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身代わりの王妃~続・何度でも、あなたに恋をする~

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 明姫を後宮に入れてから、直宗の後宮は長い空白があった。元々、彼は色好みの王ではなく、後宮で過ごす時間よりも大殿で政務を執ったり、暇なときも読書したりする方を好んだからだ。
 明姫が後宮入りしてから、次の新しい側室を迎えるまでに、実に十四年もの間、後宮は王妃と側室三人(ただし、その三年前に明姫は死亡)だけの状態が続いていた。
 しかし、明姫の喪が明けてから、直宗は周囲の勧めもあり、新たな側室を迎えた。その三人の側室の中の一人が第二王女と第四王女、末の第五王女を産み、もう一人が第三王女を産んだ。第二王女と第三王女は異母姉妹ながら、誕生したのは同じ年の同じ月である。
 二人の側室がほぼあい前後して懐妊し、宮殿はしばらくぶりに歓びに包まれたものだった。予定日も近く、産気づいたのもほぼ同時期で、二人の住まう殿舎を宮廷医が忙しなく行ったり来たりする光景がしばらく見かけられた。
 ユンもむろん、嬉しくないはずはなかった。初めての王女が亡くなったのは、もう十七年も前のことになる。生きていれば今頃はもう有力な両班の子弟に降嫁している年頃だ。自分も四十くらいで祖父になっていたかもしれない。
 だが、第一王女はこの世の光さえ見ることなく先立ち、明姫の産んだ静献世子も一歳を迎えられず亡くなった。更に明姫との間の二番目の子は胎内にとどまったまま亡くなった。自分には所詮、子は授からない宿命なのかと諦めたこともあったほどなのだ。
 新しい側室たちから生まれたのは皆王女ばかりではあるが、ユンにとって男女の別については正直、どうでも良かった。四人もの可愛い娘に恵まれた自分はつくづく幸せ者だと思う。その意味で、自分に健やかな娘たちを与えてくれた側室たちには烈しい愛情ではないけれど、穏やかな感謝の気持ちと親愛の情は抱いている。
 明姫に対して感じたような、あのような烈しい恋情を感じることは、もう二度とないだろう。最愛の女を失ってからの長い年月の中で、ユンは静かな哀しみとともに感じていた。
 夜になった。重い冠や婚礼衣装を取り去り、比較的軽めの衣装に着替えたユンは大殿の寝所にいた。待つほどもなく扉が外側から静かに開いた。
 今宵、初夜を迎える花嫁が到着したのだ。
 春花もまた仰々しい婚礼衣装は脱ぎ、白い夜着となっている。寝所の中はふんだんに蝋燭が点されているお陰で、比較的明るい。春花の纏っている夜着が薄物なので、光に透けて身体の輪郭が露わになっている。
 だが、初々しい花嫁はそんなことに気づいてもいないらしい。おどおどとした態度は春先に中宮殿で初対面したときと変わらない。もしかしたら、容貌は明姫に似ているけれど、性格はまるで違うのかもしれない。
 流石に気性まで似ている娘を捜してくるのは領議政にも無理だったのか。ユンは眼を細めて検分するように新しい妻を眺めていた。
「我らは今宵から夫婦になったのだ。そのような遠くにおらず、こちらへ参られよ、中殿」
 ユンは眼前の小卓から早々と銚子を取り上げ、手酌で酒を注ぎながら声をかけた。
 花嫁からは、はい、と、消え入るような声が返ってくる。

 春花は唇をいっそう強く噛みしめると、ありったけの勇気をかき集めた。国王さまが呼んでいる。
「はい」
 それでも身体はなかなか言うことを聞かず、脚が動かない。まるで身体中が鉛になってしまったかのように重い。
 理由は判っていた。行きたくないからだ。元々、春花は誰かに嫁ぐつもりなんて、なかった。幼い頃から暇があれば小刀と木ぎれを持ち、何時間でも仏像を彫っているのが好きな風変わりな子、それが春花という少女だった。
 春花には兄と弟が一人ずついたけれど、父は女の子が仏像を彫っていても、難しげな本を読んでも、少しも嫌な顔をしなかった。
―お父さま(アボニム)、私は大きくなっても、たくさん学問がしたいの。
 そう言った春花に眼を細めて、よしよしと頭を撫でてくれた。だが、いつの頃からか、女は男と違い、学問なんてしてはいけないのだと知ることになる。ある日、春花は女も学問をしたいのなら、寺に入れば良いと教えて貰った。
 教えてくれたのが誰なのかは憶えていない。でも、その日から、小さな胸に希望の灯が灯った。
 私は大きくなったらお寺に入って御仏に仕えながら、たくさん本を読んだり、皆の知らないようなことを勉強するんだ。幼い心に一途に思い定めていた。
 十代になって、そろそろ結婚話が出始めたときになって、春花は初めて両親にその気持ちを打ち明けた。父は別にあからさまに反対はしなかったが、母には大泣きされた。
 相変わらず母はずっと春花に結婚しなさいと言い続けていたけれど、父が取りなしてくれて、やっと寺に入るという希望を認めてくれたのだ。
 ところが、そんなある日、春花の一生と夢を覆す出来事があった。領議政さまのお使いという男が小さな屋敷を訪ねてきたのだ。お客が帰った後で、春花は父の居間に呼ばれた。
―国王殿下がこの度、新しい中殿さまをお迎えになるというので、新たに国中に禁婚令が出されたのは、そなたも知っているな?
 雲の上のお方の結婚と自分に何の拘わりがあるのかと訝しんでいた春花に、父から信じられない言葉が告げられた。
―領相大監からの使者が言うには、大監は是非、そなたを新中殿さまに推薦したいとの思し召しがあるそうだ。
 当然ながら、母は狂喜乱舞した。父は難しげな顔で始終考え込んでいた。そのときの父には何故、自分なんかに降って湧いたように国王さまに嫁ぐ話が出たのか判らなかったようだ。後になって、父はその理由を知ったらしいが、とうとう最後まで春花に教えてくれなかった。
―そなたは知らない方が良い。
 幾ら春花が訊いても、そう繰り返すだけだった。
 母は異を唱えたが、父はぎりぎりまでこの縁談を断り続けたようである。何度も辞退したけれど、結局、時の権力者に異を唱えられなかった。もちろん、春花もいやだと訴えた。
―父上さま、私は誰にも生涯嫁ぐつもりはありません。私はお寺に入って、学問をしたり仏さまを作ったりして過ごすのだと父上さまも認めて下さっていたのではありませんか。
 だが、ペク・ヨンスさまのご威光に逆らうことはできなかった。ついにはペク・ヨンス当人が現れて春花を呼び出し、
―そなたが新中殿となれば、そなたの父を成均館の大司成(上にまだ知事、副知事がいるが、実質的には成均館の責任者)に取り立ててやっても良い。いや、もっと別の道もある。議政府に入ることだって夢ではないのだぞ?
 甘い餌でも春花の心が動かないと見るや、領議政は作戦を変えた。
―この命を拒んで、そなたの父が成均館にいられると思うか?
 つまり、出世どころか、断れば今の仕事も失うと脅迫してきたのである。最早、断るこことなど、できはしない。
 その結果、春花は今、ここにいる。
―本当は、こんなところに来たくなかったのに。
 物想いに沈んでいる春花の身体がふわりと宙に浮いた。ハッとすると、国王の逞しい腕に膝裏を掬われ、抱き上げられている。
「いつまで、ここにいるつもりだ?」
 あ、と、春花は思わず零しそうになった悲鳴を飲み込んだ。
「新婚初夜に良人に手酌をさせ、独り寝させるつもりか?」