烈戦記
また小僧に目をやる。
一向に動く気配が無い。
…死んだのかの。
だが。
『…なぁ、どのみちあんな場所に寝転がられては邪魔じゃないか?』
『いい加減にせい!そんなに痛い目みたいなら一人でやれ!』
向かいの兵士に響かない声の大きさで怒鳴られた。
…最後に気をつかってくれたのか。
じゃがすまんな。
恩を受けて何もしないのは後味が悪いんじゃ。
…それにワシの故郷にはあれと近い歳の息子がおるんじゃ。
『…水、もらったか?』
『あぁ、もらったさ。だがワシは戦場以外で死にとうない』
『そうか…うまかったな』
『…あぁ』
そう言うとワシは人目を気にしながら小僧の方に向かった。
『…本当に馬鹿ばかりじゃ』
ワシが怒鳴った兵士が小僧に向かったのに気付いた兵士達はぞろぞろと小僧に集まり始める。
人数はそれ程多くは無いが、みな関での水に恩を感じているんじゃろう。
だが、あれではあまりにも目立つではないか。
だからワシらは官士になれずに兵士のままなんじゃ。
…本当に馬鹿ばかりじゃ。
『…世話が焼けるの。おい!そこのお主ら!』
『…ん?なんじゃ?』
ワシは周りにいた兵士達に声をかける。
『ちょっとあっち側から先にテントを張らんか?』
『…あの小僧か?』
『何を心配しておる!ワシらは幕を張るだけじゃないか!』
『そ、そうじゃよな?』
『よし!ワシらも手伝おう!』
皆洋班様達にあの集団が見えないように幕を張るのに賛同してくる。
…やはり恩とは重いものじゃな。
何故か体は疲れているのにも関わらず清々しい気持ちが体をよぎった。
夕陽に照らされ、白馬に跨りながら一人で敵を凪ぎ続けた武者がいた。
彼は逃げ惑う残党には目もくれず、ただ僕達に向かって"遅くなってすまない"と声をかけてくれた。
そして彼は言った。
"だが、もう心配はいらない"
"この地はこの鮮武がいただいた"
と。
僕は感極まって聞いてみた。
"僕らはもう苦しまなくていいの?"
すると彼は答えた。
"あぁ"
"俺がこの大陸を平和にしてやる"
と。
あれ?
『おぉ!豪帯様!!』
僕が目を覚ますと隣には凱雲がいた。
『よかった…よかった…ッ!』
そう言うと凱雲は目に涙を浮かべていた。
え?
凱雲って泣くの?
凱雲が泣くのを初めて見た。
いやいや、そんな事より。
『僕はどうしてここに?』
『グズっ…はっ。どうやらここの兵士達が豪帯様を手当してここまで運んでくれたようです』
僕は頭の怪我について思い出す。
そしてふと頭に手をやる。
ズキッ
『いた…ッ!』
『豪帯様、まだ傷が開いて間も無いようです。…どうか安静に』
『…うん』
なんとなく直前までの事を色々思い出す。
多分最後に気を失った時は殴られたのだろう。
その時の激痛とも鈍痛ともとれない痛みを思い出す。
『ウブッ…!』
『豪帯様!?』
不意に吐きそうになる。
あの気持ち悪い感覚を思い出すのはやめよう。
『だ、大丈夫!心配無いから!』
『…』
心配そうに凱雲がこちらを見てくる。
もう心配はかけれない。
『そういえば凱雲、いつ着いたの?』
『…ついさっきで御座います』
凱雲の言葉に違和感を感じる。
『外に出てみていい?』
『いけません』
きっぱりと断られる。
当たり前か。
頭に怪我を負った人間に外を歩かせるなんて凱雲なら許さない。
だが、ふと凱雲の後ろの垂れ幕から薄い光が射し込んでいるのが見えた。
…もう朝方か。
『凱雲、いつからここに?』
『?ですからついさっき着いてそのまま』
『いつからいるの?』
『…』
やっぱり嘘か。
凱雲の事だから着いてからずっと僕に付きっきりだったのだろう。
『凱雲、僕はもう大丈夫だから凱雲も寝なよ』
『いえ、私は大丈夫で御座います』
『駄目だよ。昨日の夜からずっと父さんの仕事とかしてて寝てないでしょ?』
『…いえ、本当に私は』
『凱雲』
『…』
凱雲の名を押し込むように呼ぶ。
凱雲をこのままほっとけば無理ばかりしてしまいかねない。
だから倒れる前に休んで欲しい。
もう、僕の周りで誰かが倒れるのは見たくない。
『ね?』
『…』
すると凱雲はまた俯いてしまった。
何故こうも頑なに寝るのを嫌がるのかわからない。
すると、凱雲の目からまた涙が零れた。
え、なんで!?
