Grass Street1990 MOTHERS 19-26
シルビアを運転しているのは、頭にアイパーのかかった(まだこんな髪型が存在したのだ!)、藍川橋の信号で見ただけが、後ろ姿から判断するにきっと若い男。助手席に川本が乗っている。車の向かう方向と男の髪型から、誰にでもわかることだが、目的地は高富にある永田組組長、永田龍次の自宅に違いない。
ズボと二人では、俺は少し、どころではない、思いっきり不安である。こういう時にはおっしょはんがいれば心強いのに……
……おそらく、見たことがないのでわからないがズボは喧嘩は強くないだろうし、逃げ足にいたってはないに等しい。だから、何が困ると言って、こいつの身はどうでもいいのだが、ゆったりとマイペースで逃げるこいつを待っているうちに俺が捕まってしまうことである。先日の石川家周辺の一件でこれは証明されている。
……考えれば考えるほどバカバカしい。何たる不条理であろうか!?
はるか前方の路地をシルビアが右折した。
タウンエースは少なく見積もって20秒ほど遅れた。予想されて然るべきことではあるが、俺達がその路地に入ったときにはシルビアの姿はどこにもなかった。けれどもズボは平気な顔で車を進めていった。こういう図々しさは見事ですらある。女性はこれに騙されるのだ。
一方、女性によく騙される俺は、無言で両側に目を配っていた。
40~50メートル程ら入ったところの左側に、一宮の石川家に匹敵するくらい大きな家が建っていた。タウンエースはそのままスピードを緩めないで、といっても、既にこれ以上遅くなれば止まってしまうようなスピードであったのだが、妙に立派な門の前を通り過ぎた。
門柱には『永田龍次』という縦書きの表札がしっかり埋め込まれていた。しかし立場に見事に合った名前だな。昔からヤクザをやっているのだろうか。名前のパターンが決まってしまっているように思える。親は簡単に名前を決められるのだろうか。『怖そうな名前』を基準にすればいいのだから。
そういう命名本も出ているかもしれない。
それにしても、実際に表札で見ると、帰りたくなってしまう。
適当に一回りして再び高富街道から例の路地へ。入ったところでズボは車を停めた。エンジンを切り、前を向いて、ハンドルに手をかけたまま一度大きく息を吐いた。それから、奴はセカンドシートの俺に振り向いた。何て図々しい。だいたい息を大きく吐くなんて、まるでこいつが今まで緊張して何かをやっていたみたいではないか。一体全体、今の尾行のどこに緊張感があったのだ? すっかりリラックスしてこれ以上ないというくらいマイペースで運転しやがって。俺より先にため息をつくとはどういうつもりや。あー、まったく図々しい。
「タバコ買ってくる。」
ズボは、また更に図々しいことに俺の許可も得ないでドアを開けた。
「……お前はいらんか?」
「……いいよ。」
俺の好みであるキャメルのフィルターがそこらの自販機にあるわけがない。あの栄光のキャメルでさえマイルドとライツを揃えている。自販機にキャメルを見つけても、近づいて見るとたいていマイルドかライツである。嘆かわしい。またこれがまずいのだ。キャメルの名を付けないで欲しい。
それに、マイルドとライツの2種類を用意する必要性がどこにあるのだ? 少なくとも俺には違いが全くわからなかった。ズボにはわかるのかもしれないが。
けれど目糞と鼻糞の違いがわかっても何がうれしいものか。
ズボは通りの方へ歩いていった。もちろんいつものようにゆっくりと。前から聞いてみたいと思っていたが、奴にはナマケモノの親戚がいないだろうか。
俺はセカンドシートに寝転んだ。何か2日前と状況が似てるなあ。夜で、前方にめざす張り込み先があり、俺は車の中にいて、一緒に来たズボがいない。これでまた誰かが窓ガラスを叩けば笑えるなあ……
……誰かが窓ガラスを叩いた。2日前と同じ、運転席の横……
俺はびっくりして飛び起きた。笑えるどころではない。はっきり言って、こういうのは大嫌いである。俺はホラー映画も怖くて見ることのできないデリケートな男なのだ。上質のミステリーのような怖さを持つ映画、例え ば『オーメン』(1作目に限る)や『エンゼルハート』、『未来世紀ブラジル』なら好きだが、何の脈絡もなくただただ気色悪い場面を一拍ずらして出し続けるような作品は大の苦手だ。だから俺はジェイソンを一度も見たことがない。これからも見る気持ちはない。
俺は、まあ怖いこともあったし、きっとズボが帰ってきたけれどもキーを中に入れたままロックしたとかでドアが開けられなくて情けない顔で窓を叩いているのだろうと思い、さして注意も払わなかった。
その予想に反して、運転席のドアが開いた。
と同時に、俺の横のスライドドアも開いた。
前後に一人づつ、計2名の男が必要以上に姿勢を崩して立っていた。
ズボではない。あいつを2つに割っても……もう少し小さいくらいだ。
「おめえ、どっかでみたことあるなあ。」
スライドドアの方の男が思いっきり歯を見せた下品な笑いを浮かべて、言った。もちろん谷岡でもない、この下品さ。
そうそう思い出した。こいつら、最初の張り込みの時大工を追っ掛けていた、ハイセンスなチンピラ2人組だ。共に今日も薄い色のスーツに、いかにも、というアクセサリーの数々……
……あー、それにしてもこいつらとは話をしたくない。ここではっきりしておきたいが俺は反省のない奴は嫌いなのだ。関わりを持ちたくない……何とも信じがたいことだがこの二人は今日も白いエナメル靴を履いている。
どういうつもりだろう?理解できん。
というわけで俺が自分の主義主張を守って無言でいると、運転席のドアの方の男がイラついた声を出した。
「降りろよ。」
言われた通りに降りて、ドアを閉めた途端に後ろの男が俺のほおに平手打ちを食らわせた…
…痛い。何か知らないが妙にゴツい指輪を2つもしている右手で殴られて、それが痛い。こういうのは素手とは言わんな。
「よくも嘘を言いやがって……」
「……そりゃあ、敵味方の区別くらいはつくからな。」
また顔を張られた。今度はさっきよりも少し強い。
「口をきくんじゃねえ。」
「もう一人はどこへ行った?」
運転席から回ってきた男がややハスキ-な声で聞いた。
……うーん、困った。板ばさみだ。指輪ビンタ男は口をきくなと言い、ハスキーアイパーは質問する。この2人、どっちが格上かなあ……
「もう一人?」
俺はとっさの判断で、ハスキーアイパーを格上だと見た。
指輪ビンタ男が2度目と同じくらいの強さで顔を張った。
「とぼけんじゃねえぞ。」
悩んだだけ損した。どっちにしろ殴られるのだ。
ハスキーアイパーが一歩近づいた。
「運転してた、でかい奴だよ。」
またあいつのでかさで尾行がバレてしまった。それで殴られるのが俺なんて、世の中は不公平だ。
だいたいあいつはどこまでタバコを買いに行ったんや。戻るのが遅すぎる。
「おい。」
俺が黙っていると、ハスキーアイパーはまた一歩近づいた。俺はかなりの高レベルで身の危険を感じた。
「どこへ行ったって聞いてるんや。」
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 19-26 作家名:MINO