが、そんな彼が敵兵を見て"強兵"と言うのには少し違和感があった。
現に我々より兵を有していながら、敵は早々に崩れ、被害を出し、そして今この陣を放棄するに至っているのだ。
そんな状況で彼のいう言葉は鵜呑みにできるものではなかった。
私は彼に問うた。
『…強兵揃いとな?』
『はい。彼らはどうやら本隊とは別に戦力を有していたようで、少数ではありますがその練度は本隊とは比べられぬ程に良く成されているようです』
成る程。
もしそうであれば、全体に対しての殿の比率がおかしかった事には頷ける。
…だが。
『ふむ…敵が弱兵では無いのはわかった。だが、それでも高々500であろう?そんな少数相手に我が方が手をこまねく道理にはなるまい』
そうだ。
幾ら強兵とはいえ数は数だ。
それに我が方も練度が低い部隊では無い。
相手の練度が高かろうが、我々と余程の大差がついているとも考えられない。
私は再び牌豹に問うた。
『…これを』
『ん?』
だが、彼はその問いにまず出したのは言葉では無く槍であった。
『…これは』
だが、その槍は先端の刃を失った柄の部分だけだった。
一瞬その意味が良くわからなかった。
『…敵将との一騎打ちで負けました』
『…』
私はそこでやっと理解した。
これが彼の言う敵将との一騎打ちで刃を失った槍だとという事を。
そして、それを見せてきた彼が何を伝えたいのかを。
『…敵将の名は?』
『わかりません…』
『…ふむ』
彼は若干下を向きながら唇を噛み締めて悔しそうにしていた。
どうやら一騎打ちに負けた事、そしてそれを報告するのが悔しかったようだ。
私は彼の性格や槍の腕は良く知っている。
槍を国で競わせれば多分一位二位を争う腕は持っているだろう。
だが、それに若気が加わり、彼はどうにもそれを必要以上に誇る癖がある。
そんな彼が一騎打ちで負け、そして自分の得物さえも奪われてしまったのだ。
その悔しさは相当なものだろう。
だが、これはいい機会だ。
私の副将として、そして未来の蕃族を背負う若者としてこの経験を生かして慢心を捨て、更に精進してもらいたいところだ。
…だが、今はそんな事も言っていられる状況では無いらしい。
まだまだ若いとはいえ、槍の腕は確かな彼が純粋な武で大差をつけられたのだ。
きっと余程の敵がこの先にいるのだろう。
そしてそれ程の腕を持つ人間に私は心当たりがあった。
『…牌豹よ。行くぞ』
『はっ!』
私達は兵士達を掻き分けてその先頭を目指した。
『フンッ!』
ザシュッ
『でりゃぁぁ!』
ドガッ
『ひっ…!』
『どうした!蕃族に腕のある奴はおらんのか!』
最前線では敵味方の乱戦の中馬に跨りながらその巨身に違わぬ薙刀を振り回している凱雲の姿があった。
その刃に触れた物は得物ごと真っ二つに引き裂かれ、一振りで何人もの人間が宙に浮かぶのが見えた。
そして返り血を浴びながら雄叫びをあげ、兵士達を薙ぎ払うその姿は正しく"悪鬼"のようだ。
『…噂では聞いていたがこれ程とは』
そして私はその光景に一人の武人として畏敬とも呼べる感覚を覚え、言葉をもらしてしまっていた。
『え?奴宮様は奴を知っているのですか?』
隣について来ていた牌豹が私の言葉を聞いて聞いてきた。
『あぁ…噂でだがな。お前は奴と戦って負けたのだろう?』
『は、はい…』
『なに、落ち込む必要は無い。彼は別格だ。お前は北の鬼神についての噂は知っておるか?』
『え?確か三人の鬼神が北にはいるとか…』
『彼はその内の一人だ』
『え!?』
牌豹の予想通りの反応に心地良さを覚えた。
そうだとも。
まさかとは思ったが牌豹が彼と対峙していたとは。
だが、生きている事自体が運がよかったのかもしれない。
今目の前で薙刀を振るう彼を"鬼神"と呼んで違和感を覚える人間など何処にもいないだろう。
『…どうりで』
牌豹が隣でボソリと呟いた。
『ふっ…』
『なっ!』
そんな姿に私は笑みが零れてしまった。
普段はあれだけ慢心に慢心を重ねて、上司の私の言葉にすら耳を傾けないあの牌豹が、今素直に目の前の出来事に感心しているのだ。