(続)湯西川にて 21~25
(続)湯西川にて (24)高台のスキンシップ
蕎麦屋での早めの昼食は、一時間ほどで終わります。
小高い山の木蔭に隠れて佇む蕎麦屋の店内には、静かな時間と
たっぷりとした悠久の趣なども漂っています。
「見晴らし台?
ここからすぐ裏手にある山のことですが、車で行ける道はありません。
店を出てすぐに神社の階段が有りますから、
そこから登りはじめて山道を行けば
10分ほどで見晴らし台には出られます。
しかしまぁ、よくぞ、ご存知ですね・・・・そんなマイナーな場所を。
地元の人でも、限られた人しか知らないというのに、
たしかに見晴らし台は、昔から建っていたものですが、誰が
いつ建てたか定かでありません。
そこまで行くなら、日傘などを貸してあげましょう。
眺望は、折り紙つきです」
蕎麦屋の夫婦に見送られ、清子に手を引かれながら俊彦が
山道を歩き始めました。
「あら、あなた。思いのほか今日は歩けるようですねぇ。」清子が、
振り返りながら、不思議そうに小首をかしげています。
「寝たきりでいたもので、すっかりと筋肉が萎えていたようだ。
歩き始めたら、おかげさまで昨日よりは、足が楽になってきた。
鍛えれば、人間何とかなるもんだ。
とはいえ、こうして、のんびりと歩くだけで、
もういっぱいいっぱいだけどね」
「それだけ歩けるようになれば、なによりです。
そうなると清子の肩も、この指も、もうまもなく役目などが
終わってしまうと言うことになりそうです。
あらまぁ、残念だわ。そうなると、もう、
スキンシップの口実などが、なくなってしまいます」
「スキンシップ?
肌と肌の触れ合いによる心の交流という、和製の英語だよねぇ。
たしか・・・・1953年に開催されたWHOのセミナーで、
アメリカ人女性がたまたま使ったことばがきっかけとなって、
それが日本に紹介された瞬間から、爆発的に全国に
広まったと言われている現代語だ。
日本でしか通用しないという、限定つきの表現だそうだ。
たしか定義では・・・・、母親と子供を始めとする、家族関係にある者や、
ごく親しい友人同士が抱きしめ合ったり手を握り合う、
あるいは頬ずりするなど
身体や肌の一部を触れ合わせることにより、
互いの親密感や帰属感を高めあい、
一体感を共有しあう行為などのことを指す・・・・
と言うような意味を持っていたはずだ。
ふう~ん。
子供用の浴衣のといい、今のスキンシップ発言といい・・・・
なにか、妙に引っかかるものを感じる。
清子。なにか、俺に隠し事などをしていないか?」
「なにをつまらなく勘ぐっているの、あなたは。
あれ以来、私には何ひとつ、変わったことなど有りません。
有ると言えば・・・・
時々思い出す、あなたを手放したことへの寂しさだけかしら。
華やかに見える花柳界に棲んでいても、
夜更けに一人っきりになったりすると、
やっぱり、どこかで寂しがっている私が未だにいるもの」
指先を離した清子が、日傘を右手に持ち替えてから、
俊彦の背中側へくるりと回りこみ、「どうぞ」というように右側へ立ちます。
「道が、少しばかり急な登りに変わりました。
肩につかまってくださいな・・・・
これも、スキンシップのひとつかしら」
何も言わず清子の肩へ、俊彦が手を置きます。
そのまま登りはじめますが確かに、昨日ほど肩に置いた手に
力はこもってきません。
(あら、本当に楽に歩けるようになった様子です・・・・嘘じゃないのね)
それでも気を使いつつ、あえて日傘をくるくると回しながら
なるべくゆっくりと、清子が坂道を歩き続けます。
「あらまぁ。眼下に先ほどの大山の千枚田が見えてまいりました。
ねぇ・・・・気がついたら、太平洋の大海原も、
いつの間にか彼方へ見えています。
あのあたりに見える市街地が、昨日私たちが泊まった鴨川温泉で、
あちらのほうに、キラリと光っているのが、
クジラの解体を見学した和田漁港かしら。
全部の景色を、ひとまとめに見渡すことが出来ますねぇ、
ここからは・・・・」
ほどなくして、坂道が最高点へ登りつきます。
頂上らしい一帯は綺麗に下草が刈り込まれ、木陰を作るために
背の高い木などが数本ずつ、まとめて植えられています。
ベンチ風の木の椅子が置いて有り、かたわらには切り株も並んでいます。
高台の背後には、延々と登りの稜線を見せ続ける千葉県の最高峰、
愛宕山もそびえています。
涼しい木蔭に入ったとたんに、清子が短い歓声をあげました。
「ねぇぇ。・・・・絶景が、ここから独り占めできます。
昨日と今日、私たちが巡ってきた全部の場所が、
すべて一望のもとに見下ろせます。
平らだとばかり思っていた太平洋の水平線が、本当に丸く見えますし、
地球の丸さなども、なんとも実感ができます。
さすがですねぇ・・・・本当にここは、別天地です。
ねぇ。今日、お約束をしているクジラ漁師の鬼瓦さんの自宅は、
どのあたり?」
「見えるかなぁ・・・・
入り組んだ海岸線の陰になっているみたいだ。
このあたりには小さな入り江や、ちょっとした港がたくさん続いている。
そのどれかのひとつに、浜のクジラ伝説が伝わってきた。
じゃあ・・・景色などを楽しみながら、
ぼちぼちとそのクジラの話でもしょうか」
「あら、いいわねぇ。
それでは折角ですから、このあたりで私が
膝枕などをしてさしあげましょう。
あなたの痛む足へ私が頭を乗せたのでは、なんとも申しわけが有りません。
どうぞ、こちらへ。
あなたもスキンシップには、たぶん、飢えているのでしょう?
なによ。その何か言いたそうな、なたのお顔は。
ここまでですよ。
これ以上は、お天道様が見ていますので、ちょっと無理です。
断っておきますが・・・・うふふふ」
作品名:(続)湯西川にて 21~25 作家名:落合順平