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Grass Street'90 MOTHERS 10-18

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 路地を出てすぐ、4人全員が俺達に気付いた。女性2人はたちまち下を向いた。顔色はわからない。化粧というのは大したものである。実は化粧というものの本当の理由はここにあるのではないだろうか?……そして男性2人は、ただの通行人を見る目でちらと俺達を見ただけだった。昨夜名前も聞かなかったくらいだから、知らん顔するのも当然だろう。
 それに、今は俺達を気にするどころでもないはずだ。

 通りには他に人影はなく、俺達はじっと4人-特に石川-を見つめながら、そして石川、谷岡はまっすぐ前を、青山、渡辺は下を向きながら俺達に近づき、50センチくらいの距離を置いて無言ですれ違った。


17

 「大工はあそこの角にいるはずやな。」

 メインロードに出たところで、俺は息を大きく吐いてからズボに言った。
 「ああ、琥珀の1つ南の路地にいる。」ズボはFKの箱を手にしたまま答えた。 「だから、あの4人はギャランの横を通って行くはずや。」
 「お前、このままメインロードを通って石川達の逆から琥珀の近くまで行ってくれ。俺は4人の後をついて行く。」
 「両方から様子を見るわけか。」
 ズボはFKの箱を手にしたままなかなか出そうとしない。偉いもんだ。
 俺は言った。
 「それで、もし誰かを追いかけることになったら俺は大工の車に乗る。お前は事務所に戻って連絡を待っててくれ。」

 俺は今来た道を走って戻り始めた。俺の靴はトムマッキアンのバッシュ(白)だから、すぐに追いつけるだろう。問題はズボだ。あいつは身体が大き過ぎて身につけるものを全く選べない奴なのだ。サイズがあったらすぐその場で買うから、色や種類を選ぶなんて奴にとってはぜいたくもいいところなのである。さらに、そんな不自由な生活を送りながら、成長期に小さめの靴を履いていたらく、奴の足の指はきれいに曲がっている。
 ……哀れだ。見るたびに俺は天才漫画家いしいひさいちの名作『地底人』に出てくる『未確認匍匐前進物体』を思い出す……

 暗くなったPSの前を通り過ぎ、路地を曲がると意外に近く、40~50メーター先に4人はいた。足の遅い奴等だ。授業が始まってからのウチの生徒のスピードと大して変わらない。社会党の牛歩戦術よりは少し速いくらいか。
 別にバレても構わないのだが、刺激することもない。この距離を保っていこう。

 前を歩く男2人は今日はスーツを着ている。と言っても、石川の方は濃いグレーの普通のスーツだが、谷岡はやや身体より大きめの茶色の上下である。きっと動きやすいようにだろう。女性2人も今日はスカートでなく共に黒っぽいパンツ。靴もローヒールのパンプスである。動きやすいようにだろうか。でも、何の必要があるというのだろう。

 琥珀へ曲がる路地の手前に、予定通り大工のギャラン(1800ccヴィエント、ガンメタ)が停まっていた。4人がその横を通りすぎる時に、谷岡は一瞬車に顔を向け、すぐに向き直って角を曲がった。俺はそれと同時にギャランまで走った。
 運転席の窓を軽く叩くと、大工はキーをオンにして窓を開けた。

 俺は実を言うとパワーウィンドゥに複雑な気持ちを持っている。三年余り前、ジェミニ(セダン、イルムシャーターボ、赤、五速)を買う時、俺は一度はオプションで集中ドアロック付きパワーウィンドゥを注文した。だが、その日家に帰った私は、金がなかったこともあるが、妙に意地っぱりな考えに支配された。『イルムシャーにはそんな軟弱な装備はいらん』というやつである。次の日早速ディーラーに出掛けた俺はオプションを取消し、総支払い額を5万円削った……
 ……西ドイツ、オペルのメインチューナーであるイルムシャーの車、その内少なくともほとんど全てのセダンには当然のようにパワーウィンドゥが付いていると知ったのは、納車後しばらく経ってからであった……

 「今のが、石川屋の社長ですか?」
 大工はなぜかすまなそうに尋ねた。
 「グレイのスーツの方がな……お前の車に目を向けた方は谷岡という。」
 「あの、茶色の服のおっちゃん、何か怖かったですよ。僕、目があったんで思わず会釈しました。」

 偉いぞ大工。俺は琥珀か石川かどちらの動きを尾行するべきか悩んでいたのに、この悩みを完璧に解決してくれるなんて。
 これで谷岡にギャランも知られてしまった。
 ということは、石川側の尾行については失敗が約束されたということになる。

 「……そうやな、あの人は役者が上や……」
 俺は自分に作戦も何もないことを嫌というほど感じながらつぶやいた。
 結局、何もわからない俺達は待っているしかないのだ。

 大工は運転席に座ったまま、俺は半分開いた窓ガラスに手を置いて、黙ってカーステレオから流れるブルーグラスを聞いていた。セルダムシ-ンの『シティ・オブ・ニュ-オリンズ』だ。
 そして一曲終わらない内に石川と谷岡が路地から現れた。これはすごい。何といってもブルーグラスという音楽、一曲の長さはヘヴィメタの二分の一、スティングの三分の一、プリンスの四分の一である。ブルーグラスの曲が一曲終わらない内に戻ってきたということは、あっという間に戻ってきたという事と同じ意味になる。
 俺達の前に歩み出た2人は、別に撃ち合いをやったわけではないらしく、呼吸も整っており、服の乱れもなかった。ただなんとなく疲れたような目で、さっきすれ違った時と同じく、こちらに注意を払わずに通り過ぎよう とした。

 「……覚悟の上でしょうけど……うまくいかなかったみたいですね……」
 俺はギャランの窓ガラスを強く握りしめたまま、石川の背中に向かって言った。
 「……ねえ、おとうさん……」
 石川がすばやくこちらを振り返った。しばらくの間唇を噛んでいた。それから俺の期待通り、何かを言おうと口を開いた。けれどその時、谷岡が彼の肩を軽く叩き、二人はまた背中を見せて無言で歩み去ってしまった。谷岡が肩を支えるようにして……石川は、少しうつむいていた。

 「何ですか?『お父さん』って。」
 大工が、窓ガラスにかかったまま白くなった俺の指を見つめて言った。
 「……事務所へ戻ろう、そこで話すよ。」
 俺は指を外した。触ると冷たい。
 「ズボは呼んでくるから、このまま先に行っててくれ。」
 「どっちかを尾けなくていいんですか?」
 「やり直しや。石川にはギャランがバレてしまったし、それに、予備調査もなしに暴力団には関われないしな。」
 俺は大工の返事も聞かずにギャランの後ろの路地からメインロードをまわってズボのところへ走った。

 奴はメインロードから琥珀へ曲がる角にもたれてFKを吸っていた。
 「何があった?」
 俺は息切れひとつ無い健全な声で聞いた。もちろん、ズボに俺のようになりたいと切望させて生き方を変えさせるためである。
 「実にあっけなかった。」
 ズボは俺の親切と偉大さには全く気付かず、脳天気に答えた。あと10年経てば奴は成人病の塊となるに違いない。そうでなければ人類は不公平である。
作品名:Grass Street'90 MOTHERS 10-18 作家名:MINO