烈戦記
"北国の使者は引き返していったのですが、彼らが引き連れて来た荷車が何十も我らの陣に放置されていて…"
"な、なんだと!?"
"敵の策略だ!直ちに陣から遠ざけろ!"
"やはり奴らはこれを狙ってッ…!"
"慌てるな!"
兵士からの報告で騒然となった重鎮達に父上は一喝した。
皆焦りの表情を隠せないまま父上の指示に従う。
"…して、中身は確認したか?"
"い、いえ!まだ敵国の荷車ゆえ兵士の身で勝手に確認はできませんので指示を仰ごうかと…"
"…ふむ。皆、ついて参れ"
"え?"
"ワシが直々に確認する"
皆この日何度目かになる驚きを見せた。
何故、危険かもしれない敵の荷車を大将自ら確認しに行くのか。
父上は軽率な行動を何より嫌って来たのに、どうしてここでこうまでして行動理念が狂うのか。
皆動揺していた。
"直にわかる"
そう言って父上は内宮を出られた。
そしてその後父上と私含めた家臣団が荷車の確認をしたところ、中身は全て今までに北国に連れ去られていた同族達だった。
皆やはり騒然としていたが、その中でただ一人父上だけが豪快な笑い声を上げていた。
それから父上は国の軍事優先の方針から内政優先へと切り替えた。
最初は家臣一度反対が多かった。
私もその内の一人だ。
仮に同族達が帰ってきて、北国側にも攻める意思が無いにしても、あくまで一時的に過ぎず、信用するのは危険だと何度と無く家臣を引き連れて父上に上訴した。
しかし、父上は"時が経てば人が変わり人が変われば方針は変わる。一時的だと言っていては何も変わらない。彼らは大丈夫だ。私が保証しよう"と聞き入れられなかった。
しかし、その結果私達は疲弊した内政を立て直す事ができた。
民は安寧を取り戻し、内需も安定。
商人を介した交易はその後も続ける事にはなったが、それにより北の文化の恩恵も受ける事ができた。
そして極め付けは父上が保証した通り、彼らはこの八年間の間本当に我々に害を成す事が無いばかりか、一度蹴った友好の使者を度々に出してきた。
流石に自らこの国に乗り込んでくることは無くなったが、それでも私含めた家臣達の中にも今までの北国の印象を、そして何より北国の人間である豪統殿に対しての印象を改め始めるようになる。
そして3年前等々いがみ合い続けた両国は同盟を結ぶにいたった。
『…』
だが、その尊い同盟は今正に目の前で崩れ落ちている。
しかも、それは彼らからの裏切りによってだ。
私は家臣の中でも最後まで主戦派の立場をとっていた人間だが、その分自論を曲げるに当たって誰よりも北国との関係を期待していた人間になっていた。
だからこそ尚更この現実が悲しくてならなかった。
だが、父上が言われた"時が経てば人が変わり、人が変われば方針が変わる"の言葉は何と無く開戦前のやり取りで理解できた。
豪統殿はきっとこの流れに抗っただろう。
そういうお方だ。
『刑道晃様』
『…なんだ?』
隣に馬を並べた"奴宮"(ドグウ)が声をかけてくる。
『敵陣内は既に敵味方の入り混じる混戦状態にございます。ですので、一旦残る兵を温存するのが上策かと…』
『いや、このまま一気に攻めて早期に次戦に備える』
『ははっ』
そうだ。
これからが本当の戦なのだ。
小競り合いに時間を割くつもりはない。
『…北国は変わりませなんだな』
奴宮が深いため息の後に言葉を並べた。
『…あぁ』
『も、もうダメだ!』
ある兵士とのすれ違い際にそんな言葉が聞こえた。
横目に見えたその兵士は味方側だ。
敵前逃亡。
戦闘中に一人でも逃げ出す者が現れればたちまち周りを巻き込んで一気に敗走の流れが出来上がる。
だからこそ一軍を率いる将はこの一人を出さない為に日々の訓練や兵士達の信頼を勝ち得ていなければならない。
そして戦闘中にもしも現れてしまえば"死"をもって厳罰に処さねばならない。
それが強兵を率いる軍律というものだ。
だが、今の私にはその兵士を厳罰に処すよりも今の目的の為に背律行為を見逃す事を選んだ。
理由は簡単だ。
元々練度が低く、上の将が上の将なだけに日常の酷使が予想できるこの部隊で高々一人を見せしめにした所で効果が無いと踏んだからだ。
もう時間がない。
今はその事実だけが私を焦らせた。
私は既に何回と繰り返した行為を続ける。
天幕の入り口に薙刀の刃を引っ掛けて中に入る。
『豪帯様!』
中では敵兵と味方兵が刃を交えていた。
その光景に何度目かになる冷や汗をかいた。
急いで豪帯様の姿を探す。
…だが、それらしき人影は見当たらない。
良くも悪くもここにはいないようだ。
私は心の中で安堵しながらも急いで天幕を出た。
『待たれい!』
だが、天幕を出ると同時に敵意の篭った声で静止をくらう。
そして声の方へ振り返れば馬に跨り槍をこちらへ構える敵将の姿があった。
『名のある武将とお見受けいたす!』
厄介な事になった。
私は今もなお増え続ける逃亡兵の中で急がねばならないのに敵将に構っている暇などない。
かといってこの陣内を敵将を巻きながら探すには余りにも狭すぎる。
『我が名は牌豹(ハイヒョウ)!いざ!』
そうこう悩んでいる間に敵将はこちらへ馬を走らせてくる。
…ならば。
私もそれに合わせて敵将に馬を走らせた。
どれ程の手合いかはわからない。
だが、打ち合うその数合すら今の私には惜しい。
だからこそ、この一刀に渾身を込める。
敵将との距離は僅か。
もう少しで互いの間合いに入る距離。
私は駆ける馬の上で薙刀を頭上高くに構えた。
『好きあり!』
敵将は私の構えを見てすぐ反応し、槍の握る位置を浅くし、間合いを伸ばてガラ空きになる胸元に向けて槍を突き出してくる。
その間僅か。
間合いに入るギリギリの瞬間だった。
…成る程、自ら敵将に挑むだけあって中々な手合いだ。
これでは避けるか中途半端に凪ごうとすれば馬上での体を維持できなくなる。
はたまた並の手合いではそのまま間合いを見誤り突き崩されてしまうだろう。
…だが。
『フンッ…!』
私はそのまま渾身を込めて薙刀を振り下ろした。
ガキンッ
『…え』
それがすれ違い際に聞こえた彼の言葉だった。
私は後方の敵将には目もくれずに馬を走らせた。
グサッ
微かにだが、私の後ろからは槍の先端が地面に突き刺さる音が聞こえた。
それを聞いた後、私は天幕と天幕の間をすり抜けて唖然としているであろう敵将の視界から逃げた。
私の槍捌き完璧だったはずだ。
間合いギリギリで見せた敵将の隙。
そしてそれに乗じて意表を突いた間合い詰め。
自分の腕に自信があった分、槍が届かぬ内に勝利を確信していた。
…だが、気付いたら敵将は私の横をすり抜けていた。
また、敵将の胸元を貫くはずだった私の槍はいつの間にか矛先を失っていた。
呆然。
まさにその言葉が当てはまる状態に私は陥っていた。
私は矛先を失った槍を眺めながら、間合いの瞬間に起きた出来事を思い返す。
"フンッ!"
その声はまさに敵が持っていた得物を振り下ろした瞬間だったのだろう。
…だが、それが私の槍の矛先を斬り落としたのか?