『申し訳御座いません…私の到着がもっと早ければ…ッ』
あ、そういう事か。
『私に力さえあればこんな事にはならなかった…ッ!豪帯様を守るお役目を頂きながらなんと不甲斐ない!なんと不甲斐ない…ッ!』
つまり凱雲は僕が殴られて倒れた事に責任を感じているのか。
…だったら尚更その張り詰めた気を休ませてあげたい。
それにこの怪我だって元わと言えば僕がぼーっとしてた事が原因だ。
凱雲が責任に感じる事は無い。
『本当に申し訳ありませんでした!!』
『…凱雲、顔上げて』
『…合わせる顔が御座いませんッ』
『命令だよ』
『…ッ』
『…顔上げて』
『…』
凱雲が顔を上げた。
彼の顔は自分への怒りのあまり紅潮し険しくなっていて、ゴツゴツした顔の溝を伝うように涙が流れていた。
つくづくこんな凱雲を見たのは初めてだ。
でも、だからこそその涙は僕には重く感じた。
これが男が流す涙なんだと思った。
これじゃあ僕が流す涙なんてちっぽけなんだな。
そう思ったらなんだか恥ずかしくなってきた。
僕は凱雲の顔を上げさせたはいいが、その後どうするかは考えておらず、ただ笑ってみせた。
『凱雲、ありがと』
『ッ!』
その後凱雲は声を押し殺しながらも泣き続けた。
そして朝はやってきた。
『出発するぞ!準備をしろ!』
黄盛の野太い声が朝方の空に響いた。
僕らは起きていたからいいようなものを、あれでは兵士達は寝覚めが悪いだろう。
そんな事を思いながら僕は寝台に立ててあった鉄鞭を手にした。
『豪帯様、その必要はありません』
既に泣き止んだ凱雲に止められる。
結局凱雲は寝てはいないが、これから先鋒部隊が出発した後に夜間の物資運搬の役目を終えた後続部隊の兵士達に充分な睡眠を与える為にここに残るそうだ。
多分その時に自分も寝るのだろう。
『凱雲、僕怪我はしてるけど道案内しなきゃ』
『豪帯様がする必要はありません。こちらで代わりを用意します。ですので豪帯様は後続部隊と一緒に』
『いや、でも洋班は多分許さないよ?』
『その時は私が交渉しましょう』
これはいけない流れだ。
多分凱雲の事だ。
何をしてでも僕を道案内から外そうとするだろう。
でもそうなればまた洋班を怒らせかねない。
…それにあちら側には凱雲より強い黄盛がいる。
いざとなったら凱雲は何も出来ずに斬られてしまいかねない。
それだけは嫌だ。
『凱雲。行かせて』
『駄目です』
面倒くさいな。
『ねぇ、これは僕が父さんから頼まれた関に来てからの数少ない仕事の一つなんだよ?その仕事を僕から取るの?』
『豪帯様をこれ以上危険な目には合わせられません。現に今こうして命の危険にさらされたではありませんか』
『これは…』
言葉が詰まる。