身代わりの王妃~続・何度でも、あなたに恋をする~
「何がいちばん辛かったかといえば、殿下のお気持ちでした。こう言っては失礼ですが、領相大監のことなど二の次です。大監は、私を養女として入内させ、私が産むかも知れない御子を次の王に仕立て上げたかった。つまり、私を政略の手駒にしただけなのですから。ただ、殿下が私を求めて下さるのは殿下ご自身のお気持ちからだと思っていたので、殿下が私の上に和嬪さまを重ねていらっしゃるのではと知り、もう生きてはいられないと思いました。それで、咄嗟に小刀で手首を切りました」
「それは、つまり、中殿」
ユンは茫然と妻を見た。春花が艶やかに微笑む。
「たぶん、私は殿下をお慕いしているのだと思います。たぶんだなんて失礼だとは思うのですが、この気持ちはまだ淡すぎて、自分でもはっきりと掴めないのです。ただ、これだけは、はっきりとしていることがあります。私はいつまでも殿下のお側にいたい。きっとこの世に何度生まれ変わったとしても、何度でも殿下とめぐり逢い、お側にいたいと思います」
「ありがとう、中殿。今日は思いがけず嬉しい話を聞けた」
春花は小首を傾げた。
「でも、申し訳ないのですが、今すぐに殿下の夜のお相手をするのは少し難しいかもしれません。私は元々、そのようなことが苦手なのです。もし我が儘をお許し頂けるなら、もう少しだけ、お待ち頂ければ嬉しいのですが」
ユンは幾度も頷いた。
「むろんだ。中殿、これだけは私もはっきりと伝えておく。そなたは国の母だ。たとえ私の妻にはなれずとも、私が退位するまでは中殿でいてくれ。もし、そのときまでにそなたの気持ちが変わっていなければ、その後は寺に入るなり好きにしたら良いから」
「はい」
春花はしっかりとした声音で頷いた。
「ところで、そなたが私にしようと思っていた話は済んだのか?」
大方は自害の真相を話したかったのであろうと思っていたら、春花はまた途方もないことを言った。
「殿下のお子を授かりました」
刹那、ユンは呼吸が止まるかと思った。
「本当なのか!?」
騒ぐ鼓動を鎮めながら問えば、彼の想い人ははにかんだように頬を染め頷いた。
「では、あのときの隠れ家での」
「そうです」
十七年前、温嬪との間に儲けた第一王女もたった一度の契りで授かった生命であった。そのときに生まれた王女と同じ歳の妻が身籠もった。
娘と同じ歳の妻が子を産むと考えると、少し照れ恥ずかしい。が、あのときの王女が生きて育っていれば、もう人の母となる歳なのかと、それも感慨深く感じた。
「少しだけ抱きしめても良いか、中殿」
春花が頷いたので、ユンは壊れ物のようにそっと春花を抱き寄せた。春花もまたユンの胸に頭を預け、甘えるように身をすり寄せる。
こんな愛の形もあるのか。若き日、明姫をひたすら求めたことが愛する女をのっぴきならぬ状況に追い込んだ。
穏やかな愛、見守るだけの愛もまた良いものなのだろう。
―私も歳を取ったということだな。
ユンは微笑み、少しだけ春花を抱く腕に力をこめた。
その一年後、王妃許氏から直宗の第二王子(後の安祖・名前は恕)生誕。中殿からの世子誕生に宮殿中どころか朝鮮全土が歓びに沸き立った。更に数年後には直宗の末子となる第六王女和順公主が中殿から誕生している。
王妃が世子を産んでからというもの、直宗の側室が御子を産んだという記録はない。更に王妃が世子を産んだ後も彼の王女を出産しているという事実から、もしかしたら、この物語に記した以外にも語られなかった出来事があるのかもしれない。
―私はそなたが側にいてくれるだけで良い。もう愛する人をこれ以上、失いたくはないのだ。そなたがいやだというなら、私はそなたに指一本触れないと約束しよう。
ユンは確かに王妃にそう誓った。
―もし我が儘をお許し頂けるなら、もう少しだけ、お待ち頂ければ嬉しいのですが。
王妃はそれに対して、こう応えたのだ。
―王と王妃が庭園で交わしたあの約束が良い意味で果たされなかった。そう考えるのが妥当ではないのだろうか。
(完)
デュランタ
花言葉―七月十八日の誕生花。花言葉は、あなたを見守る、独りよがりな愛。
五月から十月にかけて、房状に垂れ下がった枝の先に紫色や薄青紫色の小花をつける。
和名は針茉莉(はりまつり)、台湾連翹(たいわんれんぎょう)。
アイオライト
宝石言葉―初めての愛、不安の解消、心の安定。和名は菫青石。
あとがき
元々、?何度でも、あなたに恋をする?の続編を書くつもりは全くありませんでした。それを思いついたのは、前編をケータイ小説に連載中のことです(現在も連載中)。
いつも少しずつ更新していくのですが、読み返していく中に、どんどんこの作品への愛着も深まりました。そして、また、それは作中の登場人物に対しても同じことになりました。つまり、ユンや明姫に対しての愛着も強くなっていったのです。
その中に、?明姫を失った後、ユンはたった一人でどんな風に長い長い年月を過ごしたのかな??と考えるようになりました。この後編は時代的に言えば、前編の明姫が亡くなったシーンと最後の年老いた直宗が一人、夜明け前の空を見上げながら昔を回想するシーンの間に位置します。
読む人によって意見が大幅に違うと思うのですが、もしかしたら、やっぱり、ここ(直宗の回想シーン、つまり前編)で止めていた方が良かったよと言われる方もいらっしゃるかもしれません。自分で続編を書いておいて何ですが、私の中にもそういう想いも実はあります。
前編は明姫が亡くなってからラストの老王が登場するラストシーンまでに空白がある。あの空白がかえって読み手の方にその間に何があったんだろう? と想像して貰うことができ、それがかえって読後の余韻を出す効果があるのではないかとも思います。
もちろん、私自身も韓流にひとくぎりつけるつもりだと申し上げていたように、あそこで終わるつもりでした。
ただ、あの終わり方では、ユンがあまりにも気の毒すぎました。なので、作品的には続編がない方が良いのかもしれないけど、続編は作者からユンへの応援歌? だと思って下さい。
後編でユンが領議政の罠と知りつつも、明姫に生き写しの春花に惹かれていき、ついには両想いというハッピーエンドになった。そのなりゆきも、裏を返せば、これを描いたことによって、明姫を殺した領議政の目論見はまんまと成功したことになる。
それも前編の流れからすると、ちょっと酷すぎるという気持ちが作者にもあります。そのことについても校正しながら、本当にそれで良いのかと自問自答してみました。ただ、言い訳になるかもしれないけど、この際、領議政の思惑や存在なんて、もうどうでも良いじゃないかという想いになりました。
確かにユンが春花と纏まってしまったことで、領議政の野望はついに叶ったことになってしまう。でも、問題なのは脇役の腹黒狸親父ではなく、ユンの幸せの方だと。ユンが再び人生に光を取り戻したことの方が実は私にとっては意味が大きかった。だから、もう領議政や大妃については敢えて作中ではそれほど触れませんでした。
作品名:身代わりの王妃~続・何度でも、あなたに恋をする~ 作家名:東 めぐみ