小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

身代わりの王妃~続・何度でも、あなたに恋をする~

INDEX|31ページ/35ページ|

次のページ前のページ
 

 二人ともに王の後宮に入ったのは今の中殿よりも若いときであったが、どちらも心映え優れた女人であった。あのお方たちが生きておわせば、今回のような悲劇も起こらなかったとは思うが、人の運命だけは変えられない。
 新中殿は前中殿や和嬪に比べると、かなり幼い。年齢がということではなく、人間的にまだ成長してきれていない。身体は王を虜にするだけ成熟していても、心がまだ大人になっていないのだ。
 普通、王と褥をともにした後では、どれだけむずかっていても諦めるものだが、中殿はまだ実家に帰りたいなどと泣いている。長らく後宮に仕え、様々な人間関係や人の浮き沈みを見てきた金尚宮に言わせれば、?甘い?のひと言に尽きる。
 これが若い女官であれば、
―甘えるな。
 と一喝したいところではあるが、流石に中殿さまを叱りつけるわけにはいかない。なので、やんわりとした言葉で何とか中殿の心が王の方に靡くようにと説得を続けているのだけれど、幼い割に頑固なこの少女はなかなか言うことをきいてくれない。
 とにかく、夕刻まではそっとして十分に休んでおいて頂かなくては。
 金尚宮はそう思いながら、王妃の居間を出て廊下に待機した。
―また、今宵も殿下のお相手を務められるのだから。
 中殿には申し訳ないが、何となく心が浮き立つ。
 中殿その人だけが身も世もなく嘆いている中で、久しぶりに中宮殿は華やかな雰囲気を取り戻していた。その理由は、他ならぬ中宮殿の女主人が王の寵愛を漸く得たからであった。
 
