烈戦記
…あり得ない。
経験からしてあの間合いでは彼の得物が私の得物を捉えるより先に胸元を槍が貫いていたはずだ。
振り下ろす動作、しかもあんな胴が隙だらけになる程掲げた薙刀が私の槍を捉えられる訳がない。
それこそ彼の薙刀が私の槍の突きを上回る高速の斬撃でなければ…。
『…ッ』
だが、私はふと見た地面に突き刺さる槍の矛先を見て背筋が凍った。
その地面に埋まる刃が、事実に起きてしまったのだと物語っていたからだ。
『…化け物だ』
そんな言葉が漏れてしまっていた。
『はぁ…はぁ…!』
何とか先程の敵将を巻いたようだが、随分と陣より端の方に来てしまっていた。
そこには既に敵の姿は薄く、また、敗走兵の姿を良く見かけるようになる。
…だが、何故かその敗走兵達に違和感を覚えた。
何というか、逃亡にしては数が多く、退却にしては数が少ないというか…。
だが、どの道時間が無い事だけは察する事ができた。
私は縋る思いで天幕の入り口を広げた。
『豪帯様!』
…だが、そう上手くいくわけも無く、そこには微量の兵糧があっただけだった。
『…クッ!』
私は苦々しくも天幕を離れようとする。
『ま、待ってください!』
『!?』
だが、突如気配の無い天幕の中から声がした。
私は薙刀を構えた。
『そこにおるのは誰だ!』
『わ、私は味方です!』
すると、兵糧の山の影から数名の兵士が出てきた。
だが、見た所兵糧番の様には見えない。
…では略奪か?
だが、ならば何故私を引き止めるのか。
私は不思議に思いながらも近付いて来る兵士達から少しでも情報を引き出せないかと内心すがり付く思いで訪ねた。
『お前達はここで何をしておる?見た所兵糧番では無いようだが…』
『はい、我々は前線で洋班様の側で共に敵兵に当たっていたのですが…』
そこで兵士達の顔色が歪んだ。
なんだ?
『…洋班様は戦況が芳しくないと見るや否や撤退命令は出されず、我々に殿を任せると言って黄盛様と共に退却されて…』
『…なんと愚かな』
先程の違和感の原因はこれだったか。
部隊の大将の敗走を知らぬ者が健気にも敵に当たり、偶然にも敗走途中の大将を見かけた者が逃げ始めている状況らしい。
そして彼らが撤退命令を出さなかった理由は、統率が取れなくなってバラバラになった部隊の中で殿を任せられる戦力がなく、変わりに"囮"という方法で残った兵士達に時間稼ぎを期待したからだろう。
…しかし、戦の大将が2000もの自分の兵士を戦場に置き去りにして逃げるとは。
人の事は言えないが、上がこれではついていく兵士達の事を思えば不憫でならない。
そしてそんな人間の為に駆け付けた我々は一体…。
『…あの』
『ん?なんだ?』
私が頭を抱えている所に先頭の兵士が声をかけてくる。
そうだ、まだ本題を聞いていない。
我は直ぐに頭を切り替えた。
『先程の…豪帯様と呼ばれる方は子供でございますか?』
『何!?お前達!豪帯様の場所を知っておるのか!?』
失礼だが"子供"と呼ばれて間違い無く豪帯様だと確信できた。
私は思いもよらない情報に内心歓喜した。
『え、えぇ…。実はそちらに…』
『なに!?』
兵士が先程出てきた兵糧の影に指を指す。
すると兵士数人がその物陰へと姿を消し、何やら大きな物を運んでくる。
『あ、豪帯様!』
そしてその大きな物は紛れもない豪帯様であった。
だが、その姿は両足と両手が縄で縛られ、目には周りが見えないように目隠しがされていた。
私は直ぐに駆け寄った。
『な、なんとおいたわしい…ッ!』
『こ、これは洋班様の命で仕方なく…ひっ!』
私は兵士の言葉に思わず睨んでしまっていた。
だが、冷静に考えてみれば兵士達はあの洋班に逆らえるわけもなく、また相手が洋班であればこれくらいするのは予想できた事だ。
私は私自身を宥めた。
『…直ぐに縄を解け』
『は、はい!』
目の前で兵士達が縄や目隠しを緩める。
しかし、冷静になってみれば尚更この兵士達が豪帯様をこの天幕で保護していた理由がわからない。
敵兵に降伏の手土産にするにはこの者達は豪帯様を知らないようだが…。
『お主ら、何故豪帯様をここで?』
『は、はい!実は我々も真っ先に逃げようとはしたのですが、このままではこの方が陣内に置き去りにされてしまうのでは無いかと思い…かと言って彼をここまで連れて来たはいいものの彼を連れて逃げ切れるかどうか…』
成る程。
要するに彼らは豪帯様を連れて逃げ切れるかどうかがわからずここで手をこまねいていたという事か。
そのまま豪帯様を連れてさっさと逃げてくれていれば良かったのだが、そうで無くてもこの兵士達には感謝せねばな。
『…お主ら、先程はすまなかったな。改めて礼を言うぞ』
私は馬から降りて首を垂れた。
『い、いえ!とんでもございません!頭をお上げください!』
兵士達は自分よりも上の人間に頭を下げられて慌てていた。
…だが、いつまでもこうしてもいられない。
私は改めて頭を上げた。
『…して、そんな主らに頼みたい事がある。良いか?』
『は、はい!何でも仰せください!』
兵士達は先程の行為に相当感慨深かったのか私の頼みにしっかりと反応してくれた。
これなら任せて大丈夫そうだ。
『主らに関まで豪帯様の護送を頼みたい。頼めるか?』
『はっ!…ただ、貴方様はどうなさるのですか?』
兵士は最初から私が豪帯様を引き受けるものばかりと思っていたのか、豪帯様を預けた後の事を聞いてきた。
『私はここに残ろう』
『…殿ですか?』
『あぁ』
そうだ。
私の任務は最初から味方部隊の援護、または殿なのだ。
それに豪帯様も見つかった今、尚更馬を持たない兵士達に任せたのだから時間を稼がなくては。
兵士達の顔には"心配"の二文字が浮かんでいた。
『なに、気にするな。私はこういった事は慣れておる。それに私一人では無いからな』
兵士達の心配を除くと同時に頼れる自分の部下の存在も知らせておく。
これなら万が一何か退却に不具合が起きても豪帯様を足手まといと道に放置する事は無いだろう。
まぁ、彼らにいたってその心配は必要なさそうだが。
『…わかりました。どうか御武運を』
『あぁ』
私はそう言って天幕を出た。
さぁ、ここからが腕の見せ所だ。
今までは平和の中で必然的に振えなくなっていたこの薙刀。
そして今最重要であった豪帯様の護送も任せる事ができた。
これで久々に武将としての本懐を成す事ができる。
殿。
それは敗軍の中でただ唯一敵に当たる役目。
死亡率で言えばそれこそ常戦の比では無い。
しかし、だからこそ勝戦よりも重責であり、また武将の武が最も輝く瞬間でもある。
私はこの殿の中で何とも言えない高揚感に見舞われた。
私は勢い良く馬に跨ると、陣内に散開した味方勢を集めに中央へと馬を走らせた。