烈戦記
こんなもんじゃない。
俺は人間越しに拳をくらってあれだったのだ。
もし豪帯に避けられでもしてたら…。
それを想像して背筋が凍った。
こいつは確かにどうしようもない馬鹿だ。
だが、徐城一の怪力は嘘では無いらしい。
それどころかこの国一なのかもしれない。
そう思うと、自分の手元にいるこの黄盛の怪力に心強さを感じると共に、後ろで荷車の上で縄に縛られて気絶している豪帯に気の毒さを感じた。
人間越しであれなのだ。
それを直接、しかもあんな小さく華奢な身体で受けたのだ。
もしかしたらこいつは目を覚まさないかもしれない。
…そうなると凱雲が黙ってはいないだろうが、だが黄盛がいる。
最近は全く頼りにならなかったこいつだが、こいつの腕力は身を持って体感したんだ。
腕っ節ならあの凱雲に負けるはずはない。
現に既に勝っているしな。
『お、お許しを…』
『…ふん。馬に乗るのを許す』
『!?は、ははッ!!ありがたき幸せ!!』
ボロボロになりながらも許しを乞う黄盛の姿を見て流石にこれ以上はという気持ちと筋肉痛な身体に鞭を打って殴り続けたのもあって疲れたという理由で許してやる事にした。
こいつでなければ拷問の末に打ち首の所だ。
そうこうしながら森の中の道に馬を進めた。
行軍を続けていると月明かりだけの森の暗がりの中で先の方に村のようなものが見えた。
『洋班様!見えましたぞ!』
ギロッ
『ひっ!?』
『…』
こいつは話を聞いていたのか?
まったく、夜襲だというのにこいつは…。
『…声でけぇよ』
『す、すみません…ッ』
普段なら有無も言わさずに殴りつけるところだが…。
『ふぁ〜…ねみ。』
今の俺は深夜という事もあり、行軍の途中で眠気に襲われていた。
既に身体中の関節も動く事を拒み、必要最低限の動きしか許容しない。
『…よ、洋班様?眠いのでございますか?』
『あ?…あ〜』
『でしたら蕃族はまだこの村だけではございませんし、少し引いた所に陣を構えて明日を待つのも…』
『あ〜?せっかく目の前まで来たんだ。さっさと片付ければいいだろうが』
『はッ』
『では後は任す。さっさと終わらせて陣を敷け』
『了解しました!おい貴様ら!』
夜の暗がりの中でまたも黄盛の声が響いた。
そんな黄盛が苛立ちを覚えたが、
もう言うのも面倒だと思いその行為を不問にすることにした。
『これより目の前の蕃族に夜襲をかける!』
ザワザワッ
『いいか!』
オーッ!
『一気に叩き潰す!』
オーッ!
『我に続け!』
その叫び声と共に幕は切って落とされた。
兵士達の雑踏はさっきまでの夜の静けさを飲み込んでいく。
そんな中で俺は波行く兵士達が横をすり抜けて行く中で馬をゆったりと歩かせた。
ドンドンッ
部屋の戸が忙しなく叩かれた。
いったいなんなのだろうか。
謹慎中の人間に、しかもこんな夜に面会などとは常識の無い者もいたものだ。
それとも、それ程に急な大事なのだろうか?
私は床から寝ぼけた身体を起こして戸を開いた。
『が、凱雲様!』
そしてそこにいたのは豪帯様が昔からお世話になっていた南門近くの宿の宿主だった。
その事から豪帯様関係の事だという事をすぐに悟る。
そしてその悲しげな表情や目の前で息を整えているところから只事では無いことも悟る。
私の寝ぼけた身体から嫌な汗が滲み出てくる。
明日で全て終わるというのに今度はなんだ?
『…宿主、いったい何があった』
私はできるだけ頭を冷やしながら冷静に言葉を並べる。
『凱雲様!お、落ち着いて聞いてくれ』
『わかっておる。なんだ?』
『たい、ご、豪帯様が今日私の宿に来たんですが…その…』
『…』
やはり豪帯様か。
私は無言で次の言葉を待つ。
『例の余所者達に…連れさられた』
『…なん…だと?』
意味がわからなかった。
余所者達というのは大体予想できる。
だが、あの餓鬼共が今更豪帯様を連れさる理由がどこにある?
しかも、いったいどこへ?
『ど、どういうことだ!?いったいどこへ連れさられた!』
『が、凱雲様落ち着いて!』
理由がわからない今、豪帯様がどんな危険な目にあっているのか想像できない分焦りが募る。
私は宿主の肩を揺らし、返答を促した。
『わ、私にもわからないですが兵隊を連れて外の方へ…』
『外とはなんだ!?北門から出て行ったのか!?』
『い、いや…』
『なら外とはなんだ!?』
北門では無いならいったい兵士を引き連れて何処へ行けるというのか。
豪帯様を人質に州都へ赴くならまだ理由は色々想像できた。
だが、宿主の言う外というのがそれで無いと聞いて尚更想像ができなくなる。
いったい宿主が言う外とはなんなのか。
…頼むから大事で無いでくれ。
『み、南門から…』
『…み、南門?』
一瞬わけがわからなくなる。
何故南門なんだ?
何故そこに豪帯様が必要になる?
いったい奴らの目的は…。
"蕃族"
『』
頭にその名が過り、身体中の体温が消し飛ぶ。
自分が思いついてしまった可能性に絶句した。
もし仮にもこの予想が当たる事があっては豪帯様だけでは済まない。
それこそここら一帯を巻き込む一大事だ。
私は自分の予想を必死に否定した。
『そ、そういえば確か余所者の一人の大男が口々に"夜襲だ!"だの"急げ!"だの叫んでいました!』
だが、宿主の言葉でその予想は確信へと変わる。
『だ、だから多分豪帯様は蕃族のいる方へ…ヒィッ!?』
宿主が何かに驚いて部屋から飛び退いて尻餅をついた。
だが、今の私の意識にはそんな些細な事に割かれる余裕は既に無くなっていた。
『あいつらぁぁぁ!!』
『ひぃぃッ!』
私は尻餅をつく宿主を横目に兵舎へと向かった。
ドンドンッ!
豪統様!豪統様!
ドンドンッ!
『…んむ。なんだこんな夜中に』
私は床の中で目を覚ます。
いったい誰なんだ?
仮にもここの関の責任者の家にこんな時間に訪ねてくるなんて。
声からして官士や兵士では無いようだが。
私は気怠さを押し殺して戸へ向かった。
『あ、豪統さん!大変だ!』
『ん〜…なんだ、南門の所の…』
『そんな事はいいんです!!大変なんです!!』
訪ねて来たのは昔からの付き合いの宿主だった。
宿主の声が耳を劈く。
…まったく勘弁してくれ。
私は寝ぼけた頭を必死に起こそうとする。
『わかったわかった。聞くからまず、声の高さを…』
『豪帯様と凱雲様が!』
『ッ!?』
その名を叫ばれて一気に目が覚めた。
そして目が覚めて気付くが明らかに只事ではない表情をしていた。
『…宿主、あの二人に何かあったのか?』
『豪帯様が余所者達に連れさられました!』
『なんだって!?い、いったいどこへ…』
『蕃族です!』
『は、蕃族だと!?』
『はい!兵士達を引き連れて南門より…あ、豪統様!?』
私は余りの急な事に眩暈がしてさっきまで寝ていた寝床に腰を落とした。
『だ、大丈夫ですか!?』
混乱した頭の中を整理する。
まず、余所者とは十中八九洋班様達の事だろう。
そして、その洋班様達が派兵された兵士達を引き連れて帯共々蕃族に向かって…。