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Grass Street1990 MOTHERS 19-26

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 全く期待していない時に谷岡が声を出したので、俺は自分が口に出したばっかりの、3軒のクラブとそれぞれの母親の順列組合せがわからなくなってしまった。俺はやはり理系の頭をしていない。
 「そうすれば、もう少しまともな状況にもっていけたかもしれません。」
 思い出した。PSが川本でジーザスが高木だ。
 「情けないことです。いい大人たちが何年もできないことだったのに……」

 谷岡は、一瞬言葉を切ってから、続けた。
 「……それに、良美ちゃんが、なぜあなたに助けを求めたのか、今になってわかりましたよ。」
 ……あれ……この台詞、どっかで聞いたことが…
…あ-っ!!ズボがさっき俺に言った台詞だ!……なんてことだ!この『男の手本』とも見える谷岡と、『反面教師重量生命体』のスカイが同じことを言うなんて……悪い夢に違いない。

 「川本の望みは、叶えていいものでしょうか。」
 俺は前を向いたままだった。谷岡の顔を見るのがくすぐったかった。
 「彼女は自分で言ったんです。『誰も悪くないのにこんなのひどい』って。」
 スピーカーから音楽が鳴っていることを、橋を渡ってから初めて意識した。この曲は……確か、クルセイダーズの、『ストリートライフ』……ランディ・クリフォードの声って、俺には京都を思い出させる。

 「……良美ちゃんが、そんな風に言ったんですね。」
 曲が終わってから、谷岡はゆっくりと言った。

 「もちろん、絶対に、叶えてあげなければいけませんね。」

 琥珀とPSの間くらいにある月極め駐車場にベンツを停めると、谷岡は降りる前に俺を見た。

 俺達は岐阜市役所のあたりから、谷岡が『叶えてあげないといけない』と言ったのを最後に、一言も言葉を交わしていなかった。
 彼は少しかすれた、低い声を出した。

 「……それから……あなたには言っておきます……覚えておいて下さい……これは……もう1組の父親と娘の約束でもあります。」

 もう1組……

 俺は何も言えず、谷岡は先に車を降りた。ほんの少し冷たい感じのする空気が車内に入ってきた。

 完璧な空調のベンツの中にいると、最も過ごしやすい季節の1つである初秋の気候ですら不快に感じてしまう。そのうちに、空調などされていない世界が本当なのだということに気付きたくなくなってくる。

 俺は、1つ大きく息を吐いてから、谷岡を見ずに車から出た……『もう1組』の父と娘。
 川本と石川、そして……平田と……?
 ……谷岡…それなら…

 ……完璧に空調された人間関係などありえないのだ。たとえどんなに金があっても、力があっても、能力があっても……

 ……そして、それが親子であっても……


24

 「高木!」

 琥珀の前に出る路地に曲がったところで、俺の前を歩いていた谷岡が叫ぶような声を出した。その言葉通り、シルビアの運転手、高木が琥珀のドアから俺達の方に向かって走ってきていた。
 「谷岡……それに……」
 高木は立ち止まり、俺を嫌な目で見た。 
 「おまえら、やっぱりグルやった……」
 「そんな事はどうでもいい。」
 谷岡の声には誰にも文句を言わせない迫力がある。

 実は俺の立場としては決してどうでもいいわけではなく、現時点における自分の状況をどれだけ時間がかかろうとも高木にしっかり説明して誤解を解いておきたいところなのだが、谷岡に『どうでもいい』なんて言われると反論ができない。
 「何があった? 高木。」
 高木は何かに耐えるように少しの間下唇を噛んでいた。様子がおかしい。それから奴は、しぼり出すような声を上げた。

 「……俺は、あの女を許さねえ!」
 それは、俺達2人が一瞬ひるむほどの、怒りに満ちた声だった。
 その隙に、高木は俺達の横を通って路地を右に曲がった。俺はともかく、あの隙のない谷岡が止めることのできないくらいの勢いだった。
 何があったんだ。
 それと、どこへ行くんだ、あいつ。

 「急ぎましょう。」
 谷岡は、突然、いても立ってもいられない表情になった。
 「何か大変なことがあったらしい。」
 不安な気持ちのまま残りの数十メートルを走り、白い大きな扉をあわただしく引いた谷岡の後について、俺は琥珀の中に入った。

 ……かなり時間が経ってから、初めて中に入った琥珀は薄暗く、とても静かなことに気がついた。けれど、白い扉の内側に入ってから数分間の俺には、そんな余裕はなかった……

 俺が、おそらくは谷岡も、最初に嫌でも目に入ったのは、うつぶせに倒れたまま動かない、赤いワンピースを着た若い女だった。そして、かすかに生臭い臭いと、その女の下に見える黒い液体。
 俺は一瞬の内に理解した。

 平田芳美!

 谷岡を見るのが怖かった。自分の手ではどうにもできない悲しみを味わっている人間を見たくはなかった。

 こんなのは、俺の能力外だ。

 俺は、涙が出そうになった。

 だいたい俺みたいな役立たずが、どうしてこんな場面にいられるのだ。俺はここにいる誰に対しても、何もできることがないのだ。谷岡にも、左奥のソファに倒れている川本にも、その脇にいる石川にも……
 ……それに、黒い血の上で死んでいる平田芳美にも……

「……同じだ……頭を……」
 すぐ右から聞こえる谷岡の声は、俺が思ったよりも冷静なものだった。そして、その次の台詞は独り言ではなかった。その静かな声は俺を通り越して、ソファで娘-川本良美-の髪に手を置いている石川に向かって発せられた。

 「……とうとう……時江ですね……時江がやったんですね。」
 ……時江! …平田時江!
 ……それなら……
 石川が疲れきった顔を上げた。
 「……わからん……僕が来た時にはもうそこに倒れて……」
 今気付いた。この人は、こんなに老けていたのか。
 「……さっき高木の息子も……そう言って出ていった……」

 谷岡は、無言でゆっくりと奥へ進んで行った。
 「……谷岡……本当に?」
 石川が小さな声を上げたが、彼には全く聞こえていないような感じだった。

 谷岡は、倒れている自分の娘の前まで行って、しばらくの間じっと娘を見下ろしていた……それから、静かにしゃがみ込んで、彼女の髪に手を置いた……一瞬ぴくっと動いた背中が、その後、俺にもわかるほど震えていた。

 俺は動くことができなかった。立っていられるのも不思議なくらいだった。首筋から後頭部にかけて、何か平たいもので内部を殴られ続けているような感じだった。
 それでも、谷岡の背中から視線をそらすことはできなかった。

 震える、背中……

 ……平田芳美は、母親に殺された?………

 同じように頭を撃たれた………誰と?

 ………俺の前には、2組の父と娘がいた。
 共に、零時にここで会う約束をしていた。
 共に、今は父が娘の髪に手を置いていた。

 けれど、同じなのは、たったそれだけのことだった。

 最も大切なことが、違っていた。

 ……約束に間にあった娘は死に、間にあった父親は生きている。間にあわなかった娘は気を失い、そして、間にあわなかった父親も生きている……

 ……そして、母親は……
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 19-26 作家名:MINO