烈戦記
確かに次に先鋒部隊に従軍したらそれこそまた大怪我を負うかもしれない。
『お願いです。従軍はおやめください』
凱雲が頭を下げてくる。
それ程までに僕の事を心配してくれている。
それは凄く嬉しくもあり、本当に従軍をやめてもいいとさえ思えた。
だが。
『…凱雲は13年前にあの村で起きた事覚えてる?』
『…えぇ』
『僕さ、あの時からずっと夢みてる事があってさ』
『…』
『でもそれを叶える為には力が必要でさ。だから僕はずっと関で父さんの仕事を手伝えるのを心待ちにしてたんだ』
『…』
『だからさ。僕はここで任された仕事を投げ出したく無いんだ』
『しかし、それで死んでしまえば元も子も…』
『それは違うと思う』
『…と言いますと?』
『だって、この国の為に色々な人達が命をかけてきたでしょ?だったら僕達の世代が命を惜しんで何もしないじゃ命を落としていった人達に申し訳ないよ』
『今ある平和の中で命を捨てるのでは平和を求めた意味がありません』
『多くの命で創り上げられた平和はきっと命を掛けて守るに値するんじゃないかな』
『…』
『…まぁ、今は世の中の平和どころか自分の親すら幸せにできないんだけどね』
そう言って笑ってみせる。
凱雲は複雑そうな表情を見せた。
『…だからこそ、これくらいはやりきりたいんだ』
『…そうですか』
そう言うと凱雲は立ち上がった。
不満はまだあれど、どうやらわかってくれたようだ。
『御無理はなさらぬよう』
『わかってる』
それだけ交わすと凱雲は天幕を出て行った。
『ふぁ…ねみい…』
黄盛に起こされて目蓋を開けたはいいが、なかなか早朝はきついもんだ。
だが、今日は待ちに待った賊退治だ。
俺は腰から剣を抜き取る。
『へへ、やっとこいつが試せるぜ』
親父には経験だの名声だの言われてここまで来たが、そんなのはどうだっていい。
俺はこの名剣で人が切れればそれでいい。
この輝く刀身が人の命を殺める瞬間が堪らなく待ち遠しい。
『はっ!!』
ヒュッ
剣を降り下ろせば風を切る音がする。
その音色が心地よかった。
『へへへっ…ん?』
遠くからこちらへ向かって来る見覚えのある巨大な人影が見えた。
あれは…凱雲だ。
表情は影になって見えないが、あの図々しい程威厳を放つ歩き方は紛れもない奴だ。
何度見ても忌々しい奴だ。
…だが、この一件さえ終われば州都に戻って真っ先に奴をこの国から追い出してやる。
精々今の内に粋がっているんだな。
俺は口元を歪ませるのを必死に堪えながら凱雲の横を通り過ぎようとする。
…が、突然目の前を丸太のような腕が遮る。
こいつ…。
『おい、なんのつも…』
凱雲の顔を覗きむ。
『ッ!?』
一瞬で背筋が凍った。
荒い鼻息を立てながら顔面は紅潮で赤黒く、眉間は深く皺が寄り、顔の至る所が歪み、ギョロリとした目が此方を視線で射殺さんとばかりに捉えていた。
その顔はまさに鬼のようだった。
『う、うわぁ!!』
思わず大声を上げて尻餅をつく。
『な、な、な、なんだ!!』
『…』
『なんなんだよ!!』
それしか言えなかった。
今にもとって食わんとばかりなその異様な雰囲気に相手が人間である事すら忘れていた。
尻餅をついて怯えていると、凱雲はのそりとこちらへ身体を寄せてきた。
喰われる。
そう感じた瞬間身体は固まり言葉が出なくなった。
だが、目だけは離す事ができなかった。
そしてとうとう鬼の顔がすぐ目の前まできた。
『あ…あぁ…』
情けない声が空いた口から漏れた。
見開かれた目からは涙が自然と溢れていた。
『小僧…ッ!』
『ひっ!?』
今まで聞いた事も無いようなドスの聞いた声で声を掛けられた。
もう駄目だ!
