Grass Street1990 MOTHERS 19-26
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このタウンエース(SGX、62年式、ガンメタ)のシートの色、どこかで見たことがあると思ったら、夕方川本と向かいあって座っていた職員室のソファにそっくりだ。おうど色というか、くすんだ黄色というか。これでもきっと『何とかブラウン』とか、『かんとかイエロー』とか、偉そうにわけのわからない名前がついているのだろう。写植のムダとしか言いようがない。
午後10時を回った。俺はズボと共に、奴の車の中に居た。加野団地東公民館の駐車場である。一番奥に車を停めた。俺達の目には辛うじて川本の家、あかりがついている2階の、おそらくは彼女の部屋、が見える。
「それで、ここで何がある?」
ズボは運転席から、セカンドシートの俺に振り向いて言った。
「川本の話の矛盾点をつぶしていく。」
俺は2階の窓から目をそらさずに答えた。
「まず、この近くには、あいつが『黒い外車に乗せられて』と言った『平田』という家はない。」
「平田の住所は?」
「卒業アルバムで見るとそこの、」
俺は駐車場の南にある、わりあい新しい家が10軒ほど建ち並んだブロックを指差した。
「どこかの家のはずなんやが、さっき、7時頃にも一人で来て回ってみたんやけど、平田なんて家はないんや。」
「引っ越したのか……」
ズボはFKを取り出した。15万円とは言え、タウンエースのいいところはここだ。俺はこういう時に3列目のシートまで逃げることができる。
俺は予定通りに3列目に移動したが、何とそこでは川本の家が見えない。仕方がないのでおとなしく2列目に戻り、窓を少し開けた。
FKすら防げないとは、世の中は間違っている。社会正義はどこへ行ったのだ。
「それで近所のおばさんに聞いたんやけど、平田家はひと月程前にどこかへ引っ越したらしい。母一人、娘一人がな。」
「母親だけ……か……」
ズボは大して驚きもせずに言った。
「川本の方は?」
「お前の予想通り、母親だけや。そうは言っても、学校の資料では死別か離婚かというようなことはわからんけどな……
つまり、川本には平田芳美がさらわれるところを見れたはずがない。時間か、場所か、それとも全てか、とにかく嘘や。
……それと、実は川本は、俺と夕方話をして、『良美』という名前が付いた由来を聞いたら、あいつ、台詞の中で、『あのひと』って単語を言った。」
そうだ、思い出した! ズボを俺の『友人』と言ったまま訂正も、彼女を口封じもしなかった……どうしよう……仕方ない、明日にでも事情を説明した手紙を書こう。
そのズボは吸い始めたばかりのFKをいとも簡単に灰皿でもみ消した。何のために吸っていたのだろうか。嘆かわしいことだ。
「……『あのひと』って……石川か……」
奴はそのことに反省も無いらしい。平気な顔で続けた。
「でもお前、夕方川本に会ったんやったらいろんな事情が聞けたやろう。」
「2言だけや。例の、『あの人に会ったの?』と、もう一つ、はっきり聞き取れたわけやないが……『誰も悪くないのにこんなのひどい』」
「会ったのにそれだけ?」
無責任な事を言う奴だ。
「いいか、」
俺は小学生を諭すように言った。
「あいつの抱えてる問題は、例えば父親が誰とか、認知がどうとか、絶対にそんなレベルのものやない。もっと……何か凄まじいことやと思う。」
「それなら尚更、突っ込んで聞けば……」
こいつは頭の回りまで悪い。タバコをあんなに長いままもみ消すことと何か関係があるのではないだろうか?
