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身代わりの王妃~続・何度でも、あなたに恋をする~

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 ユンの冷めた気持ちとは裏腹に、大妃は春花が多少遅れたことなど、意に介してもないらしい。
「おお、待ちかねたぞ。こちらへ」
 大妃が機嫌の良い声を上げた。大妃の声につられるようにユンもまた気のない視線を向けたその先に、若い女が佇んでいた。背は女性だとしてもさほど高くはない。ほっそりとした肢体だが、貧相というわけでもなく、ほどよい肉付きが盛装の上からでも窺えた。
 薄紅色のチョゴリに紅梅色のチマは同色を重ねた効果で、娘の可憐さを更に際立たせている。チマの裾には咲き誇る牡丹の花が描かれ、花には色彩も鮮やかな蝶が刺繍されている。
 かなり緊張しているものか、うつむきがちなので、容貌までは定かではない。
 少女の登場で、その場の空気が一遍に華やいだようである。さながら梅の精が人の姿をとって現れたかのような姿に、大妃は満足げに頷いた。
 娘は上座に座るユンの前まで進み、尚宮たちに両横から支えられて拝礼した。
「祝言はまだとはいえ、もう夫婦になると決まったも同然ならば、我らは身内ではないか。そのように固くならず、面を上げられよ」
 むっつりと黙り込んでいるユンに代わり、大妃が一人でその場を仕切っている。大妃の言葉に、娘がおずおずと伏せていた面を上げた。
 ユンが驚愕したのは娘の顔を見たその刹那だった。
「―っ」
 思わず息を呑み、娘の顔をまじまじと見つめてしまう。
「明姫?」
 呟いてから、ハッと我に返った。今の言葉を聞かれただろうか? さりげなく周囲を窺っても、それと判っても態度に出すほどの愚か者はこの場にはいないだろう。
「いかがですかな、殿下」
 娘の後から続いて入室してきた領議政もまた浅黒い狸顔に満面の笑みを浮かべている。
「これなるが許春花どのと申しまして、この度、並み居る殿下の花嫁候補の令嬢たちから選ばれました。父親は成均館で教師をしておりますが、流石に殿下との身分の釣り合いを考えまして、私の養女ということに致しました」
―やられた。
 ユンは老獪な伯父と母親にまたしてもやられたことを悟らないわけにはいかなかった。
 そういえば、領議政たちが明姫に似た娘を躍起になって捜していると耳にしたことはある。あれほどの美少女がそうそう見つかるはずもなく、またうり二つであることを条件にしたため、なかなか難航しているとも。
 それを聞いた時、彼は鼻で嗤ったものだ。双子ならともかく、この世に見紛うほど似ている容姿を持つ人間がそうそういるはずもない。万が一、そのような女を捜し出してきたとて、それは明姫ではない。幾ら容姿が似ているからといって、その女にあっさりと腑抜けになるほど甘くはない。
 そう思ったものだったが、いざ、その場面になってみると、自分が考えてる以上に動揺しないわけにはいかなかった。
―似ている。
 彼が見ても、その許春花という娘は明姫にそっくりだった。双子どころか、明姫が生きてそのまま戻ってきたのかと言われても、納得できそうなほどである。もっとも、明姫は二十一歳で亡くなっている。
 あれから既に気の遠くなるような年月を重ねた。今の自分の歳を数えてみれば良い。既に三十九、不惑が近い。明姫が生きていれば、もう彼女も三十を超している。むろん、三十を超えても明姫の美貌は変わらなかっただろうし、ユンは明姫の美しさだけを愛でていたわけではなく、その心の美しさを愛していたのだ。
 今、眼前にいる娘は亡くなったときの明姫がそのまま時を止めて戻ってきたような、或いは、彼が初めて明姫と出逢った十五歳のときの彼女を思い出させた。
 明姫よ、私はいまだにそなたをこんなにも愛している。そなたに似た娘を見ただけで、年甲斐もなく心がこのようにざわめくのだ。
 前妻の王妃が亡くなってからでもはや六年が経った。その間に側室との間にまた一人、第五王女が誕生しているが、いまだに王子は生まれていない。
 ユンにしてみれば、数ある王族の男子の誰かを立てて次代の王とすれば良いのにという想いもある。しかし、無駄な権力争いを避けるためにも現国王ユンの直系の王子が世子となるのが妥当な道ではあった。
 一日も早い王子の誕生が待たれているこの時期に、亡くなった明姫にうり二つの娘が現れた。この事実を自分はどう受け止めれば良いのか。 
「殿下、どうなさったのですか?」
 大妃の声に、ユンはまた物想いから現実に戻った。
「春花どの、殿下はそなたのあまりの美しさにお心を奪われておいでのご様子」
 大妃が華やかな笑声を上げ、領議政としてやったりと顔を見合わせるのも口惜しい。
 ユンは改めて眼の前の少女を見た。涼しげな目許は理知的でいながら、少し潤んでいて、見る人の心に何かを訴えかけてくるようだ。男なら、その瞳の底に溺れてみたいとは思わずにいられない。桜色の唇はみずみずしく、やや下唇がふっくらとしているのが口づけをねだるようにどこか扇情的だ。
 やはり、似ている。
 思わず我を忘れて見入っていると、少女が怯えたような瞳でこちらを見返しているのに気づいた。まるで心ない猟師に追いつめられた野ウサギのような表情はかえって男の征服欲をかき立てる。
 そこまで考えて、ユンは首を振った。
 何を考えているのだ、私は。
 これでは大妃や領議政の思う壺ではないか。明姫に似た娘を臣下たちが必死で捜し出しているのは知っていたが、ここまで似た娘を連れてくるとは考えていなかった。
 が、これですべてに合点がいった。何故、成均館の直講の娘にすぎない春花が中殿に選ばれたか? それは春花が明姫に生き写しの容貌をしていたからだ。
 元々、春花の父と領議政は繋がりどころか、面識もなかったに違いない。だが、明姫の姿絵を握りしめて都中を探し回った領議政の手の者が、春花を見つけてきたのだろう。そこが、春花の父と領議政の接点となった。
 我が娘が王妃になると聞かされて、春花の父に異存のあるはずはなかったろう。謹厳な学者とはいえども、出世欲はあるのは当然だ。また、万が一に春花の父が娘を嫁に出し渋ったとすれば、領議政は権力をちらつかせて脅してでも娘を差し出させるように仕向けたはずだ。
 どの道、領議政に眼を付けられた時点で、この哀れな娘の運命は決まっていたのだ。
 王妃という名前はあれども、結局、領議政が外戚となり権力を握るための手駒にすぎない。ユンを絡め取るための美しい生け贄にすぎないのだから。
 初対面で相手の顔を不必要に眺めすぎるのは、確かに失礼な行為ではある。それでなくとも、降って湧いたような国王との婚姻話に初の体面、この可憐な娘がどれほど緊張を強いられてきたかは察するに余りある。
 どうやら少女はユンがあまりに不躾に顔を見つめていたものだから、それで余計に怯えてしまったらしかった。
 別に年端のゆかない少女を怖がらせて愉しむ性癖はない。ユンは心もち蒼褪めている春花から眼を逸らし、立ち上がった。
「嘉礼(カレ)の日取りを占い師に見させて、良き日取りを決めさせるように。後は領相(ヨンサン)に任せる」
 ユンは後は振り返らずに言い残し、部屋を出た。嘉礼とは婚姻の儀式を意味する。このひとことで、国王は許氏の息女を王妃と迎えることを認めたとされ、以後は嘉礼に向けての準備が始まる。