そう思った。
『次に豪帯様に手を出してみろ…ッ!例え首一つになろうと貴様の首をねじ切ってやる…ッ!』
『ひぃ…ッ!ひぃ…ッ!』
『『わかったか!!!!』』
鬼の咆哮が空を駆けた。
『ひゃぁ、ひゃあいぃぃ!!』
そしてか細い声が空を舞った。
それから鬼はゆらりと俺から離れていった。
そしてその後異様な咆哮に呼び寄せられた黄盛が来たが俺は当分立つ事も喋る事もできなくなっていた。
『…よ、洋様?お気分はいかがですか?』
『最悪に決まってんだろ!!』
ドカッ
『あだっ!』
『二度とふざけた事ぬかすなよ!?いいか!!』
『は、はいっ!!』
くそくそくそッ!!
胸くそわりいったらありゃしねえ!!
なんだ奴は?!
こっちには黄盛がいるんだぞ!?
斬られるのが怖く無いのか!?
俺は出発してからというものずっとこの調子で荒れていた。
ふと前を行く豪帯に目を向ける。
『ッ!』
『…あ?』
豪帯と目が合う。
だが、それに気付いた豪帯は慌てて目を背けた。
多分俺が怒鳴り散らしているのが気になったのだろう。
…だが、それすら今は腹立たしく感じる。
元々は貴様らの凱雲のせいでこんな胸くそ悪い思いをしてるんだ。
これが豪統なら真っ先に殴り倒してやるところだが…。
『…』
『…』
『…ふん』
あの程度の事で頭に包帯を巻いているような雑魚に構う事はない。
そうだとも。
この判断は決して奴は関係ない。
あくまで俺の気紛れだ。
『黄盛!』
『は、はい!』
『…賊を見つけたら容赦無く殺せ。いいな?』
『わ、わかっております!手など抜きません!』
そうさ。
いざとなれば黄盛がいるんだ。
凱雲ごとき恐ろしくもないわ。
『…ふん』
『…おい。着いたのか?』
『…』
『あの山が荀山のようですな』
嘘だ。
僕は地図を見直した。
『…なら、あれが賊の根城なのか?』
『…だとは思いますが。』
だが、地図では確かにここが荀山の麓だと記されていた。
僕はそれに驚愕のあまり言葉が漏れた。
『…あれが…賊の根城?』
僕の目の前に広がっていた光景は根城というには余りにもお粗末で、そしてのどかな村だった。
一応防衛目的とされているであろう木で出来た柵と門は見えるが、その柵の外には綺麗に整備された農地が広がり、そこには農夫達がせっせと昼の耕しに精を出していた。
そしてその間を縫って駆けるように子供達が走り回っている。
さらに門には見張りが見えるものの明らかに此方を目視しているはずであるのにも関わらずその役目は機能しておらず、門は開け放たれていた。
…話では聞いていたが、これを賊の根城などとは言えないだろう。
なんてのどかな村なのだろうか。
『まぁいい。さっさと潰すぞ』
『『え?』』
洋班の言葉に不意をつかれたのか僕と黄盛の疑問の声が被さった。
なんだって?
『お前ら!これより荀山に住み着く賊を根だやす!いいか!』
兵士の中からも困惑のざわめきがおこる。
僕も自分の耳を疑った。
『なんだ貴様ら!これから賊退治だぞ!気を引き締めろ!』
『よ、洋班様?』
『なんだ黄盛!?』
黄盛が洋班に声をかける。
そうだ、流石に目の前の村は襲えないだろう。
そう思っていた分、黄盛が少し頼もしく思えた。
『我々は本当にあの村を襲うのでございますか?』
『あ?』
ガツッ
『あだ!?』