「責任が持てん。」
俺は時折目を横に走らすだけで、顔はズボの方を向くことにした。こいつにはじっくり説明してやらねばわからんらしい。
「話を聞くだけであいつの気が楽にでもなるんやったらいいけど、そうならあいつは最初から全て話しているはずや。でも、実際には、川本は俺達に全力で嘘をついている。」
「……そうか……そんな大変なことか……」
「俺達は、あいつの人生に責任が持てるわけやないんや。」
数秒間、川本の部屋のあかりを見てから、俺は話を続けた。
「ここまで首を突っ込んだ以上、これで手を引くわけにはいかない……でも、もうあいつに話を聞くことはできない。わからないように調べて、もし俺達に役立てることがあれば……けれど、俺達が知っていることすらあいつが罪に感じるようなら、この事件は全て忘れることにする。」
ズボは生意気にも俺の真似をして、しばらく2階のあかりを見てからまた向き直った。
「……川本はどうして……そうやな、こうするしか手はなかったんやな……それに……」
ズボは3ヶ月に1度くらいの割で見せる意味ありげな目で俺を見た。
「……お前に話を持ってきたのも、なんとなくわかる……」
俺はその台詞が終わるのを待たずに言った。
「もしあいつが、これほどの計算ずくで今までやってきたとしたら、この問題は、そこまで頭の回る奴がどうにもならなくなった程の問題というわけや。」
「何やろう?」
「さあね……」
俺はきっと常に意味ありげな目をしているに違いない。意味を失うのが3ヶ月に1度くらいだろう。
果たしてそんなこともあるかどうか。
「……知られたくない……罪……人として、誰かの娘として、女として、あるいは血として……」
……血?……
俺はなぜか、川本が去り際に自分の両手を見つめていたことを思い出した。
「そこに関わるのが、石川と、平田と、永田組、か。」
ズボはすごいことに再び意味ありげな目をした。3ヶ月に1度しかできないくせに、今日2度も使ってしまったということは、次の意味ありげな目は半年後までない。もったいないことをする奴だ。
「同じ『よしみ』という名である平田と、石川の関係……それより、やっぱり、永田組が厄介やなあ。」
20分ほどして、近くで車が止まった音がした。それから軽いクラクションの音。すぐに、2階のあかりが消えた。最近の女子高校生はこんなに寝るのが早いのだろうか。それとも……
ズボは無言でエンジンをかけ、タウンエースはいつものように少しガタガタと震えるような音をたてながら動き出した。おそらくこれから尾行になるのだろう。不安はもちろんいくつもあるが、この時点で、俺がこいつに望むことはただ一つ。
頼むから尾行の時には安全運転をしないでほしい。
20
前、といってもはるか前方にだが、シルビア(黒)が走っている。きっと『Q's』だと思う。ターボ付きの『K's』のはずがない。もしそうならとっくに見えなくなっているはずだ。
何と言っても、こっちのタウンエースのドライバーはズボなのである。いかなる状況下においても『制限速度+10キロ以内』を信条とするこいつは、夜11時過ぎの空いた長良川北堤防道路を、さらに尾行中だというのにもかかわらず最高速度50キロで走りきった。
現在は高富街道を北へ、福光のあたり。
はるか彼方とはいえ、俺達にシルビアの横長テールランプが見えるのは奇跡と言ってもいい。
このタウンエース(SGX、62年式、ガンメタ)のシートの色、どこかで見たことがあると思ったら、夕方川本と向かいあって座っていた職員室のソファにそっくりだ。おうど色というか、くすんだ黄色というか。これでもきっと『何とかブラウン』とか、『かんとかイエロー』とか、偉そうにわけのわからない名前がついているのだろう。写植のムダとしか言いようがない。
午後10時を回った。俺はズボと共に、奴の車の中に居た。加野団地東公民館の駐車場である。一番奥に車を停めた。俺達の目には辛うじて川本の家、あかりがついている2階の、おそらくは彼女の部屋、が見える。
「それで、ここで何がある?」
ズボは運転席から、セカンドシートの俺に振り向いて言った。
「川本の話の矛盾点をつぶしていく。」
俺は2階の窓から目をそらさずに答えた。
「まず、この近くには、あいつが『黒い外車に乗せられて』と言った『平田』という家はない。」
「平田の住所は?」
「卒業アルバムで見るとそこの、」
俺は駐車場の南にある、わりあい新しい家が10軒ほど建ち並んだブロックを指差した。
「どこかの家のはずなんやが、さっき、7時頃にも一人で来て回ってみたんやけど、平田なんて家はないんや。」
「引っ越したのか……」
ズボはFKを取り出した。15万円とは言え、タウンエースのいいところはここだ。俺はこういう時に3列目のシートまで逃げることができる。
俺は予定通りに3列目に移動したが、何とそこでは川本の家が見えない。仕方がないのでおとなしく2列目に戻り、窓を少し開けた。
FKすら防げないとは、世の中は間違っている。社会正義はどこへ行ったのだ。
「それで近所のおばさんに聞いたんやけど、平田家はひと月程前にどこかへ引っ越したらしい。母一人、娘一人がな。」
「母親だけ……か……」
ズボは大して驚きもせずに言った。
「川本の方は?」
「お前の予想通り、母親だけや。そうは言っても、学校の資料では死別か離婚かというようなことはわからんけどな……
つまり、川本には平田芳美がさらわれるところを見れたはずがない。時間か、場所か、それとも全てか、とにかく嘘や。
……それと、実は川本は、俺と夕方話をして、『良美』という名前が付いた由来を聞いたら、あいつ、台詞の中で、『あのひと』って単語を言った。」
そうだ、思い出した! ズボを俺の『友人』と言ったまま訂正も、彼女を口封じもしなかった……どうしよう……仕方ない、明日にでも事情を説明した手紙を書こう。
そのズボは吸い始めたばかりのFKをいとも簡単に灰皿でもみ消した。何のために吸っていたのだろうか。嘆かわしいことだ。
「……『あのひと』って……石川か……」
奴はそのことに反省も無いらしい。平気な顔で続けた。
「でもお前、夕方川本に会ったんやったらいろんな事情が聞けたやろう。」
「2言だけや。例の、『あの人に会ったの?』と、もう一つ、はっきり聞き取れたわけやないが……『誰も悪くないのにこんなのひどい』」
「会ったのにそれだけ?」
無責任な事を言う奴だ。
「いいか、」
俺は小学生を諭すように言った。
「あいつの抱えてる問題は、例えば父親が誰とか、認知がどうとか、絶対にそんなレベルのものやない。もっと……何か凄まじいことやと思う。」
「それなら尚更、突っ込んで聞けば……」
こいつは頭の回りまで悪い。タバコをあんなに長いままもみ消すことと何か関係があるのではないだろうか?
