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身代わりの王妃~続・何度でも、あなたに恋をする~

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 眠くて堪らない。考えてみれば、早朝から嘉礼に臨み、重い冠や花嫁衣装、王妃の正装と肩の凝る疲れる儀式の連続だった。その挙げ句、王と寝所で二人きりになり、生まれて初めての口づけや胸を触られたりと、精神的打撃はかなり大きい。
 急激な眠気が押し寄せてきて、春花は知らず王の胸に頬を押し当てた。まるで子犬が親犬に甘えるように寄りかかり、そのまま深い眠りへと落ちてしまった。
「―中殿?」
 王がややあって呼んだ時、十七歳の王妃は既に熟睡して安らかな寝息を立てていた。
  
 何もかも委ねて安心しきったような表情で眠る王妃を見つめ、ユンは知らず微笑んでいた。
 本当に考えてみれば、娶ったばかりの妻は亡くなった長女と同じ年であった。では、第一王女が生きていれば、このように眩しいほどに美しい娘になっていたのかと思えば、今更ながらに、この世の光を見ずに逝った我が子が哀れでならない。
―娘と同じ歳の妻を迎える羽目になるとは、私も歳を取ったな。
 規則正しい呼吸とともに、胸が上下している。上衣を羽織らせたままなので、少し胸許が緩んで乳房が見えている。
 先ほどはああ言ったものの、正直、こんな魅惑的な肢体を持つ若い女と毎日、共に過ごして、何もしないで済ませられるか自信はない。しかも、この娘は彼が全身全霊をかけて愛した明姫にうり二つなのだ。
 今もこうして眺めていると、明姫が眠っているようだ。
「明姫、やっと帰ってきてくれたのか」
 ユンは眠っている春花にそっと囁いた。判っている。この娘が明姫ではない。だが、想い人にそっくりなこの娘を見ていると、自然に?明姫?と呼びかけそうになる。
 我が気持ちながら、混乱しきっていて、纏まりがつきそうにない。自分はこの娘との約束を守れるだろうか? 明姫に生き写しのこの娘を約束どおりにここから出して、自由の身にしてやれるだろうか。
 桜色の乳首が見え隠れしている胸許に無意識の中に手を伸ばそうとして、彼はハッと我に返った。
 何をしているのだ、自分は。あの娘とたった今、約束したばかりなのに、その誓いを今夜中に早々と反故にするつもりなのか?
 自分は王だ。その立場や権力、更に良人という立場をもってすれば、この娘を押し倒したとて、誰も何も言えない。だが、娘は泣き、抵抗するだろう。何より、彼を少し信頼してくれそうな気配だったのに、その信頼を失うことになる。
―中殿、これからは私は、そなたを娘だと思うことにしよう。
 そう告げたときの春花の心から安堵したような表情を思い出せば、到底、この身体を欲しいままになどできるはずはなかった。 
 ユンは緩んだ胸許をきっちりと合わせてやりながら、彼をしきりに誘惑する若い妻の身体から眼を背けた。

 抜け殻

 どこかから細い女の声が聞こえてくる。よくよく耳を澄ましてみなければ判らないが、注意深く耳を傾けていると、それが歌なのだと判る。
 ユンはそっと歌声の流れる方へと近づいた。思ったとおり、緑の茂みの向こうで女が一人、歌を歌っている。豪奢なチマチョゴリを纏っているところから、彼女がただの女官ではないことは一目瞭然だ。
「温嬪」
 至近距離まで近づき、彼女を愕かさないようにそっと呼びかけると、女が振り向いた。ユンの顔を認めた瞬間、生気のない虚ろな顔にパッと光が差したように生き生きとした表情が甦る。
「殿下」
 女は無邪気な幼女のごとき笑顔をひろげてユンを見上げている。
「殿下、ご覧下さいませ。王女がこのように大きうなりました」
 温嬪こと、かつての?昭容(ジヨンソヨン)の変わり果てた姿がこれであった。温嬪は今も錦に包んだ人形を本物の赤児のように腕に抱いている。歌のように聞こえているのは子守歌であることを、ユンは知っていた。
 温嬪のこんな姿を見るのはもう数え切れないからだ。
「本当だな。だが、温嬪。今日は王女ではなく、そなたの顔を見に参ったのだよ。先刻、そなたの殿舎を訪れたが、そなたがおらぬと尚宮たちが顔色を変えて探していた。勝手に歩き回り、あの者たちを困らせてはいけない」
 ユンが幼子に言い聞かせるように優しく諭すと、温嬪は子どものように頬を膨らませた。
「あの者たちは怖くて嫌いです。私を気違いだと申して、部屋に閉じ込めようとするのです」
「そなたは気違いなどではない。ただ―」
 そこで言い淀み、ユンは笑った。
「ただ、心が純粋すぎるだけだ」
 ユンは数日に一度は必ず温嬪の許を訪れている。というより、明姫が亡くなってからは、特に執着する妃もいなかったため、どの妃への態度も必然的に分け隔てなくなっていたのだ。
 今日も温嬪の殿舎を訪ねたら、尚宮や女官たちが色を失って温嬪を探し回っていた。温嬪はこうして、しょっちゅう殿舎を抜け出し、?王女の散歩?に出かける。
「だって、殿下。王女さまをたまには連れ出して散歩させて差し上げなければ、病気になって死んでしまいます」
 口を尖らせる温嬪に、ユンは頷いた。
「そうだな。だが、散歩はもう十分したろう。今日はこれで殿舎に戻らないと」
 ユンは温嬪の肩を抱くようにして、ゆっくりと歩いた。
「殿下は今日は王女ではなく、私に逢いにきてくださったんですね?」
「ああ、そうだ。王女も大切だが、私にとっては、大切な王女を産んでくれたそなたの方がもっと大切だから」
「嬉しい」
 温嬪はまた天真爛漫な笑顔をひろげた。ふいに温嬪がユンの手を握った。片方の手は相変わらず錦のおくるみにくるんだ人形をしっかりと抱いている。
「私は殿下が大好きです。ひとめ見たときから、こんな素敵な方に嫁げる私は幸せ者だと思いました。だから、殿下も私ではない別の女の許に通ったりはなさらないで下さいね?」
「―判った。私には、そなただけだと約束しよう」
 温嬪はユンが新たに三人の側室を迎えたことも、今は健康な王女が四人も生まれていることも知らない。彼女の中で刻は最愛の娘が息絶えて生まれた瞬間から、ずっと止まったままなのだ。
 やがて歩いている中に温嬪の住まう殿舎の前まで来た。殿舎の前では弱り切った尚宮や女官たちが温嬪を探している。
「温嬪さま(オンビンマーマ)」
 お付きの尚宮が気づき、チマの裾を蹴立てるように走ってきた。
「これは殿下。温嬪さまは一体、どこに?」
 尚宮が恐縮して訊ねるのに、ユンは笑った。
「庭にいた。王女に散歩をさせていたようだ」
 ユンは言い、温嬪の顔を覗き込んだ。
「良いか、今度、王女の散歩に行くときは必ず尚宮か女官に言うのだよ?」
「はい」
 子どもが元気よくする返事のような応(いら)えを返す温嬪を見て、尚宮が?おいたわしい?と涙ぐんだ。
「殿下、いつも温嬪さまを見つけていただき、ありがとうござます」
「いや、温嬪がこのような姿になったのも私のせいなのだ。気にすることはない」
 ユンが微笑み踵を返そうとしたその時、尚宮の声が追いかけてきた。
「殿下。温嬪さまは私どものことも最早、お判りではないのです」
「そうか」
 ユンは振り向かず、短く返した。