Grass Street1990 MOTHERS 27-36
「……それで谷岡さんは、石川を置いてまず永田のところへ来たのか。」
俺にもズボのデリカシー欠乏症が伝染ったらしい。つい質問してしまった。
「それで、俺と谷岡さんより先に入ったあの3人が、赤いワンピースの青山をあんたと思い込んで……」
「誰なの?……良美の先生って……」
教えてやらん。俺は心に誓った
「……いいわ、それはもう……」
しばらくして、平田はあっさりと引いた。そうすると教えれば良かったって気になるから人間は不思議なものだ。人間の誓いなど無力なものである。
「あなた、琥珀にいたんでしょう? 何があったの? さっき良美が言ったけど、よく聞こえなかったの。」
「何があったって?」
「誰が死んだの?」
「知らないのか?」
「私は、関係者をできるだけあそこに集めたかったの。気の狂ったあの母親の前にね。どうなるか考えてたわけじゃないわ。」
「……その割には、見事すぎる段取りやけど……
……その前に一つ教えてくれ、高木はどうしてここにきたんや?」
「……輝久、ここに来たの? ……なんで………知らないわ。」
「お前が指示したんやないのか?」
「してないわ……」
「お前の話だと、高木はお前の恋人みたいに思える。その高木を、お前は利用していただけで、自分の立てた計画をしっかり話していないな。」
「……」
「……自分の恋人が撃ち殺されている姿を見た男の行動を、お前は何にも考えなかったな。」
「……そのおばさんに聞いてみたら?」
俺は昌美に目を向けたが、彼女は何か答えられるような状況ではなかった。
俺は仕方なく、別の質問を平田にした。
「青山と渡辺はどうして関わってるや?」
「それも、そのおばさん……私を見張る者が欲しくて、石川に頼んだらしいわ。学長が自ら出向いてくる店なんだもの、安心だからって言ってね。」
本当だろうか? 本当に、2人はそんなことだけで……
「谷岡が、永田組まで来たのは知ってるか?」
平田は黙って小さく首を振った。
「……いいよ、教えてやるよ……お前の身代わりの青山は、確実に死んでた。
それから、腹を撃たれて危ないのが、谷岡と、高木輝久。」
平田は無表情だった。気に入らん。谷岡を『あんたの父親』と呼ばなくてよかった。
「石川は、脚を撃たれた。そして、あんたのおかあさんは、よくわからん。俺が投げたソファをまともに頭にくらった……」
「……そう……」
物足りないような口調だった。さらに気に入らん。そして、平田は冷たい目で昌美に言った。
「また、あんたの家族だけたいしたことないのね。あの時と同じだわ。」
「やめて!」
昌美が叫んだ。
「いいのよ、ママ、」
それまで膝をついて泣いていた川本が声を出した。
「……知ってるの……思い出したわ…」
「良美……違うわ! 嘘よ! 違うの」
昌美は娘に駆け寄った。
「違うの! 違う……」
「……ママ………」
川本は、泣き崩れた母親の髪に手を置いた。
「……ありがとう、でも……」
彼女は目をつぶって、それから、意を決したようにこう言った。
「私、覚えてるの……14年前、輝久君のパパを、私、撃ち殺した……」
32
俺は、自分のすぐ後ろで娘の前にひざまずいている川本昌美の、意外な小ささと、そして老いを意識していた。こんなに小さく、弱々しい……
俺の頭の中にはそれしかなかった。
実際俺には、今の川本の台詞を冷静に受け止めるだけの余裕は無かった。
……いや、余裕、というのは合わない。
俺は恐かった。もの凄く恐かった。さっき琥珀で時江に拳銃を向けられた時よりもずっと恐かった。
こんな事だけは絶対に知りたくなかった。
逃げ出したかった。悪い夢だと思い込んで、明日もいつものように眠そうな目で学校へ行き、生徒が授業を聞いてくれんとか、トイレでタバコの吸い殻があったとかいう日常の平和な生活に埋まってしまいたかった。
俺は、声も出せないほどひどく泣いている昌美の背中を見ながら思った。
……当事者より、他人の方がつらい時もあるのだろうか?
それは、母親だからか?
俺は平田を見た。母親を見られないからといって川本本人を見ることもできなかったからである。見れば、自分が泣いてしまいそうだった。
彼女はたいして表情も変えずに、つまり、どこか物足りない表情のまま、俺の斜め後ろの親子をじっと見下ろしていた。
「……これ以上、何が望みなの?」
どのくらい時間が経ってからだろう、昌美は、打ちひしがれた声で平田に言った。
かなり時間を置いて、平田は答えた。
「……これ以上って、なに?」
最初は上ずっていた声が、だんだん、はっきりしてきた。
「なにか、これで、解決されたことがあるっていうの? いいかげんにしてよ、まただわ、また、うちの家族は2二人、死んだかもしれないひどい目にあって、あんたのところは脚を撃たれたのと、計画をしくじったのと、子供のころの罪をやっと思いだしただけ、何がこれ以上、よ!」
「高木の父親って?」
反デリカシーの帝王、ズボが口をはさんだ。
平田は、聞いていないような感じで続けた。
「私は、子供の頃から、あんたの悪口ばかりをあの母親に聞かされて育ってきた。『あの女は泥棒だ』って言ってたわ。くやしくて仕方なかったのよ、あの人は高木に惚れてたのかもしれないわね……その高木をあんたは奪い、」
「違うわ!」昌美が叫んだ。
「……母親には、同じことだったのよ。」
「……違うわ……良美は……何もわからず……恐かったのと、ただ私を守りたい一心で……あの男と私と……いいえ、あの男と私が揉み合って……銃があの子の目の前に……そして……撃った……その反動で、銃があの子の頭に当たって、血を流して……泣いてた……
……それが罪になるの? ……良美は、それで人殺しなの?」
……あの傷!
「私の父が償ったのよ! それを! あのお人好しの父が……そりゃあね、石川からは金をもらったわ。母親は、琥珀なんていう大きな店も持たせてもらった。刑務所を出た後もお人好しの夫の面倒もみてもらってる……でもそれは、それは、主人が使用人にしてることだわ。
……そしてあんた……あんた達夫婦は娘さえよければいい、他人に償わせてその家庭を破壊してしまった娘を……
……言ってあげるわ。高木を殺したのは罪にならなくても、でも、何にもしてない父を私達から奪ったの……それが罪でなくて何なの?……
……そして、それに気付いたあたしを、自分達の思い通りに監視できる位置に置いて、こんなふうに計画して殺そうとする……」
「……私は、この子の親なの。」
昌美は、平田をまっすぐに見て、きっぱりと言った。
開き直った都合のよい発言……でも、納得させられてしまう。
そう、俺達がここに来た時のあの冷たさ、今までの言葉に見られる徹底的なエゴイズムは全て……母性本能という名の……全て、娘を守りたいということがあそこまでの冷たさを、そしてここまでのエゴを……
これでは、俺は昌美も恐くて見れない。俺は、平田だけに視線を集中した。
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 27-36 作家名:MINO