「責任が持てん。」
俺は時折目を横に走らすだけで、顔はズボの方を向くことにした。こいつにはじっくり説明してやらねばわからんらしい。
「話を聞くだけであいつの気が楽にでもなるんやったらいいけど、そうならあいつは最初から全て話しているはずや。でも、実際には、川本は俺達に全力で嘘をついている。」
「……そうか……そんな大変なことか……」
「俺達は、あいつの人生に責任が持てるわけやないんや。」
数秒間、川本の部屋のあかりを見てから、俺は話を続けた。
「ここまで首を突っ込んだ以上、これで手を引くわけにはいかない……でも、もうあいつに話を聞くことはできない。わからないように調べて、もし俺達に役立てることがあれば……けれど、俺達が知っていることすらあいつが罪に感じるようなら、この事件は全て忘れることにする。」
ズボは生意気にも俺の真似をして、しばらく2階のあかりを見てからまた向き直った。
「……川本はどうして……そうやな、こうするしか手はなかったんやな……それに……」
ズボは3ヶ月に1度くらいの割で見せる意味ありげな目で俺を見た。
「……お前に話を持ってきたのも、なんとなくわかる……」
俺はその台詞が終わるのを待たずに言った。
「もしあいつが、これほどの計算ずくで今までやってきたとしたら、この問題は、そこまで頭の回る奴がどうにもならなくなった程の問題というわけや。」
「何やろう?」
「さあね……」
俺はきっと常に意味ありげな目をしているに違いない。意味を失うのが3ヶ月に1度くらいだろう。
果たしてそんなこともあるかどうか。
「……知られたくない……罪……人として、誰かの娘として、女として、あるいは血として……」
……血?……
俺はなぜか、川本が去り際に自分の両手を見つめていたことを思い出した。
「そこに関わるのが、石川と、平田と、永田組、か。」
ズボはすごいことに再び意味ありげな目をした。3ヶ月に1度しかできないくせに、今日2度も使ってしまったということは、次の意味ありげな目は半年後までない。もったいないことをする奴だ。
「同じ『よしみ』という名である平田と、石川の関係……それより、やっぱり、永田組が厄介やなあ。」
20分ほどして、近くで車が止まった音がした。それから軽いクラクションの音。すぐに、2階のあかりが消えた。最近の女子高校生はこんなに寝るのが早いのだろうか。それとも……
ズボは無言でエンジンをかけ、タウンエースはいつものように少しガタガタと震えるような音をたてながら動き出した。おそらくこれから尾行になるのだろう。不安はもちろんいくつもあるが、この時点で、俺がこいつに望むことはただ一つ。
頼むから尾行の時には安全運転をしないでほしい。
20
前、といってもはるか前方にだが、シルビア(黒)が走っている。きっと『Q's』だと思う。ターボ付きの『K's』のはずがない。もしそうならとっくに見えなくなっているはずだ。
何と言っても、こっちのタウンエースのドライバーはズボなのである。いかなる状況下においても『制限速度+10キロ以内』を信条とするこいつは、夜11時過ぎの空いた長良川北堤防道路を、さらに尾行中だというのにもかかわらず最高速度50キロで走りきった。
現在は高富街道を北へ、福光のあたり。
はるか彼方とはいえ、俺達にシルビアの横長テールランプが見えるのは奇跡と言ってもいい。
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 19-26 作家名:MINO