Grass Street1990 MOTHERS 19-26
「わからん。車停めたら、黙って出ていった。」
「……なんやと?」
「こっちはプロと違う。バカげたことも起こる。」
この台詞は全く嘘ではない。実際、非常にバカげたことになっているのだ。俺が教えてほしいくらいだ。
「お前等、大体どこのもんや?」
「公務員と自営業。」
正直は人間の一番の美徳だ。
2人はしばらく顔を見合わせた。それから、ハスキーが指輪に言った。
「苅谷、お前車の中であのでかい奴待って後で連れて来い。俺はこいつを連れてく。」
俺はやはり凄い。とっさの判断は見事に当たった。ハスキーアイパーの方が格上だ。
……役には立たなかったが……
斜め後ろから、その格上ハスキーアイパーに押されるようにして、俺は永田家に向かって歩き始めた。石川家の時のように無事に済んだりは…
…いかに楽観的な俺でもそうは考えられないな。
それにしてもズボはFKごときをどこまで買いに行ったんだろうか……
21
俺は『ヤクザ映画』というものを見たことがない。TVの刑事物も最近見たことがないので、『平均的暴力団組長の姿』について今まで何の深い考察もしたことがなかった。
俺がその種のものでいつも思いつくのは、『あしたのジョー』の『丹下段平』の声で有名な藤岡重慶が3ヶ月に1度くらいの割でテレビの時代劇とかでやるヤクザの親分しかない。もっと勉強しておけば良かった。悔やまれてしかたがない。そうすればこの、黒いソファに座っている、からし色のポロ・トレ-ナーにほとんど黒に近いこげ茶のコーデュロイズボンの大柄な男、永田龍次について何らかの感想を持つことができ、今度のライブのMCに使えるネタができたのに……
……もちろん、俺が無事に帰れればの話ではあるのだが。
永田、は五十歳くらいだろうか。白髪の混じった頭をオールバックにしている。その横に、永田と同じ歳くらいのやや小柄な男が、黒にベージュの縦縞が入ったスーツを着て立っている。右手に俺の入ってきたドアがあり、若い男が1人、横の壁にもたれている。アイパー頭の、エンジに少しラメの入ったポロ・セ-ター。おそらく、シルビアのドライバーはこいつだろう。俺の横には相変わらずハスキーアイパーが立っている。全員が座ってもまだ十分に余裕のあるソファなのに、実際に座っているのは永田のみ。他の奴等はともかく、俺は客とは見られていないらしい。
この部屋のドアの前で10分以上も待たせたくせに、UCCのモカどころか、ネスカフェゴールドブレンドですら出てきそうにない。出てくるのだったら俺はできれば赤ラベルがいい。もしもプレジデントしかないのなら出さないで欲しい。偏見かも知れないが暴力団ってプレジデントを好んで飲んでいそうな気がするのだ。好きそうな名前だ。
「あんた、なんでウチの高木の後を尾けた?」
スーツの男が、鷹揚も、感情もない声で言った。NHKならどうかわからんが、少なくともフジテレビのアナウンサーにはなれないだろう。
「……高木?」
俺は割合にゆっくりと、ドアの横にいる男を見た。目が合った。余り賢そうではない顔だ。これが高木という奴か。こんな奴の助手席に乗るなんて、川本も人を見る目がない。
「違いますよ。」
「何?」
「男じゃなくて、女の後ですよ。」
「武藤、」
スーツ男はハスキーアイパーに目を向けた。
「お前の連れてきた奴は、余り口のきき方を知らんな。」
「すいません。」
武藤は小さめのハスキーボイスで答えた。何でこいつがいつの間にか俺の礼儀作法責任者になったんだろう。俺には選ぶ権利はないのだろうか。
そうそう、そんなことより腹筋に力を入れて、と、ほら来た!
予想通り、武藤はかなり強めに俺の腹を殴った。俺はうずくまった。覚悟していたのに痛い。毎晩腹筋100回くらいではダメだな。明日からあと50回増やそう……俺に、明日があれば……
……うーん、どうも弱気やなあ、今日の俺は。
左手で腹を押さえて立ち上がった俺を、武藤は少し妙な顔をして睨んでいた。俺は不満だった。
『口のきき方を知らん』とはどういうことだ。俺はとりあえずは『デスマス調』を使ったではないか。これで殴られるのなら一体どんな口のきき方をすればいいというのだ? 『尾けてきたのは女の後でごぜえますよ、お代官様』か?
「あんた、誰に頼まれて来たんや?」
俺がやっと顔を上げるのを待って、スーツ男は相変わらず感情を含まぬ声で聞いた。
「そういや、ここまでやれとは頼まれてませんね。」
その通りだ。心に浮かんだままが口に出てしまったが、川本が別に抵抗もせずにシルビアに乗ったことを考えると、俺達のやっていることは誰の望みでもない、単なる余計なお世話…
…うわ! ……しまった!
俺は今度はかなりのダメージを受けて膝をついた。腹に力を入れるより前に、さっきよりも強く武藤に殴られてしまった……咽喉のあたりまで、何か気持ちの悪いものがこみあげてくる。
「石川か?」
そこまで聞いたことのない声がした。3回むせた後で這いつくばったまま顔を上げると、永田が俺を見ていた。
「石川が、あんたらを雇ったのか?」
俺は立ち上がりながら首を振った。
「そんな……石川のような人が……僕らみたいな素人を使うわけないでしょう……」
いったん言葉を切って、深呼吸をしてから続けた。
「……子供……娘ですよ。」
「……何でそれを知ってる?」
体に似合った、よく響く声だった。
「……誰も教えてはくれませんでしたよ。」
そうだろうか?川本は最初から伝えたかったのかもしれない。俺が気付かなかっただけで。
俺にはそういうことがよくあるのだ。
「名前でわかりました……川本は、どこです?」
横目で見ると、高木は、壁にもたれるのをやめていた。それでいい。みんなで背筋を伸ばして話をしよう。
「あんた、一体何が目的や?」
話すのは完全に永田の役目になったらしい。
「頼まれたのは、『平田芳美がいなくなったから捜して』なんですけどね。」
「平田?」
永田はどういうわけか、ドアの横でコーラスでも歌うような姿勢で立つようになった高木を睨んだ。けれどもっと良い声を出すには、あと2センチずつ脚を開くといい。
沈黙が続いた。それも、妙に重苦しいものだった。
5メートル程離れている高木が生つばを飲む音がはっきり聞こえた……
……ノックの音がした。俺の横に立っていた武藤は、ホッとしたように息を吐くと、永田に言った。
「苅谷が、こいつの仲間を連れてきました。」
ドアの開く音がした。
苅谷という奴は礼儀を知らん奴だ。常識があれば、主人たる永田の返事を聞いてから入ってくるものだ。
ぜひとも俺に奴の礼儀作法責任者を任せてもらいたい。厳しく仕込んでやる。
あれ、変だ。俺は今さら捕まったズボを見ても事態の好転はないと思い、そのまま永田の方を向いていたのだが、それまで微動だにしなかった永田が腰を浮かせかけている。
何が起こったんだろう。ズボがヤケになって素っ裸で現れでもしたのだろうか。
それなら余計に俺は見たくない。
「大丈夫か?」
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 19-26 作家名:MINO