 咽の渇きを憶え、春花は目覚めた。夢を見ていたような気がする。視線をゆるりと動かして確かめてみても、夏の陽はまだ十分に明るくて、自分が眠っていたのはさほど長い時間であったとは思えなかった。
 なのに、長い長い夢を見ていたような気がする。
「誰か」
 身を起こして呼ばわっても、応(いら)えはなかった。
「金尚宮」
 信頼できる尚宮はいつもなら呼べば飛んできてくれるのに、今日に限ってやってこない。
 春花はのろのろと布団から出て、寝室から居間へと続く扉を細く開けた。その時、廊下からひそやかな声が聞こえてきた。
「これで、私たちにもやっと運が向いてきたわね」
「そうよ、中殿さまが殿下のご寵愛を頂くようになれば、こちらの殿舎にももっと頻繁にお越しになるでしょう。そうしたら、私たち女官の中で、殿下のお眼に止まる者だって出てくるかもしれないわよ?」
「お若いときから美男でいらっしゃるって聞いたけれど、今も全然お変わりないんじゃない? 到底、四十近いとは思えないでしょ」
「うちの父親は殿下とは一歳違いなのよ。なのに、凄い差だわ。父みたいな頭の禿げ上がった冴えないおじさんなんて、こちらから願い下げだけどね。殿下なら、あの逞しい腕に抱かれてみたいなんて思っちゃうのよね」
 いつもなら笑い出してしまう他愛ない会話も、今の春花には到底笑えない話だった。
「前の中殿さまは殿下とはずっと形だけのご夫婦だと聞いていたから、また今度も同じことになるのかしらと心配していたの。側室ならともかく、正室ともなると、殿下の御意は殆ど反映されない政略結婚だものね」
「あら、あなた、知らないの?」
「一体、何を?」
「新しい中殿さまは確かに以前と同様、領相大監が強引に殿下に押しつけたご正室ではあるけど、実は前とは全然違うのよ」
「違うって、何が違うの。勿体ぶらないで教えて」
「実をいうと、中殿さまは和嬪さまにそっくりなんですって」
「和嬪さまって、私はよく知らないわ。皆が噂してるから、名前はしょっちゅう聞くけどね」
「まあ、私たちは見習いの頃から数えても、まだ後宮生活は十年に満たない程度だから、知らなくても仕方ないのよ。和嬪さまがお亡くなりになったのは、十年以上も前だもの」
「確か噂では、国王殿下のご寵愛が凄かったって聞いてるわ」
「そうなのよ。その和嬪さまに、新中殿さまは生き写しなんですって。和嬪さまをよく知っているある尚宮さまなんかは、双子なんていうもんじゃない、あれは本人が生き返ってきたとしか思えないって。それくらい似ているらしいのよ」
「なるほど、それで国王殿下が中殿さまに夢中なのね」
「領相大監はそこら辺を十分判ってらしたから、今度、新しい王妃さまを冊立するからには、絶対、和嬪さまによく似た美しい娘をってことで、都中を探し回ったそうよ」
「ああ、だから、成均館の教師風情の娘が王妃になれたのね。でも、あなた、よく内情を知ってるわね」
「私の伯父が領議政のペク・ヨンスさまのお屋敷の執事をしているの。だから、そういったことは筒抜け」
「ふうん」
 と、厳しい声音が飛んで入った。
「何を無駄なお喋りをしておるのだ! 宮殿内では余計なことは一切言わざる見ざるという教えを忘れたのか」
 いつもは声を荒げたことのない金尚宮の烈しい叱責を受け、若い女官たちは震え上がっているようだ。
「両人とも、後で私の部屋に来るように。鞭で打って、少し後宮女官の心得というものを思い出させてやる」
「尚宮さまぁ」
「申し訳ありません」
 二人は泣きそうな声で口々に謝罪している。
 春花は慌てて居間へと続く扉を閉め、布団にすべり込んだ。春花が夜具に潜り込むのと、金尚宮が扉を開けたのはほぼ同時であった。
「中殿さま」
 控えめに声をかけられても、春花は返事をせず、ひたすら寝たふりを続けた。第一、涙が次から次へと溢れ出て、返事などできる状態ではなかった。
 金尚宮はなおもしばらく呼んでいたが、諦めたらしく、やがて扉は元通りに閉まった。
 これで漸く合点がいった。何故、領議政本人までがわざわざ許氏の屋敷を訪れ、春花を中殿にと望んだか。父が何度も辞退し、挙げ句に脅迫された形で承諾したときですら、春花に事の真相を―自分が新中殿に選ばれた理由を話さなかったかが知れた。
 恐らく、父は話そうにも話せなかったのだ。ただ国王がその昔、熱愛した寵妃に似ているというそれだけの理由で王妃に選ばれたなどと、父が娘に話せるはずがない。父にしてみれば、そんな理由で王室に上がる娘を不憫だと思ったに違いない。
―そなたは知らなくて良い。
 春花が何度訊ねても、父は頑として理由を教えてくれなかった。その裏には、こういう背景があったのだ。
 私は最初から望まれていたわけではなかった。亡くなった人に似ているからと連れてこられ、不似合いな地位に据えられた、身代わりの王妃。
 国王がどうして自分なんかに執着するのかもこれでやっと納得がいった。王は許春花という人間を見ているわけではない。きっと私を見ると、遠い昔に亡くなったという美しいお妃さまを思い出すから、嫌がる私を無理に自分のものにしようとするのだ。
―似ている。
 たまに王が自分を見つめて呟くあの科白は、まさに自分が一人の人間としてではなく、身代わりだと証明しているではないか。今、迂闊にも春花は漸く、王が?似ている?と自分に切なげなまなざしをくれる理由を知ったのだった。
 誰も、自分という人間を見てくれてはいなかった。王妃に選ばれるだけの値打ちがあると自惚れていたわけじゃない。でも、こんなのは酷すぎる。領議政にとっても、王にとっても、私はただの身代わりにすぎなかった。